レイスとトリックスターとトラッパーとヒルビリー

「またきたの? ここを溜まり場にしないでくれる? 俺の聖域なんだけど」
 担いだ改造金属バットで肩口をポンポンと叩いて、この領域の主であるジウンは呆れ顔で言った。目の前には、屋台の小さなベンチに窮屈そうに並んで腰掛ける三人の男たちがいる。エヴァンとフィリップとヒルビリーだ。彼らは慣れない箸を使ってラーメンを食べている。
「ここは食い物が美味いからな。あちこちにお前のポスターが貼ってあるのは癪だが」
 エヴァンが箸先で近くの壁に貼られているジウンのポスターを差した。その隣でフィリップが頷く。「燈がギラついて目が痛いけど、俺もここにある料理は好き」
 もじれた皮膚のせいで完全に唇を閉じられないヒルビリー——麺を啜ることができない。いや、そもそも彼らは、ジウンと違ってラーメンは啜って食べるものだということを知らないので、食べ方がぎこちない——口の端から飛び出した麺の束を指先で口腔に押し込んだ。
「俺もここは賑やかで色んなものがあって好き。ジウンはロックスターみたいでかっこいい!」
「へえ? 俺のことをわかってるのはビリーだけみたいだね」ジウンは前髪を掻き上げた。「ビリー、あっちのライブハウスで俺の最高の歌を聴かせてあげようか?」
 どんぶりを持ち上げていたヒルビリーの動きがぴたりと止まる。
「いいの?」
「もちろん。どうせ飲んだくれ共が退屈してるだろうし、盛り上げてやらないと。ていうか、ライブハウスがなんのためにあるのかわからない連中ばっかりでしょ? カレブとかボーシャとかさ」
「皆喜ぶよ。ジウンの歌は、かっこいいから!」
 無邪気なヒルビリーの賞賛に、ジウンは上機嫌になった。
 ラーメンにありつくエヴァンとフィリップを残し、ジウンはヒルビリーを連れてライブハウスへ向かった。しばらくして、ライブがはじまったのか、激しいリズムの残響が屋台にいるふたりの耳朶に届いた。
「なあ、フィリップ」
「ん?」
「自分の妄想が現実になるとしたら、お前は何を思い浮かべる?」
「唐突だね。エヴァンは、なにを妄想する?」
「俺は、親父と、鉱山と、従業員を思い浮かべる。従業員を事故に見せかけて皆殺しにして、きっとまた親父を〝永遠〟にするだろう。俺の世界は、それしかなかったからな」
「……そうか」
 フィリップは食べかけのラーメンを見詰めたまま黙考して、鼻息をついてから引き結んだ唇を開いた。
「……俺は、平和だった頃の故郷かな。父さんも母さんも、ばあちゃんも元気で……笑ってる。隣人も幼馴染も、皆笑ってるんだ」
 脳裏に今はもう戻ることができない村の景色が過る。大好きな父、母……。
「でも俺はそこにはいられない。俺の手は血塗れだ。こんな手で、家族を抱きしめる事なんてできない。何人も殺してきた俺は、そこにいちゃいけない」
「意外だ。お前は過去に縋りたいもんだと思っていた」
「俺は過去には縋らないよ。こうしてエヴァンやビリーと食事をして、ジウンと軽口を叩いて、他の仲間と過ごせる今でいい。……満足なんだよ」
 そう言って、フィリップは微苦笑してエヴァンを見た。須臾しゅゆの間見詰め合い、先にエヴァンが何度かゆっくりと頷いた。
「そうだな。冷えたビールを飲みながらくだらない話をする夜ほどいいもんはないよな」
 どんぶりの隣に置いていた缶ビールを口元で傾けて、エヴァンは唸った。
「なくなっちまった。ビール取ってくる。お前も飲むか?」
 立ち上がるエヴァンを目で追い、フィリップは首を振った。「いや、いい」
 コンビニエンスストアに向かったエヴァン——場所は覚えているだろうか——を見送り、ひとり取り残されて、フィリップはぬるくなった缶ビールをあおる。溜息を零して目を閉じると、物憂げな表情のフニャナが浮かんだ。
「…………!」
 弾かれたように目を見開いた。
——彼女はきっと、今の俺を責めるだろう……。
 遠い日のかけがえのない在りし日が、けばけばしいネオンの燈に飲み込まれていく。戻れるはずのない過去だけは、血に染めたくなかった。それなのに、目の前が真っ赤になっていく。
「だめだ。だめなんだ……」
 うしろで花火が大量に打ち上がる音がした。それは、故郷を蹂躙した砲弾の音に似ていた。