世界を壊すほどの熱情

 タルホーシュは、『忘れ去られた遺跡』の地下の片隅に設けられた狭い部屋にいた。地下の一番小さな部屋には、この領域の主であるヴェクナが持つ〈不浄なる暗黒の書〉の複製品や、本の溢れた本棚、禍々しい絵画、魔術や錬金術で使用する貴重な品々が所狭しと置かれている。
 乾いた植物の根や、虹色の鳥の羽根、鋭く太いドラゴンの牙に、フラスコに入った黒く濁った脂……タルホーシュにはそれらの価値はわからないが、ヴェクナの叡智の一部に触れるのは悪い気分ではなかった。それに、壁に立てかけられた絵画を眺めるのも嫌いではない。気に入りのものもある。老いた男を看取る人々、口の周りを血で汚した少女と食い殺された女たち、顔の半分が髑髏として描かれている女王。掴み取った人を食いちぎっている化け物……四角い額縁の中には、千差万別の死が描かれている。眺めていると安らぎに似た感情が湧く。死は何人も逃れられることはできない。暴力と同じだ。
 絵画を眺めたあと、タルホーシュは隣の部屋に移動した。夜空を模した天井には、金色の魔法陣が浮いていて、幻想的な仄燈で室内を照らしていた。その下で、ヴェクナがいつものように本棚の前で書物を読んでいる。
 死は誰にでも訪れるものだが、ヴェクナだけは死を克服した——そんなことを思い出しながら、タルホーシュは彼の横顔に視線を溜め、呼び掛けた。
「なあ、ヴェクナ」
 分厚い書物に向けられていた視線が自分の方へ向く。タルホーシュは語を継いだ。
「お前がその肉体になったのは、お前がいくつの時だ?」
 唐突な質問に、ヴェクナは意外だとでもいいたげに瞬きを繰り返した。それから、視線を逸らして須臾の間黙考し、小さく唸って言った。「覚えていない」
「その身体になって数世紀は生きていると言ったな」
「そうだ。私と同じ立場になれば、お前も自分の歳を思い出すことも、数えることもしなくなるだろう」
「そうだな。きっとそうなる」
「一応訊いてやろう。そういうお前は、歳はいくつだ?」
「俺か? 俺は——」
 タルホーシュが年齢を答えると、ヴェクナの下がった口角がゆっくり持ち上がった。
「若造だな」
 兜の下でタルホーシュは微苦笑した。若さに振り回される青臭い歳ではないが、壮年というにはまだまだだ。つまるところ、男としてそこそこの歳だが、まさか若造呼びされるとは!
「お前からすれば、俺なんて尻の青い若造だろう。お前には敵わん」
 タルホーシュは微苦笑したまま鷹揚と自分よりもずっと歳上の男に歩み寄り、荘厳な金細工の鎧に手を伸ばして腰から抱き寄せて、幅広の肩口に兜を埋めた。
「どうした、タルホーシュ」
「こうしたくなった」
「フン、可愛がってやってもいい」
 ヴェクナの手から開いていた本が浮かんでぱたんと閉じて、棚の空いていた隙間に戻った。
「悠久の時を生きるお前の過去に俺はいないが、これからはここで俺の生きる証を見せてやれる。お前とともにこの世界を壊す」
 腰のうしろを抱く手に力をこめると、ヴェクナは目を閉じた。彼の存在しない心臓が肋骨の間で高鳴っていることを祈りながら、タルホーシュは語を継いだ。
「俺のすべてをお前にやる」
「その誓い、忘れてくれるな。お前は私の騎士だ」
 兜の側面に手が添えられた。額を突き合わせると、そこ知れぬ闇にも似た美しい眸が瞬き、タルホーシュの心を掻き立てた。暴力と支配。血と知。共鳴にも似た、誰も切ることのできない強い絆がふたりの間にはあった。それは迫る死の影のようにたしかで、消え去ることはない。
 肺腑にこもる熱を吐き出し、タルホーシュは込み上げる仄暗い喜びと熱情を飲み込み、歳上の男を強く抱きしめた。