ドラキュラと喰種

 ドラキュラは冬の夜のように、素早く静かに喰種——金木研——の背後に降り立ち、視軸を下ろした。
 擦り切れたシャツを破って腰から突き出た禍々しく猛々しい四本の肉色の捕食器官は、夜の輪郭を裂き、獲物が現れたらすぐにでも貫こうとうねっていた。太い根本から尖端まで、脈々と血管が走っている。生身の人間の身体に異形の爪……歪ながらも美しい。神には決して造れない存在だろう。
 蹲って頭を抱え込んで呻く金木を見下ろして、首を掻き切って殺したばかりの女を無造作に足元に放り投げた。冷たい土の上に投げ出された女のしなやかな身体は、瞬く間に首の裂傷から溢れ出した大量の血液に浸った。
 弾かれたように振り向いた金木の右目は眼帯で完璧に覆われていた。顔の半分を覆う黒い特殊なマスクの口元は、剥き出しの歯茎と歯列がデザインされていて、噛み合った歯はジッパーで閉じられていた。隻眼は、本来なら白い部分が黒くなり、眸は真っ赤だった。
「あなたは……?」
「夜の王。不滅なる者。復讐者。吸血鬼。好きに呼ぶがいい」
「……吸血鬼……」
 消え入りそうなほど弱々しい声だが、彼が儀式に選ばれるたびに生存者を皆殺しにしていることは知っている。
「腹が減っているのだろう? 私からの贈り物だ」
 血液の甘美な香りが濃くなる。金木の血のように赤い眸が動揺で揺らいだのを見逃さなかった。
「やめてください、僕はっ、人間は食べません……いやだ……食べたくない……」金木は俯き、顔を覆って泣き出した。「違う、そんなことをしたらあなたと同じじゃないかっ……! 僕はリゼさんとは……あなたとは違う!」
 膝を突いて嗚咽を漏らしながら苦しみ出した金木の獣の唸り声のような怒りと警戒を含んだ声に、ドラキュラは目を細める。
——リゼとは何者だ?
「僕は、僕は人間だ……」
「違う。お前は人間を凌駕する存在だ」
 ドラキュラは、自身の髪を引き抜かんばかりの勢いで握り締めている金木の手首を掴み取って己の方へ引き寄せた。
「離してください」
 振り払おうと抵抗されたが、離さない。細い腕だが力が強い。
「吸血鬼が、なぜ僕に構うんですか」
 真っ直ぐに夜の王を見上げる眸に怯えはなかった。頼りない小柄な青年は、己には怯えていないが、なにかを恐れている……。
「私と同じ強者だからだ。喰種。お前は選ばれたのだ。力をふるえ。人間を屠り、喰らい、糧にするがいい」
「いやだ……人間を……食べたくなんか……」
 沈黙がふたりの間を駆け抜ける。不意に握った手首から力が抜けた。息を乱す金木は、理性と本能の間で揺れている。だが、抑え込もうとしたところで理性は本能には勝てない。特に食欲という本能には。
 金木の代わりにマスクのジッパーを開けてやり、囁く。「喰らえ」
 赤い隻眼が足元の死体に向く。手を離すと、金木はごくりと喉を鳴らした。
「柔らかくて……美味しそう……」
 一刹那のうちに、眸にぎらついた飢えが浮かんだ。獰猛な捕食者となった彼は、崩れるようにして女に馬乗りになった。捕食器官が事切れた肉体を貫き、腹を裂いた。血が飛び散り、臓物が飛び出す。喰種は、食欲という最も原始的な本能を満たすために女を貪りはじめた。
 ドラキュラは微かに笑う。強者こそが弱者を裁くことができる。喰種にはその資格がある。
 口の周りを真っ赤にして、金木は無垢で無邪気な子供のように夢中で肉を喰らい続ける。ドラキュラはただ静かにその様子を眺め、濃い霧に混じる芳しい血の匂いを肺一杯に吸い込んだ。