クラウンとトリックスター

「ねえ、指、ほしい?」
 その夜、儀式から戻って間もないケネスの前に現れたジウンは、いたく上機嫌だった。
「なんだ、生存者が手に入ったのか?」
「うん。生きることを諦めたわりには、そそる悲鳴だったよ。いい曲が作れそう」
 整った顔に冷ややかなくらい美しい笑みを浮かべたジウンは、そう言って首にかけたヘッドフォンのハウジング部分を指先で軽く叩いた。
「食肉工場の冷凍庫に吊るしてあるから、あとは好きにして」
「悪いな。もらっておくぜ」
 ケネスは弛んだ顎の肉を揺らして笑った。
 この森で生きることを諦めた生存者は、エンティティによって存在を消される。神にとって壊れたおもちゃは不要だ。時に、いらなくなったおもちゃは殺人鬼へ与えられることもある。そうなると大体は最初にジウンやダニーの前に放り出される。彼らが飽きたら、人肉を好む仲間のおさがりになる。
 ジウンの目当ては悲鳴を聞くことだ。痛め付けられた生存者の喉から絞り出された哀れな声は、曲作りのインスピレーションとなったり、実際に楽曲に使用されるらしい。録れれば興味は失せ、事切れた生存者は、誰かに食われる前に指に陶酔しているケネスに譲られる。おもちゃはみんなで順番で使うのだ。
『ギデオン食肉工場』へ連れて行ってもらうために、ケネスは『ジグソーパズルのピース』をエンティティに捧げた。掌に載った小さなパズルのピースは黒い霧に包まれて一瞬で消え、濃い霧が足元から這い上がり、目の前が真っ白になった。
 霧が晴れると、ケネスは『ギデオン食肉工場』の地下にいた。浮き足立ってジウンの曲を鼻歌混じりに——タイトルはなんだっか覚えていないが、リズム感は好きで、サビも口ずさめる——儀式で何度も訪れたことのある歩き慣れた工場内を進んだ。
 コンクリート造りの壁沿いを進み、いくつ目かの角を折れると、生臭い冷気が化粧のよれた頬を掠めた。 
 冷凍庫には扉がない。煉瓦の壁で囲まれただけのこぢんまりとしたものだが、中はかなり寒い。
 天井から伸びたいくつものフックに、肉を削がれた肥えた豚が何匹も引っ掛かっている。中央には、手首から吊るされた凍りついた女の死体……これらはいつも儀式で見ている。
 ケネスは白い息を吐き出して中を見回した。
 お目当てのものは、一番大きな豚の隣にあった。
 逆さまの女が背中を向けた状態で吊るされていた。
 ケネスはフックの周りを回って死体を眺めた。正面から見ると、鎖で縛られた足首の間に鋭く太いフックの先が食い込んでいた。女は下腹部から乳房の間まで切り裂かれ、重力に従って、飛び出した血塗れの臓物が垂れ下がって凍りついていた。
 ケネスは「よっこらせ」と重い体を屈ませて、霜のついた床にあった女の左手を見下ろした。
 細く長い、陶器で作られたようなきれいな指だった。真珠貝のように美しい丸い爪の先は短く切られている。
 腹の底からふつふつと興奮が湧き上がった。血の巡りがよくなって、冷凍庫にいるのに身体が火照った。 
 ナイフを取り出し、人差し指の付け根に刃を当てがい、力を込めると、あっさりと切断できた。肉も血もすっかり凍りついている。ケネスはしゃがみこんだまま、指を顔の前まで持ち上げて見詰め、指先からゆっくりと口に含んだ。冷たく硬い指は、舌に載せて転がしたり、ねぶるうちに少しずつ柔らかくなっていった。張り詰めた肌の下にある骨……滑らかな爪……幼い頃、夏に食べたアイスキャンディーを思い出した。

「ジウン、悲鳴は必要か?」
 ケネスの問い掛けは、頭の中で繋ぎ合わせたリズムが未完成のままであるジウンにとって、思いがけない幸運だった。
「生存者をもらったの?」
「ああ。生きのいいやつだ。もう指はもらったが、まだ生きてる。好きにしろ。俺の領域にいる。楽しいサーカスを観てるぜ」
「そう。なら、一緒にサーカスを楽しもうかな」
「曲ができたら聴かせてくれよ」
「もちろん。一番最初に聴いてよ」
 ケネスは、自身の領域である『ファザー・キャンベルズ・チャペル』に行くために必要な『黒焦げた結婚写真』もくれた。焦げ臭い思い出は、受け取ると、黒い霧に侵食されて消えた。
 共犯者であり、よき友となったピエロの姿が霧に紛れ——視界がクリアになると、ジウンは朽ちた教会の真ん中に立っていた。ここには、神も神父もいない。厳かな雰囲気すらない。
 作りかけの曲を口ずさみ、近くのロッカーから羽のように薄い数十本のナイフを取り、カーニバル会場へ足を向けた。
 ケネスがくれたおもちゃは、すぐに見つかった。
 ナイフ投げで使用する丸い的に磔にされていた。手首と足首は頑丈な鉄の輪によって拘束されていて、右手の人差し指が欠けていた。売り込むためにユンジンに海外遠征を手配され、K-POPが人気の日本に行った時に見たことがある、漢字の「大」そのものだ。
「どうしてっ、こんなことするのっ」
 儀式で見たことのある顔だった。髪の長い女。名前は知りたくもないが、なんとなく、ユンジンに似ていて、ジウンは苛立ちを覚えた。
「君はもうこの森では不要なんだ。わかる?」
 的から数メートル離れたところでジウンは足を止めた。〝そういえば、前にケネスにここでナイフ投げを見せたっけ。こんな風に〟
 手にしたナイフを女に向けて投げた。鮮やかな刃は、女の頬の真横に突き刺さった。怯えた声。続けて二本投げる。頭の上と、目の横。
 ケネスからもらったおもちゃは、ジウンを存分に楽しませてくれた。録音した悲鳴は、ジウンの創作意欲を掻き立て、理想的な旋律が次から次へと浮かんだ。
 女が死んだ時には、曲は完成していた。
 すぐにでも、ケネスに聴かせてやりたかった。

 できあがった曲を、ジウンは披露してくれた。
 激しいリズムとメロディはケネスの時代にはなかったもので、圧倒された。スピーカー(エンティティから褒美でもらったらしい!)から流れる痺れるような激しいBGMは、よく聴くと、アレンジされた悲鳴が合成されていた。
 ケネスは、ジウンをいい奴だと思っている。おもちゃで遊ぶうちに、ずいぶんと親しくなった。酒を飲み交わしたり、食事をしながら、儀式の話や、祖国の話、仕事の話や、拷問と殺しの話をする。生まれた国も時代も、年齢すらも違うが、若くエネルギッシュな彼の中に潜む純粋な邪悪さも、アーティストらしい拘りも才能も、素晴らしいものだ。
「またいいおもちゃが手に入ったら教えてよ」
 乱れた闇を薄めたような色の髪をかきあげて、青年は切れ長の目を細めて笑った。爽やかな笑顔だ。
「もちろん。指以外はやるよ」
 悲鳴の残響に心地よさを感じながら、ケネスも笑った。ふたりの笑い声は重なって、ひとつになった。
 友情がふたりの間にはあった。それは悲鳴と指のコレクションが増えれば増えるほどに深く結びつく、血腥い絆だった。