※9周年記念に開催された仮面舞踏会のロード画面で表示されるスタッフコメントにあった『ヴィクトル専用のシルクハットがほしいな』というものが可愛かったので書きました。
今日の夕食は姉弟の大好物である鹿肉のシチューだったが、シャルロットの表情は曇っていた。
難しい年頃だ。なにかあったのかもしれないと心配になって、サリーは彼女の隣に座って「なにかあったの?」と訊ねた。
「サリー……」シャルロットは、膝に載せたまだ半分も減っていないシチューの皿から顔を上げて眉を垂らした。「実は、ヴェクトルがシルクハットを欲しがっていて、どうやったら作れるのかなって、悩んでいたの」
「シルクハット?」
彼女の胸の空洞に収まったヴィクトルが、頷き、スプーンを握り締めたまま目を輝かせた。
「今、仮面舞踏会が行われているでしょう? それに合わせてタルボット博士が正装していて、素敵なシルクハットを被っていたの。それを見て、ヴィクトルが博士と同じものが欲しいって利かなくて……」
シャルロットは溜息を零した。ほしいものがあると、ヴィクトルはそれが手に入るまで駄々をこねるのだ。
「私がなんとかするっていったのはいいんだけど……なにも浮かばないの」
「まあ、ヴィクトルはおしゃれさんね」
サリーはくすくすと笑った。ヴィクトルは得意げに胸を張った。
「そうねえ……この森には私くらいしかお裁縫ができる人がいないけれど、私もシルクハットは作ったことがないわ。エンティティ様にお願いしてみたらどうかしら」
「ああ」シャルロットの表情が和らいだ。「そっか。そうすれば、ヴィクトル専用のものがもらえるわね」
「たくさん生贄を捧げて、ご褒美にいただきましょう」
「うん。そうする。ヴィクトル、頑張ろうね」
姉は弟の小さな片手を握り締めた。
サリーの提案に安心したのか、シャルロットはシチューを食べはじめ、いつものようにおかわりした。
仮面舞踏会は終わり、霧と夜の箱庭は雪が降る季節になった。
〈クロータス・プレン・アサイラム〉にシャルロットとヴィクトルがやってきたのは、クリスマスパーティを明後日に控えた夜のことだった。
「サリー、見て!」
シャルロットは興奮気味だった。彼女の胸元で上機嫌なヴィクトルの手には、上品な深紅色の小さなシルクハットがあった。
「さっき、エンティティ様からご褒美にもらったの」
儀式を終えたばかりなのだろう、シャルロットの片頬には返り血がべったりついていた。服にも血が飛び散ったらしく、赤黒い染みは乾きはじめている。
「よく頑張ったわね」
サリーは彼女の頬の血をハンカチで拭い、頭を撫でてやった。
「素敵なシルクハットね。ねえ、ヴィクトル。せっかくだから、みんなに見せたらどう?」
ヴィクトルは鋭い歯の並んだ口を大きく開けて笑い、姉の胸元から飛び出して、シルクハットを被った。
殺人鬼たちは、日に三度、焚火の前に集まって食事を共にする。
己の領域を出ないものもいるし、輪に加わらない者もいるが、強制的なものではない。それでも、多くの仲間が集まる。
あらかじめ「食材調達係」と「調理係」を決め、儀式が七回終わるごとに交代する。食材調達は狩猟が主だ。この森には、色んな生き物がいる。果実が実る木もある。エンティティからもらった食材を持ち寄ることもある。
今週の「調理係」の当番はアドリアナとカレブとフランクだった。今夜のメニューは、ハムと卵のピザとフライドチキンにするんだと、二度目の食事の時にフランクが嬉しそうに言っていた。
サリーとシャルロットたちが霧の中から現れると、焚火を丸く囲う丸太に腰掛ける仲間たちは、すぐにヴィクトルの変化に気付いた。
「あら、小さな紳士の登場ね」
アドリアナが、山盛りのフライドチキンをエヴァンとフィリップが持っている皿に取り分けながら言った。
「タルボットのシルクハットに似てるな」
「エンティティ様からもらったの?」
ヴィクトルは三人に向けて大きく頷き、焚火の傍まで走って、短い両腕を振ってその場にいるみんなに無邪気にアピールした。
リラックスして丸太に腰掛けて、フライドチキンにかぶりつき、太い骨から器用に脂の乗った鶏肉を歯でこそげ落としているヒルビリーが目を丸くさせる。「ヴィクトル専用のシルクハット? おしゃれだね」
その隣で、四人の若者が「めっちゃプリケツじゃん」「ちっちゃくて可愛い~」「ファッションショーみたいね」「高そうな帽子だな」と笑っている。もちろん嘲笑ではない。微笑ましさから出るものだ。
不自由な片足に負担を掛けないように座っているカレブが、酒瓶を手の中で転がし、肩を竦めた。「おもちゃならいくらでも作ってやれるが、俺もさすがにそれは作れねえ」
和やかな雰囲気の中、またひとり腹を空かせた仲間がやってきた。
タルボットだった。
彼を見て、ヴィクトルは両足を弾ませるように走り寄った。
「……見テ!」
ヴィクトルは舌っ足らずに言うと、頭の横で精一杯両腕を伸ばして高々とシルクハットを掲げ、しっかりと被り直した。
タルボットは、昆虫の口器のように裂けた口元から蜜を滴らせてヴィクトルを見下ろした。一秒二秒と沈黙が続く。
「……似合っている」
寡黙な化学者は、それだけ言って、曲がった背骨をさらに曲げて、己の膝下にも満たない大きさのヴィクトルの頭を、シルクハットの上から撫でた。
「よかったわねえ」
愛らしい子供と、子供に不慣れな男のやり取りを眺めて、サリーはふわふわと浮いたままシャルロットを見た。
弟を見詰める自分が微笑んでいることに気付かないまま、シャルロットはゆっくりと頷いた。「うん。よかった。本当に」
——ママン、私たちは、大丈夫よ。生きていけるわ。
温かくなった胸の中で亡き母に語りかけ、かけがえのない仲間たちのいる焚火の方へ歩み出した。