潜熱

「せんせーって、モテますよね」
 事務員の女性職員から受け取ったばかりの自分宛ての手紙を手にソファに戻ると、寛いでいたエイメルの後輩がぽつりと呟いた。
 彼の両隣に座っているふたりが大きく何度か頷いた。訊き間違いかと思って「なんだって?」と返すと、三人は顔を見合わせた。
「やっぱり、モテてる自覚ないんですね」
「今のだって、わざわざ医務室に来る必要ないじゃないですか」
 背凭れに寄り掛かって、マグカップを口元に寄せながら思案する。「いつも持ってきてくれるからありがたいと思っていたけど……そういえば遅番の医師は受付に寄って手紙を受け取ってから来てるな……」
「ほらー。絶対せんせーのこと好きですよ、彼女」
「それはないだろう。接点がないし、挨拶しかしたことがない」
 三人は見えない糸で繋がっているかのように、ほぼ同時に首を振って溜息をついた。
「先生のそういうところ、心配になります」
「この前アイスクリームを奢ってくれたじゃないですか。せんせーひとりでキッチンカーの前のベンチで待っていた時に、ふたり組の女の人に声を掛けられたの、覚えてます?」
「ああ、美味しい店を教えてくれって話し掛けてきた観光客か」
「そうそう。アレ、観光客じゃないですよ。せんせー、逆ナンされてたんですよ。全然気付いてなかったですけど」
 コーヒーを飲み込んで噎せた。マグカップをテーブルに戻して、顔を顰める。
「私達が割り込む前に、『ここのアイスクリーム屋のジェラートも美味しいですよ。それじゃあ』ってスルーしていて安心しましたよ」
「そうそう。先生が鼻の下伸ばしてたら軽蔑するところでした」
「誰に好意を向けられても、興味がないよ。俺が惚れているのはエイメルだけなんだ。知っているだろう?」
「相思相愛ってヤツですね」
「せんせーはエイメル先輩のこと、どれくらい好きですか?」
「エイメル先輩のどこが特に好きですか?」
 後輩達は目をキラキラと輝かせた。質問責めを前に、咳ばらいをして立ち上がる。
「さあ、休憩は終わりだろう? 午後も頑張れよ」
「はーい。あ、せんせー、ちなみに今夜の予定は?」
「エイメルと食事に行く約束をしている」

『ワーカーズハイ』で食事をして、エイメルを自宅に招いた。
 ソファに並んで動画配信サービスで映画を観ようとテレビの電源を入れた時、エイメルが「そういえば」と切り出した。
「あの子達に、変なことを訊かれませんでしたか?」
「ん? 特に訊かれてないよ」
「そうですか……」
 煮え切らないとでもいうような反応だった。リモコンを片手に、テレビ画面から意識を外してエイメルを見た。視孔から覗く、物言いたげな赤い双眸と視線が重なった。
 幼い子供を問いただす親のように、名前を呼んで首を傾げて言葉の続きを催促する。
「……ああ、いえ、その、あの子達が目をキラキラさせながら、貴方が如何に私のことが好きなのかを熱弁してきたものですから、何かあったのかと思いまして」
 エイメルは逸らした顔を片手で覆った。
「ああ、なるほど」
 医務室の奥の休憩室でのやり取りを思い出して苦笑いする。
 リモコンをテーブルに置いて、ありのままに、他者に好意を向けられていたことを話した。エイメルは黙って聞いていた。困惑することも狼狽えることもなく、嫉妬という感情を剥き出しにすることもなかった。ただ黙って聞いていた。そして「あの子達ったら」と笑った。「貴方と私のことが気になるのですね」
「俺が誰かに鼻の下を伸ばしてたら軽蔑するってさ」くすくすと笑ってエイメルの方へ距離を詰める。「ありえない話だ。こんなに君に夢中なのに」
「貴方が私を想ってくれているのは知っていますから、心変わりしてしまうのではないかという心配はしていませんよ」
「俺も心配はしていないよ」
 額を突き合わせて、口唇器官を重ねる。膝の上にあった掌が引き合って指が交わると、互いへの揺るぎない信頼と熱烈な親愛が体温となって伝わるようだった。
「俺には君がすべてなんだ」
「私もです。貴方を愛しています……」
 舌を吸い、吐息を絡めて、エイメルを抱きかかえるようにしてゆっくりと倒れ込んだ。肘掛けに載せた頭を反らしたエイメルのシャツの襟元に顔を埋めると、首の後ろに指が回った。名前を呼び、抱き締め、求めた。身体の境界線が曖昧になって、熱が弾けて魂が混ざり合う。
「映画はまた今度にしよう」
 舌先で口端を拭って身体を起こし、リモコンを手繰り寄せてテレビを消した。熱情のままに秘め事を紡ぐのに、ノイズは不要だ。
 テーブルの上のコーヒーが冷めてしまうが、構わない。今はただ、唯一無二の愛を喰らい尽くしたい。