※架空のダイナーの店名が出てきます
毎年この季節になると、街の発展を祝う記念日として盛大なイベントが催される。
昼は、街のシンボルのひとつでもある広大な森林公園を沿うようにしてパレードが行われ、夜になると、街の東にある大河から花火が打ち上がる。ナイトライフも豊富なので、眠らぬ街はいっそう賑々しくなる。
歴史のある記念日だ。誰もかれもがこの日を楽しみにしている。
そんな市民や観光客の安全を守るため、治安維持部隊の隊員たちも各々任務についている。公道規制に伴う誘導と雑踏警備が主だが、駐車対策や、急病人や怪我人の対応をすることもある。
私は、今年は街の西側で警備を行っている。幸い、今のところ事件や事故は起こっていない。しかし、最後まで気を抜かず、任務に当たるつもりだ。
照り付ける太陽が、少しずつ地平線に向けて傾いている。あと三時間もすれば、夜のメインイベントである打ち上げ花火がはじまるだろう。
休憩に入り、本部に戻る前に、国道沿いのダイナー『サン・アイランド』に寄って、名物である大きなソーセージが挟まったホットドッグと、チキンフィンガーをテイクアウトした。アイスコーヒーも頼んだが、喉が渇いていたので車内で飲み干してしまった。
まだ温かい紙袋を提げて、医務室にいる彼の元に向かった。今日は彼は遅番だから、今は休憩時間のはずだ。
診察室にはいなかったが、奥の小部屋の窓際に立っていた。いつも下ろしているブラインドが上がっている。
窓にうっすらと反射する私に気付いたのか、声を掛ける前に、彼はゆっくり振り返った。
「ああ、お疲れ」
「お疲れ様です、先生」
彼は私の手元を一瞥した。「俺もちょうどこれから夕飯なんだ。一緒に食べよう」
「はい。ぜひ」
今日は彼の弁当を作らなかった。私の負担になるからと、お互いの勤務時間が大幅にズレる時は用意しなくてもいいと彼が提案したのだ。弁当がない日は、出勤途中に飲食店に立ち寄って——行くのはもっぱら『ワーカーズハイ』のようだが——テイクアウトをしているらしい。
彼は片隅の小型冷蔵庫を開け、屈んで覗き込んだ。
「そうだ、あいつらから差し入れをもらったんだった」
彼が取り出したのは、『ワーカーズハイ』のテイクアウト用のフードボックスと、パトロールの途中で時々立ち寄るドーナツ店の箱だった。後輩たちは、たまに彼に差し入れをするのだ(そして、私との日々の生活はどうか根掘り葉掘り聞いてくるらしい!)。
「あ」
重ねた箱をどこか嬉しそうに抱えていた彼は、一刹那動きを止め、壁掛け時計を見た。
「エイメル、屋上で食べよう」
「屋上ですか? 構いませんが……夜ですよ?」
「そう。夜だから行くんだ」
彼に促されるまま、医務室を出た。
当然ながら、屋上には誰もいなかった。
昼間なら、設けられたベンチに座って食事をしたり、自動販売機で飲み物を買って休憩する隊員もいる。
自動販売機の下部にある電照版に大きな蛾が貼り付いていたが、お互い気にしなかった。取り出し口に落ちてきた二本の冷えたミネラルウォーターのボトルを彼が取ると――「引っ掛かって取れない」と扉をがたがたやっているうちに――蛾は飛び去っていった。
ベンチの片側にどっかりと腰を下ろし、彼は鼻息をついた。一拍遅れて座って、釣られてふーっと息をはくと、肩の力が抜けた。
治安維持部隊の本部であるこの建物は、周囲の建物よりもやや高いので、街を見下ろす形になる。眠らぬ街は夜でも明るいので、屋上に燈がなくとも困らなかった。
紙袋からプラスチック容器に入ったチキンフィンガーを取り出して蓋を外した。持ち上げたホットドッグの包みはずっしりと重く、まだほんのりと温かい。包みを開くと、閉じ込められていた焼けたソーセージの香りがふわりと立ち上った。
「国道沿いの『サン・アイランド』のホットドッグか」
「ええ。時々無性にあそこのホットドッグが食べたくなるんです」
「わかるなあ。俺もホットドックが食べたくなったら『サン・アイランド』に行くよ」
「噛んだ時にパリッと弾ける皮と、粗挽きの肉の食感がクセになるんですよね。ザワークラウトとも相性抜群で、ボリュームがあるのにあっという間に食べ終わってしまいます」
「そうそう。ソーセージの焼き加減が絶妙なのもまたいいんだよな」
「パンもふわふわで、ほんのり甘くて美味しいですよね」
彼は小さく笑って、何度も頷いた。
使い切りの個包装のケチャップと、スパイシーマスタードの封を切り、ソーセージにたっぷりとかける。彼も膝に載せたフードボックスを開けた。
「今日の先生の夕食は何ですか?」
「テリヤキセットにした。他世界の料理らしい。肉を焼いて、甘辛いタレで味を付けて艶を出したものだって。マスターが言ってた」
真っ白なご飯と、付け合わせの数々が仕切られた四角い箱の中、メインディッシュとなる料理を盛る場所に、魅惑的に茶色く照った切り分けられた肉の塊があった。
「艶やかですね……なるほど、それで照り焼き……」
「エイメルも照り焼きははじめてか。食べてみないか?」
「いいんですか?」
「うん。はい」
中央の一切れを突き刺したプラスチック製のフォークがそのまま口元に運ばれる。遠慮なく、口唇器官を開いて肉を頬張った。
「…………! 美味しいです。これはご飯がすすむ味付けだと思います」
「ご飯を大盛りにして正解だったかな」
ふたりで笑った。夜風が吹き抜けて、食欲をそそる匂いが流れていった。
ホットドックに齧りつき、チキンフィンガーを一緒に食べた。
残すは、後輩たちの差し入れのドーナツのみになった。
掌よりも二回りほど大きな箱を開けると、ドーナツがふたつ入っていた。チョコレートと、シュガーだ。こういう時、譲り合うことはなくなった。互いにどちらを選ぶかはもうわかっている。彼はシュガー。私はチョコレートを選ぶ。
「そろそろかな」
粉糖がたっぷりかかったドーナツを平らげた後、彼は腕時計を見た。
何がです、と問う前に、遠くで口笛のような音がして、意識が一瞬彼から逸れた。次の瞬間、心臓が震えるほどの大きく低い音が聴覚器官を揺さぶった。
咄嗟に顔を正面に戻した。今度は音が連続して続く。
ずっと遠くで、花火が打ち上がっていた。
赤。青。黄色。緑。白。紫。ピンク……鮮やかな火花は次々と色を変えて弾け、大輪となって夜空を彩っていく。
「ここからなら、よく見えると思ったんだ」
「花火のために、私を誘ってくれたんですか?」
彼の横顔を、遠くで瞬く花火がうっすらと縁どっている。
「年に一度のお祭りだ。俺達も、花火くらい、見てもいいだろう」
視線が重なった。白い仄燈が彼を照らす。私を見詰める眸には、唯一無二の親愛がこもっている。顔が火照ったが、今は、赤面してもきっとバレないだろう。
「花火、綺麗ですね」
「そうだな。俺達は今、贅沢にも火樹銀花の景色を独占しているワケだ」
「カジュギンカ?」
「火に照らされた樹に、銀色の花。こんな風に、街の燈や花火の閃光が綺麗に輝いている場景のことだよ。美しい言葉だろう」
「貴方は本当に博識ですね」
彼は控えめに微笑んだ。ふたりの時にだけ見せる、リラックスした、穏やかな表情だった。
揃って花火を見詰めていると、ふたりの間に置いていた手に、彼の手が被さって、ベンチの中央まで引き寄せられた。何も言わずに掌を反転させて、指を互い違いに組んで握り返し、体温を移し合った。
不意に名前を呼ばれた。
意識を横に向ける。花火の音が大きくて、彼の言葉が聞き取れない。
それでも――何と言ったのかはわかる。
「私もです。私も、貴方を――」
最後の言葉は花火に遮られてしまったが、しっかりと届いたようだ。
その証拠に、優しく握られた手に、微かに力がこもった。
この甘いひとときを、永遠と呼んでも、許されるだろうか。