※食材の名称や料理名を明確に表記しています
「しまった、ミルクを買い忘れた」
冷蔵庫を覗き込んでいた彼は、ドアを閉めてこめかみを掻き、〝やってしまった〟という表情で火にかけている鍋の前へ戻ってきた。
「私もすっかり忘れていました」
サラダに使う野菜を洗う手を止めて顔を見合わせて苦笑いする。
今夜は、ミルクを使った煮込み料理にしようと決めていた。先程スーパーマーケットに行った時は覚えていたのに、途中で他の食材に気を取られるうちに、ミルクのことは頭から抜け落ちてしまった。
「私が買いに行ってきましょうか?」
「いや、大丈夫」彼は居間の窓を一瞥した。「雨が降ってきたし、そんな中ミルクだけ買いに行ってもらうのは申し訳ない。ミルクの煮込み料理はまた今度にしよう」
「ここからメニュー変更となると……どうしましょう……」
「そうだな……」
彼は思案するように顎に手を添えた。鍋の中では、くたくたに煮えた野菜とごろごろした肉が味付けを待っている。
「まだこの状態なら選択肢はある」
彼は弾かれたように顔を上げ、私の方へ顔を巡らせた。
「味付けの濃い甘辛い煮物と、スパイスの効いた辛い煮込み料理なら、どちらがいい?」
「悩みますが……そうですね……後者が食べたいです」
以前『ワーカーズハイ』で彼と食べた辛い料理を思い出した。治安維持部隊の隊員たちにも人気の、白い粒上の食材にかかった汁状の茶色いアレだ。
白い粒上の食材を「米」といい――他にも言い方はある。彼は「ご飯」と呼んでいる――辛い方は「カレー」という。
どちらも他世界から持ち込まれたものであることを、のちに知った。彼のために弁当を作るようになってから、色々な食材や料理を知ったのだ。
一緒に暮らすようになって、家でもカレーを作るようになった。米に至っては、今では主食のひとつになっている。
「よし。決まりだな」
彼はラックに並んだスパイスの瓶に手を伸ばした。
「さあ、食べよう。腹ペコだ」
食卓に向かい合って座った。白い深皿に盛られたご飯にたっぷりかかったカレーは、食欲をそそる匂いを漂わせている。
付け合わせはサラダだけにする予定だったが、彼が「せっかくだからがっつり食べよう」と分厚い肉を揚げ、切り分けて、カレーに載せてくれた。
黄金色の衣を纏った肉は、圧倒的な存在感だった。
米とカレーと共に掬い上げた一切れは、空腹だと特に魅惑的に見えた。
口唇器官をがばっと開いて頬張った。噛み締めると、耳当たりのいい音がして心地よかった。柔らかく、噛めば噛むほど肉汁が溢れてくる。辛さの中にある濃い旨味が遅れてやってきた。
よく噛んで飲み込んで、ほうっと吐息をつく。「美味しいです」
「カレーにしてよかったな」彼は嬉しそうに笑った。
ふたり揃っておかわりした。
鍋に残ったカレーは、明日食べることになった。
「二日目のカレーも美味しいんだ」
彼は空になった皿を見て満足そうに言った。
「明日が楽しみです」
聞こえていた雨音は、いつの間にか止んでいた。明日はきっと晴れるだろう。