「すっかり遅くなっちまったな。今日はありがとな、パス」
ボリュームたっぷりの花束越しに、隣で両手にライムの入った紙袋を抱えた親友を見て笑うと、冬の澄んだ夜気に白い息が溶けていった。
発注ミスで足りなくなったライムを買いに行くがてら、人手があるのをいいことに、いつも店に飾る花束を頼んでいる花屋にも寄ってしまった。
付き合ってくれた礼に、親友の好きなものをひとつプレゼントすることにしてロボット用のパーツを扱う専門店を訪ったわけだが、彼の気に入りのアタッチメントを絞るのに一時間も掛かるとは思わなかった。
「いいよ。買い物は大好きだ。僕の方こそ素敵なプレゼントをありがとう」
「気に入ってくれたならよかったぜ。花屋でのアドバイスも助かった。俺一人じゃ決められないからな」
色とりどりの花の香りを吸い込み、うっとりとため息を零す。川沿いの煉瓦敷の遊歩道を並んで鷹揚と歩いていると、不意に寒気がした。進めば進むほど、身震いするほど寒くなった。寒さには慣れているし、風が吹いたわけでもない。
「やけに寒いな」
「大丈夫?」
「ああ。変だな」
足を止める。吸われるように、視線が左側にあるアーチ橋の方へ向いた。
橋の真ん中に髪の長い女が立っていた。
欄干に手を置いて俯きがちにじっと真下の川面を見詰める横顔は、どこか憂いを帯びている。そうしなければならないように女を見詰めていると、酔ったランパートに冷水をぶっかけられた時のように身体の真ん中から四肢の先まで、体温が奪われていく。
冬の夜なのに、女はびしょ濡れだった。髪の先や筋の通った皇の頭からぼたぼたと水が滴り落ちていた。白いコートはぐっしょりと濡れて、足元に溜まりを作っている。
「マジかよ」
息をするのを忘れていると、女の顔がこちらに少しずつ、コマ送りのように向いた。弾かれたように顔を逸らす。鼻先が花束に埋まる。心臓が早鐘を打っている。
そういえばこの場所は、女の幽霊が出ることで有名な橋だった。
「あれ、あの女の人、人間なのに体温がないね。それに蜃気楼みたいに立ってる。どうして?不思議だ」
「パス、早く行こう、な?」血の気が引く感覚に泣きそうになりながら、んとか笑顔を作って早足でその場を去った。
人通りの多い繁華街に戻ってくると、先程見た女は幻だったのかもしれないだとか、ただのびしょ濡れの人間だったのかもしれないだとか、都合のいい考えばかりが浮かんだ。
それでも、一刹那見てしまった、もの悲しい眸の奥底に潜む無念の影を思い出すと、背筋が冷たくなる。
「いいかパス、俺たちは見ちまったんだ。さっきのは幽霊だ」
「幽霊をはじめて見たよ。人間は幽霊が怖いんでしょ?」
「俺は別に、怖くねえ。ほんとうだ」花束を抱え直し、胸を張るが、虚勢であることは、親友にはお見通しのようだった。
「この世に未練を残して死ぬと、ああやって化けて出るんだ。後悔なく生きたいもんだよな。俺はまだ死にたくない。それに俺が死んだらみんな悲しむだろ?」
「うん、君がいなくなったら寂しい。エリオット、悲しいことを言わないで」
ジョークを交えてみたつもりだったが、親友は、ひどく悲しそうに言った。アッシュの件から――失恋に終わった、はじめての恋!――彼はなにかを失うことや、周りから誰かがいなくなることに対して過敏になっていた。
「冗談さ、パス。俺はあと……あと……そうだな、百年は生きる。俺がじいさんになっても、俺たちは親友さ」
肩をすくめる。彼の真っ青な胸部ディスプレイが、いつもの朗らかな色に戻るのを期待して。
「僕は君と楽しく生きるよ」
「ああ、そうしてくれ。いつまでも笑っていようぜ。約束だ」
握り拳を親友に向けて突き出す。すぐに一回り大きな拳と重なった。
親友の鋼鉄の身体は、生き生きとした熱を持っていた。
ネオンサインのけばけばしい燈に、友情がきらきらと照らされた。