目を見開いた時、自分がいる杳とした空間が現実のものなのか、はたまた夢の中のものなのかわからなかったが、何度か瞬きをすると、意識が完全に覚醒した。
「……夢……」
ナイトテーブルに置いてある携帯端末に手を伸ばして時刻を確認する。ぼんやりと発光する液晶画面には、AM02:03と表示されていた。
身体を起こして、携帯端末の横にあるランプのスイッチを手探りで押す。燈が灯ると、部屋を包む夜の膜が裂けて、眠気が流れ落ちていった。
「……っ」
服の下でじっとりと汗ばむ肌に顔を顰めた。背中を丸め、腿に両肘を立てて、組んだ指の背に顎をのせ、ぼうっと壁を見詰めて、見ていた夢を思い出してみる。
敵に殺される夢だった。
裂けた腹から流れる血は止まらず、指先から徐々に熱を失い、命が削れていくのを感じながらも、苦痛の中で声を上げることもできず、死にたくないと強く願い――目が覚めた。
生々しい夢は、身体中に残る古傷が開いてしまいそうなほど恐ろしかった。
食堂に行ってなにか温かいものでも飲もうと、腰を上げ、ブーツを履いて部屋を出た。
夜間灯の頼りない燈だけが点いた食堂でちびちびとハーブティーを飲んでいると、「夜更かしか?」聞き慣れた声が寂とした静寂を破った。
首を巡らせると、燈の欠けた入口にテスカトリポカが立っていた。
「怖い夢を見て、目が覚めちゃって」
こちらへ鷹揚と歩いてきたテスカトリポカを視線で追いながら言う。
テスカトリポカが向かいの席の椅子を引くと、椅子の足と床が擦れる鈍い摩擦音が薄闇を震わせた。
「どんな夢を見たのか中ててやろうか」
彼は椅子に腰を下ろすと、身体を傾けて、窮屈そうに長い足を組んだ。
「おまえのことだ。死ぬ夢でも見たんだろう?」
「ど――」口元に寄せていたマグカップをテーブルに戻す。「どうしてわかったんですか?」
「簡単なことだ」
テスカトリポカは示指と中指でテーブルをこつこつと叩いた。黒く塗られた短く切り揃えられた爪が、天井から差す燈を浴びて艶やかに照っている。
「おまえは最も死を恐れている」
マグカップを包み込む指先に自然と力がこもった。
「見損ないました?」
「いいや。たとえおまえが死を恐れていても、弱かったとしても、最期まで戦う意志を捨てずに勇敢に戦うのなら、冷遇はしない。敗北した時は、オレの楽園でもてなしてやる」
楽園の入口でテスカトリポカと焚き火の前で交わした言葉を思い出そうとしたが、瞼の裏に浮かぶのは、去りゆくデイビットの背中だった。
マグカップの中のハーブティーに視軸を落とす。
「わたしは死にたくない。ううん、まだ、死ねない。まだやることがある。わたしは戦わなくちゃいけない。ここで逃げたら、七つの世界を否定することになる」
胸に込み上げるのは痛みを伴う闘志だった。奥歯を噛み締めてもう一度テスカトリポカを見上げると、彼は薄い唇の端を持ち上げていた。
「いい目だ」テスカトリポカは、サングラスのレンズの奥で目を細めた。「ゆめ忘れてくれるなよ。生き残ることは強さでもあるが、戦いに勝って命を繋ぐのと、死を恐れ、臆して生き延びるのとではまったく違う。オマエが戦う意志を捨てた時、オレはオマエを殺す。死後もその魂は救わない」
マグカップから伝わる熱が恋しくなるくらい、テスカトリポカの言葉は冷ややかだった。
「わかってます」ハーブティーを一口啜ると、喉が熱くなった。「そんなことは、絶対にしない。わたしは戦います」
「それでいい。それでこそオレのマスターだ。さて、それを飲んだらさっさと寝て、忘れることだな。夢は所詮夢でしかない」
「そうします。あの、ワガママなんだけど、寝るまでそばにいてくれないかな」
「なんだ、甘えたがりか? まぁいいぜ。なんならおやすみのキスでもしてやろうか?」
「うん、してほしい」
冗談だとわかっていながら、戯れにふっと笑みを返す。
「サービスしてやるよ」
テスカトリポカは楽しそうに小さく肩を揺らした。
ハーブティーを飲み終えて立ち上がると、食堂の壁掛け時計の針は、午前二時四十五分を指していた。
夜の闇が一番濃い時間に、ふたりで部屋まで歩いた。わたしから剥がれ落ちた悪夢の欠片が廊下に点々と続き、一歩一歩進むたびに身体に刻まれた戦いの痕が疼く。
死の足音が少しずつ近付いてきて、すぐうしろで止まって、得も言われぬ恐怖が覆い被さってきた。瑞々しい生が冷たい死の奔流に呑まれてしまいそうになって、テスカトリポカの腕に手を回してしがみついた。わたしの手よりずっと大きな彼の手にすがり、剣呑と眉を寄せる。
テスカトリポカはなにも言わずにわたしの手を握り返してくれた。それだけで、被さった死のヴェールがはらいのけられる。
「おまえにはオレがいる。なにも恐れることはない」
テスカトリポカの囁きが静寂を打った。
彼の美しい金色の髪と白い肌が、生き生きとした夜の闇に烟っている。
死を恐れるわたしは、死へと誘う神に縋っている。