※なんちゃって史書風の話です。
※『冥府史』は、大国、冥府にいた学匠たちが残した史書だけでなく、各人物の伝記を含んだものを史家が編纂した、冥府における正史を記録した正式な史書である。
※現在『冥府史』は以下の史書を中心に編纂されている。
冥府の祖、前王サトゥンの時代より書かれたもので、王家の者について書かれた『王族記』、サトゥンの不老不死の研究について書かれた『不死禄』、覇権戦争について書かれた『革命記』、冥府で起きた戦争についてや、年表や地図、領主や騎士団について書かれた『冥府戦禄』一巻から四巻、冥府に存在する魔族や魔物について書かれた『地底分布図・魔』。
なお、各人物の伝記には、一部他国の史書に記載されていた逸話を含んだものもある。
※以下、『冥府史』より抜粋したものを掲載する。
なお、『冥府史』は現在も編纂中のため、各人物の伝記については最低限の事象しか書かれておらず、また、冥府の滅亡については触れられていない。
『王族記・サトゥン伝』より
サトゥンは冥府の祖にして死を司る神である。
サトゥンは永遠の命を欲し、不老不死の研究を行っていた。研究には多くの国民が犠牲になった。サトゥンは不老不死の研究の一環として子孫を残すために人間の女を妻として迎え、三人の息子をもうけた(『不死禄』より)。
長男をデスハー、次男をデスパー、三男をオウケンという。中でもデスハーは最も濃く血を受け継いだが、サトゥンの期待する成果は得られなかった(『デスハー伝』より)。一方、三男のオウケンは不老不死という特異体質で生まれたとされている(『オウケン伝』より)。
サトゥンの統治は悪政そのものであり、サトゥンは暴君とも称された。
のちにサトゥンは、息子三人の叛逆により討ち滅ぼされた。
『王族記』より
デスハーはサトゥンの実子である。
母は地上の出の人で、人間である。デスハーは長兄であり、弟にデスパー、オウケンがいる。
デスハーは冥府の真の祖ともされている。
『革命記』より
デスハーはサトゥン時代に実弟であるデスパーとオウケンと共に冥府の覇権を巡って叛旗を翻した。これを「覇権戦争」という。総司令官であったデスハーは、参謀のデスパーやオウケンとともにわずか三百の傭兵で勝利を収め、サトゥンを討ち滅ぼし、サトゥンの時代は終わった。
革命後に即位したデスハーは冥府を統一し、治世を成した。
『王族記・デスハー伝』より
デスハーは冥府の真の祖ともされている。
幼少期より教養が高く、武に優れ、果敢であった。雷を操る力を持ち、呪いが視え、また、テレパシーで弟のデスパーと交信することができたが、決して能力や才をひけらかすようなことはしなかった。
サトゥンの時代には騎士団団長を務め、数多の戦で勝利に導いた。
「覇権戦争」で父であるサトゥンを討ち滅ぼしたあと王となり、サトゥンの時代より衰退の一途を辿っていた冥府を統一し、復興させた。デスハーの治世は秩序と安寧をもたらし、冥府は平和で豊かな国となった(『革命記』より)。
デスハーは質素で勤勉な人である。また、規律を重んじた厳正な人であり、統率力もあった。デスハーは軍事や政といった才幹にも優れていた。デスハーは多くの臣下や国民から慕われ、賢王と称された。
国民がデスハーを慕って街に像を建てたところ、デスハーは像の顔の部分を金棒で打って破壊した。デスハーは父に似た顔に劣等感があり、鏡を見るのが嫌いだったとされている。
『王族記・デスパー伝』より
デスパーはサトゥンの二番目の息子で、デスハーの一番目の弟である。博学才穎な知者で、慧眼を持つ軍略家である。温厚な人柄で人望も篤かった。
デスパーは幼少期より、他人に触れることでオーラを視ることができたり、才能を測ることができたという。
成人後、デスパーはデスハーの参謀となり、数多くの功績を残している(『革命記』『冥府戦禄』より)。
デスパーは「覇権戦争」の決戦前夜、傭兵たちの暴虐な振る舞いに耐えられずに戦場を去った。デスハー即位後、デスパーは王の元に戻り、大蔵大臣に就き、また、参謀としてデスハーを支えた(『革命記』より)。
デスパーは金にだけは目がなかったが、部下には褒美を分け与えていたという。
デスパーはオウケンが不老不死になってから、デスハーと共に古今東西、ありとあらゆる治療法を探ったが、解決には至らなかった。
デスパーは城勤めを辞めたあと、城市で暮らすようになり、剣術師範として数人の弟子を育てた。
『王族記・オウケン伝』より
オウケンはサトゥンの三番目の子で、デスハーの二番目の弟で、末子である。デスハーやデスパーと違って超人的な特殊能力はなかったが、身体能力が卓抜していた。オウケンは剛毅直諒な人で、武勇に優れ、身の丈は六フィートを優に越す大男であった。
オウケンは優しく素直な一面がある一方で、規律に厳しい激情家でもあった。
「覇権戦争」にてデスハーと共にサトゥンを討ち滅ぼしたあと、サトゥンの側近であった文官がデスハーの前でサトゥンの不死の研究を称えたところ、オウケンは「貴様風情が不死を語るな」と激昂し、その場で文官の首を刎ねたという(『革命記』より)。
デスハー即位後、オウケンは騎士団団長に任命され、数多の戦場で勝利した。
オウケンは不敗を極めた名将であり、「冥府の剣王」と称された(『冥府戦禄』より)。
冥府に大敗を喫したA国では、子供が泣くと「冥府の剣王が来るぞ」と言うと、子供はぴたりと泣き止んだという(A国・史書『A国史』より)。
オウケンは日頃より「蛮勇と勇敢は違う」と部下に説き、時には引き際を弁え、生存を優先するよう教え込んでいという(『冥府戦禄』より)。
オウケンが二十五歳の時、不老不死が発症した。
不老不死の進行は進み、オウケンは徐々に自我を失った。兄であるデスハーは正気を失ったオウケンの捕縛を騎士団に命じた。騎士団はオウケンを止めることができないでいたが、デスハーが直々に捕縛に向かい、オウケンはデスハーの雷が直撃したことによって気絶し、その後は地下牢に長きに渡り幽閉された。
※以下、『冥府史』は史家により編纂中である。