キマイラの手

 同盟国である、海を越えた先にある東の国より遠路はるばるやってきた王子と使節一行の微笑みは、日出ずる国にふさわしく朗らかなものだった。

 この国からは、主に綿織物、生糸、絹や茶葉などを輸入している。この国のお茶は透き通った翡翠色で、独特のまろやかな渋みがあって美味い。

 夜には一行を歓待する晩餐会が開かれ、食堂は久し振りに華々しい賑わいを見せた。

「デスハー王にお召し上がりいただきたいものがございます」

 使節は整った白髭の下で笑むと、兄者の前で恭しく頭を垂れた。

 食堂のドアが開き、新たな料理が運ばれてきて、兄者の前にスープ皿が置かれた。兄者と揃って中を覗き込む。皿からはみでそうなくらい大きな茶色い分厚い肉の塊があった。

「キマイラの手でございます」

「ほう、珍しいな」

 兄者は平然としていたが、私はぎょっとしてしまった。大昔――オウケンが産まれて間もないころに引退したが――この城には父の代から腕の立つ料理長がいて、彼がよく父や母に魔物の肉を提供していたのを思い出した。

 今でこそ魔物を食べることは少ないが、まさか調理されたキマイラを見ることになるなんて。

 兄者は子供のころに、リヴァイアサンのステーキや、ヒュドラのシチューを食べたことがあるのは知っているが、キマイラはどうだろう。しかも、皿の中をよく見たら、しっかりと獣の手の形をしている……。

「キマイラの手は幸運を呼ぶとされています。滋養強壮にもよいとされており、我が国では王が好んで食されます。ぜひ、ご堪能くださいませ」

「いただこう」

 兄者はそう言って、キマイラの手を端から切りはじめ、さきほどまで食べていたサラダを食べるのと同じく一口頬張った。

「柔らかいな。美味い」

「お口に合ったようで、なによりでございます」

 使節は眦を下げた。そして私の方を向いて「デスパー様もぜひお召し上がりください」言った。

「ああいえ、私は……」

「デスパー」

 兄者に言葉を遮られ、ぐぬぬと歯を食い縛る。兄者は瞼を半分下ろして、意地の悪い笑みを浮かべていた。

「いただきます……」

 兄者のように平然としているように取り繕ったつもりだったが、口から出たのはか細い声だった。

 料理はすぐに運ばれてきた。使節は笑顔で一揖して去っていった。

 無言で皿の中の手をしばらく見詰め、ナイフとフォークを手に取り、意を決して手首の付け根の部分を切り取り、おそるおそる口に運んだ。

「…………!」

 臭みはなく、脂がのっていて、口の中でほろほろと肉が崩れた。東の国で好まれている甘辛い味付けではなく、我々に合わせてくれたのか、香辛料の効いた味付けだ。ワインやハーブで煮込んだのだろうか、芳醇な香りが鼻に抜けた。噛み締めれば噛み締めるほど肉の味がする。

「キマイラって、こんなに美味しいんですね」

「あの国ではキマイラは余すところがないという。中でも手は貴重で、王族しか食べられないものだと聞く」

「兄者がそんなことを知っているなんて、意外です」

「友国の食文化だからな。知っておいて損はない」

「それにしても、美味しいですね」

 キマイラの手は、爪や細かな骨の処理までされていて、ステーキを食べる時のようにナイフの刃はスムーズに通った。

 気が付けば夢中で食べていた。

 兄者と揃って手を平らげると、東の国の王子がテーブルにやってきた。キマイラの手が美味であったことを伝えると、彼は喜んだ。

 それから、このキマイラは王が直々に狩ったものであることを教えてくれた。

「我が王は鷹を使って狩りを行います」

「鷹、ですか」

 王子の話は興味深いものだった。どうやら私は、まだまだ学ぶことが多いようだ。