燈を消して

 その夜、デスパーは夕食の席に現れなかった。

 それどころか、昼間から姿を見ていない。書庫に行ってみたがいなかった。学匠から勉強を教わっているわけでもなかった。

 心配になって部屋に行くと、燈のない部屋の中で、デスパーは寝台に腰掛けていた。

「なにをしているんだ、こんな暗い部屋で」

 寝台の横のナイトテーブルに置かれている、火が消えた三又の燭台に燈を灯してやると、部屋の中が明るくなった。

 どうやら弟は泣いていたらしい。目の縁が赤くなっていて、瞼が腫れぼったかった。

「なにかあったのか?」

 デスパーは鼻を啜ると、泣くのを堪えるように唇を引き結び、膝を抱えた。

「父上に、叱られました。……役立たずと」

 膝の間に額を埋めて、デスパーは言った。小さな小さな声だった。「私は何故、兄者と違って非力なのでしょうか。オウケンを護ってやりたいのに、私には兄者のような力がない。あなたを頼ってばかりで……」

「デスパー」

 言葉を遮り、弟の隣に座って、背中を摩ってやる。

「父上がオレたちを褒めたことがあったか? 考え過ぎるな。お前は非力なんかじゃない。まだ幼いだけで、これから成長していくさ」「私はもう、幼くありませんよ。子供扱いしないでください」

 デスパーは顔を上げた。長い睫毛に囲われた眸が潤んでいる。涙は今にも溢れてしまいそうだ。

「まだ子供だよ、オレも、お前も」

 そう言ってデスパーの頭を撫でる。昔はこうしてやると喜んだものだ。そういえば、オウケンが生まれてからは撫でる機会が減った。「子供、ですか」デスパーは目を瞬かせ、視線を逸らし、力なく笑った。「そうですね……私たちは、まだ子供だ……」

「覚えておけ。武術だけがすべてじゃない。お前にはお前の、誰にも敵わない特別な力がある。それをこれから見付けて、伸ばしていけばいい」

 デスパーの眸から涙が溢れ、膝頭にのった手の甲に滴り落ちた。弟は喘ぐと、弾かれたように抱き付いてきた。嗚咽を堪えて震える背中を優しく叩いてやる。父になにを言われたのか見当はつく。デスパーはずっとひとりで抱えていたのだ。弟を追い詰めた父が許せない。

「もう泣くな。男前が台無しだぞ」

 腕の中で、デスパーの強張った身体から力が抜けた。

「兄者」

「ん?」

「今夜は、一緒に寝てくれませんか?」

「ああ、構わない」

「あとで兄者の部屋に行きます」

 弟は熱っぽい息を吐き出し、目元を擦った。

 控えめなノックのあと、ドアが開いて、白い寝衣を着込んだデスパーが入ってきた。片手には書物があった。

 デスパーは寝台に上がると、ヘッドボードに背中を預けてすぐにページの厚い書物を開いた。

「なにを読んでいる?」

「兵学の戦術書です。昼間学匠に借りました」

「面白そうだな。オレも今度借りてみよう」

 一言二言交わして、シーツに寝そべって、枕と頭の間に組んだ手を差し込んで、眠気がくるのを待つ。

 うとうとしはじめたころ、寝所のドアがノックもなく開いた。

「兄者ぁ」

  ドアの隙間から顔を覗かせたのはオウケンだった。顔は鼻水と涙にまみれている。

「オウケン、どうした?」

「魔物に食べられる夢を見たんです」

 オウケンはドアを閉めると、寝台まで走り寄ってきて、服の袖でごしごしと顔を擦った。弟は、気に入りの木製の騎士の人形を握りしめていた。

「今夜は兄者と一緒に寝たいです」

「おいで」

 まだ四つにも満たない弟は、夜な夜な、怖い夢を見たり、寂しくなるとたまにこうして部屋にやってくる。

「今日はデスパー兄も一緒なんですね。三人で寝られるなんて、嬉しいです」

 靴を脱いだオウケンを抱き上げて、自分とデスパーの間に下ろすと、オウケンは「兄者が真ん中です!」四つん這いになってシーツの上を這って、場所を移動した。

 左右から弟たちに挟まれた。横になったオウケンに毛布と上掛けを被せてやる。もちろん、騎士の人形も一緒に。

 さすがに、三人並ぶと狭い。

「兄者!」

 オウケンはぎゅっと抱き付いてきた。柔らかい石鹸の香りがした。

 本を閉じたデスパーは物言いたげにこちらを見下ろしている。

「デスパー?」

「オウケンばっかり、ずるいです」

 弟は唇を尖らせたあと、書物をナイトテーブルに置き、毛布に潜り、腕にしがみついてきた。

「私だって、兄者に甘えたい時くらいあります」

「まったく、お前たちは甘えん坊だなあ」

 火を消して、弟たちと身を寄せ合って眠った。狭かったが、悪くなかった。

 弟たちの穏やかな寝息は生き生きとしていた。