隣に座す学匠の手にした指し棒の先端が、開いた書物の一文をなぞる。
目で追うと、そこには「武断政治」とあった。
意味は知っている。昨日習った。権力を振りかざし、武力で支配する政治のことだ。
「よいですか、デスハー様。武断政治では、世は治まりません。民の声に耳を傾け、政を為してはじめて真の泰平の世となるのです。あなたにはいずれそのような王になっていただかなくてはなりません」
うん、うん、と曖昧に頷きながら聞き流す。座学の時間は退屈だ。はやく剣術の鍛錬がしたい。
勉学の師であるこの馴染みの学匠は、厳格だ。頑固で、なにを考えているのかわからないので今でも少し怖いが、誰にでも平等な清廉な士であり、先見の才があり、弁も立つ、冥府でも名うての知者である。
父の臣下は初対面の時、父にそっくりなオレの顔を見て大抵は一瞬驚くような表情をするが、彼だけは平然としていて「明日からあなたに勉学を教えます。心して臨むように」と言い付けて宿題をたっぷり出してきた。
物心ついた時から世話になっているが、最近彼の髪に、白いものが混ざってきた。
「では、武断政治とは対蹠的な政治のことをなんというか、覚えていますか?」
「えっと……」頬杖を突いたまま彼の髪からずらした視線を虚空に投げる。「文治政治」
「ではその意味は?」
「……治安維持や、法の制定、経済発展の下支えになる設備や整備を充実させて、秩序を安定させる政治のこと」
「よろしい。今日はここまでにしましょう」
学匠の険しい顔がわずかに緩んだ。ほっと溜息を吐いて身じろぎする。
「デスハー様、お待ちを」
学匠は座学用の机から離れ、部屋の隅の自身の机――恐ろしいほど几帳面に物が置かれている――からなにか持ってきた。
「お手を」
「…………?」
言われるがままに片手を出す。
手渡されたのは、なにかを丸く包んだ白い包み紙だった。口が開かないように、上部がしっかりと捩じられて閉じられている。
「これは?」
「ビスケットです。あとでお食べなさい」
「いいのか?」
学匠は眉ひとつ動かさず、なにごともなかったかのように机の上の書物を片付けはじめた。
「では、明日も同じ時刻に。復習を忘れないように」
「うん!」
「返事は「はい」ですよ」
「はい!」
ビスケットの包み紙を大事に両手で抱えて学匠の部屋を出た。自室に戻る廊下を早足で歩きながら、いつ食べようか考える。ジャムと一緒に食べてもいい。そしたら紅茶が必要だ。
胸の中があたたかくなった。バターの甘い香りが鼻先を擽った。