賢王の騎士

 デスパー兄に連れられて、久し振り城市を訪れた。

 城市の南は、冥府をおとなった商人の露店が軒を連ね、見たこともない異国の品々が並び、我々の目を楽しませてくれる。商人たちはしばらくこの国に滞在したあと、逸品を求めて他国を巡るため、露店は日々入れ替わるが、ひねもす賑わいを見せている。

「オウケン」

 雑踏の中でデスパー兄の声がして振り返る。外出用の黒貂の襟巻をしたデスパー兄のうしろで、随伴している隊長が、いつの間にか円錐型の白い彫り物を抱き抱えていた。

「兄さん、なにを買ったの?」

「南国の工芸品である鯨歯の彫り物です。見事でしょう」

 まじまじと見てみると、鯨歯の表面には、複雑で精緻な模様が彫られていた。

「なにか気になるものは見付かりましたか?」

「今のところは特に。もう少し見てみます」

「掘り出し物が見付かるといいですね。私はあっちを見てきます。行きましょう隊長」

 デスパー兄と隊長が人混みに消えるのを見送って、兄たちとは反対方向にむけて歩き出す。

「オウケン様ではございませんか」

 露店を見て回っていると、聞いたことのある声に呼び止められた。意識を声のした方へ向ける。

 赤ら顔の恰幅のいい店主が、露店のカウンターの内側で丸い顔に笑みを浮かべていた。

 数年前から定期的に冥府にやってきて商いをしている馴染みの男だった。彼の商品は評判がよく、人柄も大らかで誠実で、彼はこの国ではすっかり名うての商人になっていた。

「久しいな、来ていたのか」

「はい。西を巡って戻ってまいりました。よろしければご覧ください」

「ああ、見せてもらおう」

 敷布に覆われたカウンターには、様々なものが並べられていた。白磁の水差しや皿、味わい深い色合いの絨毯、馬や獅子をモチーフにしたアクセサリー、デスパー兄が好きそうな冥府にはないデザインの帽子……。どれも珍しい品々だ。

「これは?」

 ふと、灰色の被毛に覆われた丸みを帯びた塊が気になって手に取った。それは関節から切断された小さな獣の足のように見えた。切断面にあたる部分は真鍮の兎の頭で覆われ、目にはルビーが嵌められている。

「ああ、それは」商人の腫れぼったい瞼の下で眸が小さく揺れる。動揺しているようだった。「オウケン様には似つかわしくない品でございます。その……(ラビット)()(フット)でございます」

(ラビット)()(フット)?」

「はい。ええ、まあ」商人は身じろぎした。額にどっと汗が噴き出した。「そちらは西の国で作られたものでして……『魔女を狩った証』として身に着けるものでございます」

「そんなものを」剣呑と眉を寄せて、手の中の(ラビット)()(フット)に視線を落とす。「身に着けてどうする?」兎のルビーの眸が明滅したように見えた。途端に、これが禍々しいものに思えた。

「西では魔女殺しは名誉とされておりますから、それを身に着けている者は、英雄とされます。まあ実際に魔女がいるのかどうかは、わかりかねますが……おっと、失礼、今のは忘れてください」

 無論この時代に魔女などいない。魔法を使える一族はとうの昔に滅んだ。ましてや、呪術や妖術を使って人に害をなす女などいない。西では、無実の女性が拷問を受け、殺されている。

 (ラビット)()(フット)をカウンターに戻す。奥歯を噛み締めて顎を固くさせ、拳を握り締め、つとめて冷静に振る舞い、その場を離れた。

 城市から戻ったオウケンが怒っていることに気付いたのは、夕食の席でのことだった。

 弟はいつもと変わらないように見える。平然としている。食事中に談笑もした。しかし、オウケンは胸の内側に煮えたぎるほどの怒りを隠している。末の弟は昔から、怒ると歯を食い縛る癖がある。ほんの小さな変化だが、見ていてわかる。

 デスパーがなにかやらかしたわけではないだろう。弟たちは仲がよく、喧嘩も一度もしたことはない。

 だから、夕食のあと、オウケンを寝所に呼んだ。

「なにがあった?」

 窓辺でテーブルを挟んで向かい合い、卓上の燭台の燈に照らされたオウケンの顔を見詰めて問う。

 オウケンは一刹那目を丸くさせたが、すぐに険しい顔で「実は」口火を切った。

 弟は西で横行している魔女狩りのことを話してくれた。(ラビット)()(フット)が英雄の証明になっていることも話してくれた。

「戦う術のない者を殺しておいて英雄か、西の王は愚かだな」

「他国の話であることはわかっています。しかし、怒りを抑えきれないのです。無辜の者たちを虐殺し、人殺しを讃えるなど愚行の極みではありませんか。人面獣心の王など、王ではない。それではまるで、まるで……」

「父上を思い出す」

 オウケンの言葉の続きを引き継ぐように言う。オウケンの精悍な顔立ちに嫌悪の影がよぎる。

「西の問題は我々が手出しできるようなことではないが、悪王はいずれ討たれる。ゆくゆく国は変わるさ。私たちの国のように」

 背凭れに背中を預け、窓の外に広がる見慣れた冥府の真の闇に顔を向けて言う。窓硝子に反射している燭台の燈が、茫洋とした闇をぼんやりと照らし出している。

「兄者」

 オウケンは立ち上がり、目の前で跪いた。

「私はあなたの剣として、あなたが変えたこの国を、命を懸けて護っていきます」

 弟は頭を垂れて続けた。

「この国の平和と秩序が続きますように。デスハー王の治世が続きますように」

 崇高な誓いの言葉が夜のとばりに混ざっていく。静寂がふたりの間で飛び跳ねた。

 西の王が実子たちによって討ち滅ぼされたという報せが兎のように速く冥府に届いたのは、それから半年後のことだった。