「城勤めをやめて、街でのんびり暮らしてみたいと思う時があります。憧れというやつかもしれませんね」
軍議のあと、廊下の途中で足を止め、中庭を見下ろし、薄く生やした口髭を撫でた。
同じく隣で立ち止まったオウケンは肩をすくめた。「城からデスパー兄がいなくなるなんて、考えただけで寂しくなるよ」
「責務から解放されて自由に過ごしてみたいだけなのですがね。お金を貯めたり……ああ、あと、花を育ててみたいですね」
「花?」
「自分の手で種を植えるところからやってみたいのです」
「デスパー兄が育てた花なら、きっと綺麗だ」
手入れがされ、堂々と咲き誇る花を想像すると、笑みが零れた。スコップとじょうろなんて、もう長らく持っていないが。
「そうだ。オウケン、久し振りに街の花屋に行きませんか? 部屋の花瓶に生ける花が欲しいと思っていたところです」
「花屋か……兄さん、いっそのこと、種を買ってこよう。中庭なら育つはずだ」
「いいですね」
弟の提案は、とても魅力的だった。
見るものを惹き付ける紫色の花弁を有する花と、情熱的な赤い花、そして、オウケンが選んだ透徹とした青い花弁を持つ花の種をたくさん買ってきて、早速中庭の隅に植えた。
生き生きとした草と土の匂いは新鮮だった。掘り返していると、ミミズや小さな甲虫が出てきた。土に触れるのは子供の時以来だったので、少し驚いた。
土を被せ終わったところで、オウケンが種と一緒に買ったブリキのじょうろに水を汲んできてくれた。
じょうろを受け取ると、ずっしりと重たかった。
「芽吹くのが楽しみですね」
「花が咲いたら、兄者にも見せよう」
じょうろの先から水が降り注ぐのを見据えて、オウケンは子供のころから変わらない笑顔で言った。
「そういえば兄さんは、子供のころに三人で花畑に行ったのを覚えている?」
「おや、ずいぶん懐かしいことを覚えていますね」
「花冠を作って王様ごっこをしたよね」
「そうですねぇ」
「デスパー兄が一番格好のいい冠を作っていたっけ」
「私は器用なのでね」
じょうろの水がなくなった。
青々とした葉の上で、滴がきらきらと光っていた。
オウケンは目を細めた。彼が見ているのは、遠い日の思い出だろう。父の非道も、恐れも、死も、戦も知らなかった、無邪気だったあのころの。
春が残した思い出は、今でも胸の中にある。よく覚えている。オウケンは花の冠を兄に被せて、跪いて舌っ足らずに騎士の誓いを立てていた。
「……これでいいでしょう。また明日水をやりに来ましょう」
「うん。明日、鍛錬のあとに見に来よう」
気が付けば、辺りは暗くなっていた。
不揃いな影が並ぶ。
記憶の種子は、訪れた冥府の夜に埋められた。