差し向かいで飲み交わしていると、会話が途切れた時に、酔いが気だるい沈黙を連れてくることがある。
そういう時は見詰め合い、どちらが先というわけもなく笑う。
沈黙すら心地よく感じるほど、互いにリラックスしていた。交わった視線の間で酔いに任せた淫らな火がつくこともある。その時はそのまま寝室に行くが、今は劣情をもよおすよりも、魅惑的な彼の眸に蕩けてしまった。
「お前の目の色が好きだ」
「私の?」
彼は不思議そうに目を瞬かせた。
「角度によってはアンバーにもブルーにも見える。いいな。もっと近くで見たい」
彼がゴーグルを外して半日以上経つが、太い鼻梁の付け根と額には、くっきりと密着していたレンズの縁の跡が残っている。Apexゲームのあとはいつもそうだ。
腰を上げて、椅子を引き摺って彼の方に寄せ、座り直す。伏せがちの睫毛の長さもよくわかる距離になった。
生身の掌を頬に添える。間接照明の燈の加減か、眸は澄んだエメラルドブルーだ。
「サルボの海を思い出す色だ。お前の眸はほんとうに美しい」
高揚感が胸を満たした。この眸に映るのは自分だけだ。親密な関係になれたことを喜ばしく思う。
「その距離で満足か?」
挑発的な囁きだった。ああ、彼は酔っている。
「キスしてもいいか?」
「訊く前にすればいい。らしくないな、フィッツロイ」
距離を詰めて、ガスマスクの排気弁にキスをした。
聞こえるはずのないさざ波の調べがした。
今はもういない、幼馴染と見た故郷の海の。
「……どうした?」
「……すまねぇ。サルボの海の話をしたら、マギーのことを思い出しちまった」
胸につかえる苦い記憶は、喉に詰まった言葉を押し上げた。
「あいつとは、別の道があったんじゃねぇかとか、今でも考える時がある。覚悟してたつもりだが……かつての相棒を喪うってのは、やっぱり堪えるもんだな」
ごまかすように肩をすくめる。
空っぽの左の眼窩が疼いた。
彼は顔を逸らして黙った。甘いムードをぶち壊してしまったのは明白だった。
「そう怒るなよ。悪か」
胸倉を掴まれ、引き寄せられた勢いで言葉は途切れた。
「私はお前を慰めようとは思わない。お前の喪失感は私にはわからない。お前自身がした選択が正しかったかなど私は知らない」
強い意思の宿った眸がすぐそばにあった。
「マッドマギーのことで感傷に浸り、彼女を死に追いやった悔恨を背負って生きていくというのならそうしろ。もしも抱えきれなくなったら私を頼れ。一思いに楽にしてやる。だが、覚えておけウォルター。人は生きているからこそ無限の可能性がある。生者には、なにごとにも代えがたい価値がある」
彼は語気を強めて言い切ると、手を離した。
「とはいえ貴様に死なれては困る。汚れ仕事を引き受けてくれる人間はそうはいないからな」
呆気に取られて瞬きを繰り返していると、彼は、ばつが悪そうに顔をしかめて「つまり」だとか「その」と歯切れ悪く続けて言葉を詰まらせた。
「貴様は私のものだ、フィッツロイ」
「お前のものになれるとは、嬉しいもんだぜ」
「私とともに生きろ」
咳ばらいのあと、彼は静かに言った。
胸の内側で穏やかに脈打つ心臓の音が聞こえる。
そうだ。死んだら人はそれでおしまいだ。人生という舞台の幕が降りる。人が死んだらどうなるのか、幼い頃から、母星で幼馴染と散々見てきたではないか……。
五十年もの間、何度も死地を乗り越えてきた。骨が折れようと、歯が欠けようと、片目を失おうと、腕がなくなろうとも生きてきた。なにしろ、生者には偉大な価値がある。命さえあれば、なんだってできるのだから。
「俺もお前と生きたい」
指を伸ばし、すがるように彼の首のうしろに腕を回してしがみついた。厚い胸に寄り掛かり、肩口に顔をうずめる。あたたかい。生きているのだから当然だ。今この瞬間も、命は燃えている。
生きていたい。
生きていていい。
生きるしかない。
「らしくねぇ、しけた話しちまったな」
離れて、照れくさくなって破顔する。彼もいつものように喉の奥で笑った。
「酔いが醒めたぜ」
「飲み直すとしよう」
「そうだな」
そういえば、昔出会った詩人が言っていた。「どうせ年をとるなら、陽気な笑いで顔にシワをつけたいものだ」と。
これからは、彼の隣でそうやって生きていく。
ボトルに残っていたウイスキーが注がれた。
「俺たちに」
二度目の乾杯をして、計り知れない生の価値と色濃い夜を飲み干した。