獣たちの夜

 冷蔵庫で冷やしておいたビールを片手に上機嫌でソファに戻ると、風呂上がりの彼に真ん中を陣取られていた。構わず隣の狭いスペースに腰を下ろそうとすると、身体が密着する前に、彼はクッションひとつ分ずれた。

 微風が生じて、シャンプーの匂いが鼻先を掠める。すっかり嗅ぎ慣れた、男物の、安っぽくない落ち着いた香りだ。

 鋼鉄の親指を瓶口の先に添えて蓋を押しやると、あっけなく開いた。喉を潤そうと口元に引き寄せた時、動きを止めてふと隣を見ると、緑色の眸が物欲しそうにラベルに注がれていた。

「一口やるよ」

「いただこう」

 差し出すと、彼は素直に受け取った。

 どういう仕組みかわからないが、この男はガスマスクを着けたまま飲む。コーヒーを飲む姿をはじめて見た時はほんとうに驚いたものだ。

 濡れた髭に隠れた喉仏が上下している。彼は上等な酒を嗜むが、時々こうして安酒を求める。そしてそのあと、悪い熱に浮かされてセックスをする。

 淫靡な興奮がじわじわと腹の底から沸いた。いますぐにでも押し倒したい。

「なぁ」戻ってきたビールを目の前のテーブルに置き、語を継ぐ。「ここで抱いていいか?」

 いつものように「はしたないぞ」と押し鎮められることも、ねちねちと嫌味を言われることもなかった。

 沈黙は情欲に火をつけた。

 身じろぎしながら自分よりも大柄な身体に被さって、足の間に下半身を割り込ませると、男ふたり分の体重を一点に受けたシートが深く沈んだ。

 彼はガスマスクの排気弁から呼気を漏らして、じっとこちらを見詰めてくる。感情が唯一窺える目に剣呑の影はない。就寝前にヘッドボードに寄り掛かって文庫本の文字を追っている時と同じ目だ。ただ目に入るものを見る——続きを期待して。

 極上の馳走を前に喉が鳴った。

「ああ……その目。まるで獣だな、フィッツロイ」

 ゆっくりと美しい眸が瞬いた。肘掛けに広がった髪が間接照明の燈を吸っている。

「食っちまうぞ」

「じっくり味わえ」

 排気弁から空気が抜ける音がした。

 肉厚な掌が首のうしろに回る。

 二匹の獣は、こうして夜を喰らう。