生物学の分野において、偉大な功績を残した研究者の死を朝刊で知った。
十数年前、学会で何度か顔を合わせたことがある。その時ですら、彼は百歳をゆうに超えていた。
人間の肉体から死という終焉をなくすため、晩年は自身の肉体を検体として研究に取り組んでいたという。
――氏は次のように述べていました。『人間は脳だけでも生きられる。それこそ真の「永遠」だ。人間とは究極の知的生命体である』そして氏は、永遠の命を望む人間を集め、ひとつの惑星を…………。
目だけで文字を追っていると、胸焼けがしてきた。
読むのをやめて、畳んでテーブルに放り投げると、向かいで食後のコーヒーを啜っていたヒューズが手を伸ばし「俺の番だ」新聞を掴んだ。
朝刊は一部しかとっていないが、彼はスポーツ面しか読まないので、いつもあとに読む。
空いた皿を片付けようと立ち上がる。
喉の奥で息が詰まって咳き込んだ。ガスマスクの排気弁から空気が抜ける音が煩わしい。
「おいおい大丈夫かぁ?」
広げた新聞紙の向こうから、ヒューズは間抜けな面を覗かせた。それを無視して鼻を鳴らすと、彼は困ったように笑って顔を引っ込めた。
さわやかな朝だ。ほんとうに。
昨晩から我が家に居座っているヒューズは、当然のようにベッドに入って、隣でごろりと寝そべった。
「今日一日考えてたんだけどよ、もし脳みそだけで永遠に生きられるとしたら、お前はそうしたいか?」
今朝新聞の記事で読んだ話題だった。ヘッドボードに背中を預けたまま、読んでいた本から意識を隣に向ける。肘枕を突いたヒューズを目が合った。
「お前はどうなんだ」
「決まってんだろ、俺はそんなのごめんだね。死ぬなら派手に死ぬ。魂が燃え尽きる瞬間まで俺らしくありてぇ。そんで後世に語り継がれるのさ」
目尻が柔らかく細まる。アイパッチで覆われていない閉じられた瞼は、傷跡が歪んだだけだが。
「……と、思ってたけどな。愛する男の腕の中で死にてぇとも思うようになった」
彼の生身の掌が、ブランケットの中で太腿に触れた。指はするりと皮膚を這い、足の付け根まで滑った。指を払いのけることができないでいると、熱っぽく名を呼ばれた。
読みかけの本に栞を挟んでナイトテーブルに置く。ヒューズが起き上がった。掛けていた眼鏡を外して本の横に並べると、すぐに組み敷かれた。胸の奥で心臓が早鐘を打つ。
「先ほどの質問の答えだが」
ガスマスクの排気弁から空気と体温が漏れる。
「私は無為に生き長らえるほど生に執着するつもりはない。そもそも人間の命に永遠などありえない。そんなものはこの世に存在しない」
片手を伸ばして、ヒューズの隆起した肩に爪を立てる。
「お前の言う『魂が燃え尽きる最期の瞬間』まで、私は思考し、選択する」
「へぇ、意外だ。培養液にぷかぷか浮かびたいもんかと思ってた。まさかお前と意見が一致するとはな」
「まったくだ。サルボ人にも知性があるとは」
ヒューズは喉の奥で小さく笑った。
肌着の隙間に手が差し込まれた。被さった影が濃くなって、耳元にヒューズの唇が寄る。
「お前の鼓動も魂も、今は俺のものだ。身も心も俺が全部もらう」 胸の奥が熱いのか、触れたヒューズの掌が熱いのかわからなかった。