夜のとばりに座す三日月が薄れてきた昧爽のころ、押し掛けてきたパスファインダーが持ってきたのは、金属製の楕円型のボトルだった。
ラベルに己の手の甲に刻まれているのと同じハモンド・ロボティクス社の忌々しいロゴマークがデザインされている以外は、これといって特徴のないシンプルなものだ。
中身が一体なんなのかは興味はないが、この図太いMRVNの装甲を剥がしてやりたくなった。
なにも言わずにボトルから視線だけ上げると、パスファインダーは得意げに胸を張った。
「ランパートからもらったんだ。市場にでまわっていない貴重なメンテンス潤滑油だ。正真正銘混じりっけなし! 一本しかないから、僕と君とで半分ずつ使おう」
「私がそんなものを使うと思うか?」
ぎろりと睨めつけてみるが、パスファインダーはけろりとしている。
「じゃあ、僕が全部使う。あとからやっぱり欲しいって言ってもあげないからね!」
「用が済んだのならさっさと消えろ」
「まだ帰りたくないよ。君と過ごしたくて来たんだ。一緒にメンテナンスしようよ」
パスファインダーは片手に提げていた工具箱を掲げた。胸部ディスプレイに映っていた感嘆符が、フェイスマークに切り替わった。フェイスマークの目はハートだ。二機の時は、常にこんな表示になる。
排気して、彼を招き入れた。
APEXゲームの参加権をひとりの男の命とともに奪い取り、のちに運営側から提供された仮初の居住――ベッドで朝を迎えたことはない。ソファでうたた寝をしたこともない。キッチンではコーヒーを淹れたこともない――から彼を締め出したところで、安穏と過ごせるわけでもない。
ネズミの足音を聞き逃さないほどの静けさの中で、退屈しのぎに外に出て、ビルの上から空を眺め、朝日の眩しさと一日のはじまりに嫌悪するだけだ。それならば、ここに彼がいた方がいい。くだらない会話に興じる方が幾分マシだ。
留め具を外すと両開きになるステレンス製の工具箱は、錆や傷の目立つ持ち主の装甲とは違ってピカピカだ。中には彼専用のメンテナンス用品が詰まっている。どこになにがしまってあるのかは知り尽くしている。
工具箱を開けて、中段のトレーを外しながら、ふと視軸を目の前で座り込んでいるパスファインダーの背中に戻す。
皮革に覆われた首元を見詰めていると、嗜虐心がゆっくりと鎌首を擡げて、パスファインダーから向けられた無垢な信頼に絡み付いた。
ここで彼を押し倒して、再起不能になるまで痛め付けてバラバラにしてスクラップ場に投棄しても、きっと誰も哀れなMRVNの行方を掴めないだろう。
自分の元に来るとはそういうことだ。
それなのに彼はいつだってそばにいたがる。警戒心も恐れも見せない。それどころか、機械には不必要な甘ったるくひたむきな親愛を向けてくる。戯れに付き合っていくうちに、パスファインダーという個体を――否、互いのことを知りすぎた。機械油まみれの歯車の間で芽吹いた繊細な慈しみは、今も確実に育っている。
「この私に急所を晒すとはな」
せせら笑って、音も立てずにパスファインダーの胸部に腕を回し、装甲に爪を……。
「わあ、これってハグ? レヴからハグしてくれるなんてはじめてだね。君とのスキンシップは大好きだ!」
興醒めして、鼻で笑い、宙で止めた手でパスファインダーのカメラアイを鷲掴みにする。
「レヴ? もしかして照れてるの?」
「うるさい。ドレンボルトごと回線を引き抜かれたくなかったら黙っていろ」
パスファインダーが振り向かないように、頭を鷲掴みにしたまま間髪置かずに言った。
背中にあるハッチの四方を止めるリベットをドリルで外して荒っぽく開けると、圧が抜けてこもっていた駆動音が漏れ出した。聞き慣れた音だ。彼は自分で内側からハッチを開けられないから、メンテンスをする時は手伝ってやらなくてはいけない。
剥き出しの体内に手を差し込み、慣れた手付きでチタン製のボルトを緩める。
ハッチを閉めてリベットを打つまで、ボトルのラベルは見ないようにした。
「絶好調だけど、パワーが有り余ってるみたい」
床に座り込んで、広げた足の間で空になったボトルを転がしていたパスファインダーが思い出したように言った。
「君と接続してる時みたいに動力コアの辺りが〝そわそわ〟する」
背凭れから身体を起こすより先に、真下で寛いでいたパスファインダーが身体をこちらに向けながら膝立ちになった。
意味ありげな静寂が、狂熱を掻き立てた。
「レヴ……僕、接続したい」
囁きのあと、自分よりも太い腕が腰部に這い、青い機体がのしかかってきた。背凭れとシートが沈み、尻の下でスプリングが悲鳴を上げた。たしか彼は八百ポンド以上ある。ロボットも座れる高耐荷重ソファといえども、二機分の重さを一点に受け止めるようには作られていないのかもしれない。
「私ごとソファを潰す気か?」
「ごめん。君を潰したらダメだよね。この企業が出しているソファは丈夫だからいいけど。昔、僕より重い友達がぎゅうぎゅうに詰めて座っても壊れなかったんだ。すごいよね」
「今はお前の知り合いの話などどうでもいい」
「わ!」
伸ばした足で、横から彼の胴体を挟んで引き寄せる。胸部ディスプレイと股座が重なった拍子に、前垂れが中途半端に捲れた。
「こういうの、セクシーっていうんだよね」
パスファインダーの分厚い掌が足の付け根を撫で、前垂れがはらわれて股座が剥き出しになった。
「そそるか?」
「うん、セクシーな君も大好きだ。あ、ねぇ」パスファインダーの指が排液口のハッチの輪郭をなぞった。「ずっと気になってたんだけど、この奥はどうなってるの?」
「知らん」
「知らないの?」
「知る必要もないだろう」
なにかが、彼の好奇心に火をつけてしまったらしい。パスファインダーはじっと小さなハッチを見詰めている。冷却処理のあとに廃油を排出するだけの穴といえども、羞恥心が湧き出てくる。
「……そんなに見るな」
パスファインダーのカメラアイを掴み取って、視線と意識を股座から逸らす。
そのまま機体を押し付け合って、ソファで接続した。下肢に深く割り込むパスファインダーの腰部に足を絡めて求めた。間で弛む二本のコードを伝って回路を巡る刺激を貪る。暗号化された信号が流れ込んできた時は情けない声が出たが、音声出力に必要な回線を切ろうとはしない。パスファインダーはそれを嫌がる。
機体の温度が上昇し、即座に冷却処理が実行された。胸部と同じスライド式の排液口のハッチに意識をやり、ロックを解除し、内側から解放した。
粘度の高い琥珀色の廃油は、すぐに股座を濡らした。
「レヴ、気持ちいい?」
答える代わりに、パスファインダーの腰を挟み込んでいた足に力を込めた。バランスを崩して前のめりになったパスファインダーのカメラアイが目前まで迫った。
「僕も気持ちいい……もっと君を気持ちよくさせてあげたい」
背凭れを掴んでいたパスファインダーの掌が、アラミド繊維で保護された腹を撫で、下肢へ落ち、廃油でぬめる股座で止まった。塗装が剥げて錆の目立つ角ばった指が、開いた排液口に滑り込んだ。
「なんのつもりだ?」
「君のここがどうなっているのか知りたい」
「そこはただの穴……」
指が深々と押し込まれた一刹那、感じたことのない衝撃が中枢神経コードの詰まった背骨を駆け上がった。
「………… 」
「なるほど! 中でパーツが保護膜に包まれてるんだね。シリコン製だね。弾力がある。膜と膜の間に僕のマニュピレータがあるのがわかる? 曲げると膜に弾かれて……あれ? レヴ?」
「……ッ、ウ、ァ、馬鹿な、こんな……しら、ない……!」
装甲の内側を形成するパーツを保護するシリコンの膜が吸収しきれなかった振動が、余韻となって脊髄まで伝播した。衝撃が微弱な刺激となって得も言われぬ快楽に変わったことに動揺したまま、腕を突っ張ってパスファインダーの上体を押しやったが、びくともしなかった。
「いつもみたいにパルスが乱れてる。よかった。ここも気持ちいいんだね」
「ちが、う……ッ、そこはッ……やめ、ろ」
体内に異物を押し込まれたことで動作不良を検知してもいいはずなのに、なにも起きないどころか、身体はパスファインダーからの愛撫を享受している。
「ほんとうにやめてほしいの? レヴは気持ちがいいといつもそう言うよね」
「それは……ク、クソッ……!」
図星だったが、快楽の炎に溶かされた理性が滴り落ちて、湧き上がった怒りを鎮めてしまった。
「僕のマニュピレータが二本も挿った。中はすごくキツくて、ぬるぬるしてる」
「ウ、グゥ……」
おそるおそる股座を見やる。パスファインダーの掌が上を向いて規則的に前後している。揃えられた太い指が抜け落ちそうな勢いで引き、また根本まで突き入れられ、味わったことのない甘美な疼きが腹の奥に広がった。指に絡んだ廃油が体内で膜と擦れて、こちゅこちゅと粘っこい音が漏れ、羞恥心を揺さぶった。
「君から送ってくれるパルス信号、いつもより幅が短いね。とっても気持ちがいい……」
「……ッ、ン、……ア……ァッ……」
悪態を吐く余裕はなかった。
とめどなく送られる電気信号と反復する淫らな摩擦に戦慄き、引き攣るような吸気と排気を繰り返すだけで精一杯だった。腹の内側を満たすパスファインダーの指は滑らかに前後している。付け根まで体内に埋まった指が腹側で折り曲げられると、反射的に腰が浮いた。
「アッ、そこは……、よせ……!」
身体が熱い。
恥ずかしい。
気持ちいい。
「……ッ、ア、ァ、パス……イッ……、ッ、~~~~~~!」
腹の中をこねくり回されて善がっていると、不意に回路を駆け巡っていたエクスタシーが弾けた。目の前で閃光が走り、四肢の感覚がなくなり、頭が仰け反って、全身がびくびくと痙攣する。
「……レヴ、僕ッ……、…………ん、……ッ」
彼も限界だったらしい。排液口から指を引き抜くと、のしかかってきた。機体を繋ぐ二本のコードが揺れ、装甲がぶつかって、耳障りな金属音が聴覚センサーをつつく。
パスファインダーの背中に回した腕を力ませてしがみつき、コードから流れ込んでくる高揚感を受け容れる。
ガニ股にだらしなく開ききった足の先が跳ね、刹那的な絶頂のあと、淫猥な静けさが二機を包み込んだ。
窓の外は、すっかり明るくなっていた。
差し込む朝日は事後のねっとりとした重い空気に似つかわしくない。
「すごく……刺激的だったね」
シートの真ん中にできた廃油の染みを避けて座り、胸部ディスプレイを憎たらしいほど鮮やかなピンク色に染め上げて、パスファインダーはぽつりと呟いた。今のが独り言でないのはわかっていたが、無視してのろのろと足を組んだ。
股座が切なく疼いている。
「今日は休みだよね。僕と一緒に映画を観ない?」パスファインダーがこちらに顔を向ける前に、距離を詰めて跨った。膝立ちで乗り上げて向かい合い「この前古い映写機を見付けて」彼が音声を出力しきる前に、カメラアイに人差し指を押し当てていた。
「予定はある」
悪い熱で火照った股座が、前垂れ越しに、彼の三連式バッテリーボックスの角に触れた。
「私はまだ物足りない」
「…………? レヴ、それって……」
「……続きをしよう」
含み笑いのあと、丸みを帯びた頭部に面を寄せて耳打ちする。パスファインダーの両肩が跳ねた。
無垢な陽光に、淫靡な興奮が暴かれていく。