「こんにちは」
ドアベルの音と男の声が、埃臭い静寂を破った。
声は正確には人の声を模した合成音声だったが、客が人間だろうとそうでなかろうと大した問題ではない。
カウンターから視線だけを入口に向ける。
汚れたガラス張りのドアの前に立つ人型のシルエットは、頭を除いて角ばっていて背が高い。狭い店内の半分を占める棚が小さく見える。ロボットだとすぐにわかった。
頭には大きな丸いオレンジ色の燈がひとつ灯っていて、胸には四角いディスプレイが座し、真ん中に可愛らしいフェイスマークを映し出していた。見たことがあるモデルのロボットだ。おそらくMRVNだろう。
「MRVNの客ははじめてだ」
今日の第一声は嗄れていた。
客が脇に抱えている荷物に一瞬視軸をずらして、燻らせていたパイプを唇から離す。
「僕はパスファインダー。ここに画商がいるって聞いて来たんだ」
パスファインダーと名乗ったMRVNは、足元を見ることなく床に立て掛けて並べられた大量の額縁の間を進んで、カウンターの前で止まった。
「俺がそうだ。なにを持ってきた?」
「この絵を見てくれる? この間友達からもらったんだ。何世紀も前に地球にいた有名な画家のものなんだって。とても貴重なものだって彼は言ってたけど、僕には価値がわからないから、わかる人に譲りたいんだ」
「ほぉ、見せてみろ」
頭上のライトを点ける。
パスファインダーが置いた「貴重な絵画」は幅二フィートほどの長方形で、安っぽい白い布で包まれていた。
「どれどれ……」
結び目を解く。出てきた絵画は、柔らかな陽光の差し込む窓辺に立つ、深紅のドレスを着て微笑む華奢な女を描いたものだった。女は今にも動き出しそうなほど生き生きとしていた。魅惑的な曲線を飾るドレスの生地が擦れる音が聞こえてきそうだ。ドレスも、見ただけで手触りが想像できる。非の打ち所がないほど精緻に描かれている。
「ははぁ、こりゃすごいな」
「きれいな赤い色だよね。こんな色見たことない。こういうの、人間は奥深いって言うんでしょ?」
「ああ。複数の色を重ねて作り出すんだ。宇宙を探し回ったってこんな美しい色はないだろうサ」
色使いやタッチから推測するまでもなく、彼の言う通り、誰もが知る画家の、鮮美透涼である最高傑作ともいわれる作品だ。若いころに美術品のオークションで見たことがある。あの時は競り落とせなかったが、まさか自分の店でお目にかかれるとは。
しかし、当時感じた、魂が燃える感動はなかった。そもそも、こんな上等なものを譲る人間がいるだろうか? ましてや、芸術を理解できないロボットになど。
疑問が暗雲のように頭の中に広がる。
答えは拡大鏡で見てわかった。
「よくできてるが、これは贋作だ。残念だが価値がない」
絵画が贋作だと判明すると、多くの人間は険しい顔をする。
ロボットである彼は、ディスプレイに映る顔で涙を流した。
「きれいな絵なのに、偽物というだけで無価値だなんて可哀想だ。僕の友達は贋作だと気付かなかったのかな?」
美しさを理解できるなんて、ずいぶんとおもしろいMRVNだ。
「いいや、これが真作じゃないことをわかっていたと思うぞ」
「僕の目は節穴だ」
「お前はさっき絵画の価値がわからないと言ったが、ロボットなのにこの作品をきれいだとも言った。節穴なんかじゃないサ。芸術に興味はないか? 芸術を嗜むロボットなんていないぞ。自分でなにか描いてみたっていいんだ」
「うん、いいね。僕は詩を作れるけど、絵は描いたことがない。描いてみたいけど、なにを描いたらいいかな?」
「なにを描いてもいい。見たものを感じたままに描いてみるといいサ。絵に描けばそれは永遠になる。たとえば、この絵の女は画家の恋人がモデルだ。彼女のことが好きだから描いたんだろう」
「永遠か。素敵だね。いつか僕に大切な誰かができたら描いてみる」
「ハハ、いいじゃないか。その時は俺が値を付けてやるよ」
彼が持ち込んだ贋作と引き換えに、未開封の絵具二箱と絵筆と、余っていたキャンバスをやった。
以来、あのMRVNが店を訪れたことはないが、彼の装甲に似た青い絵具を見ると、思い出してしまう。
彼は愛する人を見付けられただろうか?
ソラスシティの外れにあるパスファインダーが住居としているだだっ広い倉庫は、幼い子供の部屋のように散らかっている。
足の踏み場がないわけではないが、ロボットが使える高耐荷重家具やメンテナンス機材を除いて、あらゆる物が乱雑に置かれているのだ。
スペアにしては多すぎるパーツの数々、山積みのデータブック、交互に置かれた鍋掴みとグラス、ソファの半分を陣取る首長竜のぬいぐるみ、大きさの異なる花瓶は三つもある。ほかにも色んなものがあちらこちらに存在するが、ほとんどが意味のわからない場所にある。
彼曰く、スクラップ場から拾ってきた貴重なものや、誰某からもらった大事な代物らしいが、どう見てもガラクタの山だ。はじめてこの場所に招かれた時は、よくもこんなに不必要なものを溜め込んだものだと呆れたものだ。
とはいえ、パスファインダーにとってはすべて宝物らしいので、捨てろとは言わない。
「レヴナント、見て、懐かしいものが出てきた」
倉庫の奥から彼が持ってきたのは、二フィートほどの木枠に張られたキャンバスだった。上には筆先を透明なフィルムで保護された絵筆と、絵具セットが二箱載っている。
「そんなものまで持っているのか」
「ずっと前に画商にもらったんだ。大事にしまってたから、すっかり忘れてたよ。実は描きたいものがあるんだ」
「なにを描くつもりだ?」
キャンバスから顔を上げたパスファインダーと視線がぶつかる。
「君を描きたい」
「私を?」
「このキャンバスをもらった時に、僕に大切な誰かができたらその人を描くって決めたんだ。それが君さ。……僕のレヴナント」
彼の胸部ディスプレイがピンク一色になり、映ったフェイスマークの目がハートに変わった。熱く純粋な親愛から面を逸らすと、ソファの上のぬいぐるみと見詰め合うことになった。
「絵のモデルって、何時間も同じポーズを維持しないといけないんだ。大変そうだし、僕の〝思い出フォルダ〟の中にある君を参考にするよ」
「我々には時間はいくらでもあるだろう。付き合ってやる。退屈しのぎにはなるだろうからな」
「オーケー、じゃあ、そのソファに座って」
パスファインダーに促され、ソファを占拠していたぬいぐるみをうしろに放り投げて、真ん中に鷹揚と腰を下ろした。
「奥深い赤色、今の僕なら作れそうだ!」
パスファインダーのカメラアイには、自分はどんな風に映っているのだろう。
完成が楽しみだ。途中で絵具が切れてしまいそうだが、その時は、一緒に買いに行ってやろう。