その日も雨だった。
今の時期、キラットは雨季なのだとパガンは教えてくれたが、こう毎日雨が降ると、湿っぽいというか、なんだか憂鬱になる。
母と妹の眠る祭壇の掃除でもしようと、王宮の裏手の庭に出た。
雨足は朝よりも強くなっていた。耳朶を打つ雨音は荒々しい。草木と土の濡れた香りを吸い込んで、突き出た屋根の下でなんとなくぼんやりと色の欠けた濡れた景色を眺めていると、背後で扉が開いた。
背後を見やると、パガンが不思議そうな顔をして立っていた。
「エイジェイ? こんな雨の中どこへ行く?」
「気分転換に墓の掃除をしようかと思ったんだけど、思ったより雨がすごいな」
「そうか……」パガンの眦が細まった。母と妹の話になると、彼は穏やかな表情を見せる。
「この距離と言えども濡れて風邪でも引いたら大変だ。ちょっと待っていなさい」
パガンはそう言って踵を返し、室内に戻った。
ドアが閉まる前に首を巡らせ、見慣れた景色を見据え、ひとり土砂降りの雨の中立ち尽くす。大きな溜息が出た。
「待たせてすまない」
戻ってきたパガンの手には傘があった。
「中々見つからなくてね」
まさか傘を持ってくるとは、驚いた。
差し出された傘の柄を取る。
「あっ……」
「どうしたんだ?」
「いや、昔――」
子供の頃、母のおつかいの帰り道に突然雨が降り出し、雑居ビルの下で雨宿りをしたことがあった。雨はいつまでも止まず、寒さと家に帰れない不安で泣きそうになった時、母が傘を持って迎えにきてくれたことを思い出した。
そのことをパガンに告げると、彼は喉の奥で低く笑った。
「君の母さんも心配でたまらなかったんだろう。泣きべそをかく幼い君を想像すると微笑ましいよ。ああ、足止めをして悪かった。行くといい」
背中を叩かれ、傘を広げて、一歩踏み出す。水溜りを避けて歩を進め、はっとして足を止める。
「パガン」振り返って、彼を呼ぶ。「傘、ありがとう」
パガンは口の端を緩めて、満足そうに何度か頷いた。
そんな彼の姿が遠い日の母の姿と重なって、胸の中があたたかくなった。