狼狩りに随伴させていたプラットが姿を消した。彼がいつ、どこでいなくなったのか、連れ立った三人の部下もわからないという。「はぐれたのかもしれない」「いや、逃げたんだ」「そうだ、裏切ったに違いない」と徐々に怒りを剥き出しにする部下たちを黙らせ、ここで待つように言い、来た道を辿ることにした。
彼は自分を裏切らない。裏切れない。そんな確信を胸に、群生する草花を踏み締め、苔生した木々の間を進み、緩やかな斜面を下り、やがてハイウェイに出た。辺りを見回し、曲がりくねる灰色の車道を東に向けて歩き出す。群の外へと繋がるこの道は教団により閉鎖されているため、車は一台も通らない。
日差しを背に、少し前にプラットが足を止めてやたらと辺りを気にしていた場所に向けて歩いた。あの時彼はなにかを見ていた。それが一体なんなのかはわからない。
ほどなくして、探していた見慣れたうしろ姿を見付けて、足を速めた。彼は大樹の下に立っていた。
「なにをしている」
声を掛けると、プラットは弾かれたように振り返った。
「ジェイコブ……あ、すみません、俺……はぐれちゃいましたね」
「ここでなにをしていた」
「木を見てました」
プラットは困ったように眉を寄せると、目の前の大樹を仰ぎ見た。
「この木、なんの木かわかりますか?」
風に揺れる葉の隙間からまだらに差し込む日差しに濡れた横顔から視線を外し、彼に倣って木を見上げ、青々と生い茂る葉に目を凝らす。枝先まで互生してぶら下がった楕円型の葉身の輪郭は、細かく鋭い鋸歯状だった。この形は見たことがある。この木を知っている。昔、何度も見てきた。
「桜か」
風が止んで、プラットがこちらを見た。黒い目が丸い。
「……意外か?」
「少し驚きました」
彼は相好を崩した。この男の穏やかな表情を初めて見た。
「この辺りは全部桜の木なんです。春になって満開になると、きれいなんですよ。パトロールついでに毎年ここに見に来てました」
本当にきれいなんですと結んで、プラットはまた木を見上げた。麗らかな思い出に浸る彼と自分の間を吹き抜けた生き生きとした山背が、遠い遠い春の記憶を運んできた。
子供の頃、近所の農場のそばに桜の木があった。春が近くなって蕾が膨らむと、開花が待ち遠しくて毎日見に行ったものだ。可憐な薄桃色の花が咲くと、弟たちを連れて見に来た。たわわに咲く桜に、ジョセフはいつまでも見惚れていた。手の届く高さの枝を手折ってやると、ジョンは喜んだ。
春の細やかな楽しみだった。ある夏の終わりに、その木が切り倒されてしまうまでは。
「あの、ジェイコブ」
「なんだ」
「春になったら、ここに桜を見に来ませんか?」
眸に一握の期待を光らせ、彼は言った。いつも彼の眸に居座っている不安は、今は翳っている。
「俺がお前と花見を?」
腕を組んで頭を傾けると、彼は黙り込んだ。先日罠に掛かった狼の子供を思い出させる表情だった。
「まぁ、いいだろう」
「……えッ」
「覚えておこう」
鼻息を吐いて腕をほどく。プラットが肩の力を抜いた。
「さて、さっさと戻るぞ。もう勝手にふらつくな。次は捜さない」
踵を返して歩き出すと、うしろにプラットが続いた。
西日の眩しさに顔をしかめ、前を見据える。
瞼の裏に浮かんだ春が残した繊細な種子は、地平線の彼方に日が沈むように、傷だらけの思い出の中に埋もれた。