幼い頃の記憶は徐々に薄れていき、滾らせた情熱も募らせた想いも時が経てば冷めると、遠い昔に誰かが言っていた。
誰が言ったのかは覚えていない。酒場に入り浸る夢を諦めた酔っ払いが言ったのかもしれないし、ポート・ブリーズを訪れた名もなき旅人が言っていたのかもしれない。
なんにせよ、オレはその言葉を否定したい。
子供の頃に抱いた夢も、オイゲンに対して抱いた憧憬も、甘ったるい情も――そして、オイゲンと過ごしたかけがえのない時間も、しっかりと胸に刻まれている。
この記憶や想いは、絶対に薄れたりしない。
押しては引いていく白波の調べが心地好く耳に馴染む。頭上では真っ白な雲が碧空を悠々と流れ、カモメが帆翔している。アウギュステの澄んだ蒼海は太陽の光を反射させ、きらきらと煌めいて、穏やかな姿を見せている。絵に描いたような美しく長閑な夏の風景だ。
魔物がいないか見回りに来たものの、浜辺は平穏そのものだった。
「魔物どころか密猟者もいねぇし、平和なもんだぜ。今日はもう帰って一杯やるかぁ」
長年この地を護ってきた老兵は、愛銃を肩に担いで満足そうに笑った。
「いい天気だなぁ」
「そうだな」
オイゲンの呑気な声に相槌を返し、足を止めて海を見る。照り輝く水面の眩しさに顔をしかめ、意識を正面に向ける。
オイゲンの髪が潮風に靡いていた。広い背中が日差しに濡れている。
途端胸に懐かしさが湧いた。この感じを過去に味わったことがある。子供の頃のことだ。
あの頃は、オイゲンの背中が大きく見えたっけ。
オイゲンに憧れ、慕い、敬愛していた。子供ながらの純真な情愛は成長するにつれ、いつしか胸の奥深くで激しく燃え盛り、心を焦がした。
胸の奥で渦巻く熱い想いを吐露し、オイゲンが己を受け容れてくれた夜のことを思い出す。あの時は、心の底から嬉しかった。
「ラカム?」歩を緩めたオイゲンが振り向いた。「どうした?」
「なんでもねぇ。ちょっと、ガキの頃のことを思い出してよ」
「へぇ、なにを思い出したんだ?」
「昔アンタとこんな風に一緒に浜辺を歩いたなぁって」
「あー、オメェは海を見たことがなかったから、大はしゃぎしてたな」
オイゲンは遠くを見るように目を細めた。目尻の皺が深くなる。
「しっかしオメェもよくガキの時のことを覚えてるよな。オレなんて、ほとんど覚えてねぇぞ」
「アンタとのことは忘れたりしねぇよ。いつかに酔っぱらってドブに落ちたことだって覚えてるぜ」
「そ、そういうのは忘れろよ」
「冗談だ」
オイゲンが噴き出し、生き生きと笑った。つられて笑う。真上でカモメが鳴いた。
「さて、帰ろうぜ、オレ達の艇に」
「おう。帰るか」
オイゲンは大きく頷いて踵を返した。
白い砂浜を踏み締める。オイゲンの隣に立ち、歩調を合わせてまた並んで歩き出す。
首を巡らせると、後ろには二人分の足跡が波打ち際に沿って続いていた。