トラッパーとツインズ

 

 仕掛けた罠には、小鹿がかかっていた。
 小鹿は身体を震わせて鎖付きのトラバサミから逃れようと辺りをぐるぐると回っていたが、エヴァンの姿を見ると、悲鳴のような鳴き声を上げ、四肢を弾ませてめちゃくちゃに暴れはじめた。トラバサミと樹を繋ぐ鎖が張って、無機な音を立てた。小鹿がどんなに足掻こうとも、鋭いギザギザの刃に挟まれた左の前足がちぎれない限り、逃れる術はない。
 エヴァンは、怯える小鹿に近付き、細い首に手にした鉈を振り下ろした。確かな手応えのあと、小鹿の鳴き声は途絶えた。
 罠を回収して、小鹿の身体を担ぎ、エヴァンは踵を返し、血の痕を残して歩きはじめた。今夜のメニューはステーキで決まりだ。血も滴るようなレアがいい。
 ふと、人の気配を感じて、エヴァンは足を止め、辺りを見回した。生存者とは儀式以外では遭遇することはないので、仲間が近くにいるのだろう。
 首を巡らせると、月明りの差す樹々の間に、シャルロットの姿があった。彼女は背中を丸めて樹の根元を見たり、樹を見上げたり、まるでなにかを探しているように見えた。
「シャルロット」
 エヴァンが彼女を呼ぶと、シャルロットは胸に収まったヴィクトルと一緒に弾かれたようにエヴァンの方を見た。
「エヴァンさん」少女は目を丸くさせた。「あ、鹿だ」
「さっき仕留めた。今夜の飯だ。お前たちはこんなところでなにを?」
「私たちは……その……」
 エヴァンの問い掛けに、シャルロットは俯くようにしてヴィクトルと顔を見合わせた。悩む時、彼女は弟と顔を見合わせる。いつもの作戦会議だ。彼女たちはふたりでひとつなのだ。
 ヴィクトルは機嫌がいいのか、笑い声を立てて短い手をぶんぶん振った。それを見て、シャルロットは口の端を緩めた。
「実は、花を探してて」
「花?」今度はエヴァンが目を丸くさせる番だった。
「うん。サリーにプレゼントしたいの」
 シャルロットの険しい顔がほころぶ。年相応の少女の表情だった。
「サリーには、いつもよくしてもらってるから、お礼がしたくて」
「そうか。あいつも喜ぶだろう」
 エヴァンは仮面の下で目を細めた。サリーがシャルロットとヴィクトルをねんごろに面倒を見ていることを知っている。この邪神の箱庭にふたりが現れた時、最初に彼女たちを見付けたのはサリーだった。警戒心の強いシャルロットと、姉以外を信用していないヴィクトルが、少しずつ他の仲間たちに心を許していったのはサリーのおかげだとエヴァンは思っている。
 或る夜、焚火の前で、シャルロットがぽつりぽつりと己の生い立ちを語りはじめ、弟を護りたいと話し終えた時、サリーは「もう大丈夫よ」と姉弟の手を握った。サリーの母性や慈愛が、エンティティが好む歪んだ執着であったとしても、実の母親を目の前で無残に殺されたシャルロットとヴィクトルにとっては懐かしく、愛すべきものなのだ……
「花、どこにもないの」シャルロットは唇を突き出した。「エヴァンさんは、どこにあるか知ってる?」
「俺も見たことがない」エヴァンは首を振った。「誰かと探してみたらどうだ。ビリーやスージーなら、付き合ってくれるだろう」
 翳っていたシャルロットの表情が一刹那明るくなったが、彼女は首を振った。
「自分で探す。甘えてばかりじゃダメだから」
「ガキはガキらしく甘えていいと思うがな」
「ううん、こればっかりは、甘えられない」
 シャルロットはヴィクトルを見て「そうだ」なにか思い付いたように顔を上げた。
「エンティティにお願いする。ご褒美に、花をくださいって」
「ならせっかくだ。花束にしたらどうだ?」
「素敵。サリーもきっと喜んでくれる」
 たくさん殺さなきゃと結んで、シャルロットは吐息を漏らした。
 ぬるい風が吹き抜けて、濃い霧がシャルロットの足元から這い上がる。どうやら、儀式の時間らしい。
「エヴァンさん、今の話は、サリーには内緒にしてね。びっくりさせたいの」
「ああ」
 闇の中で、エヴァンはゆっくりと頷いた。瞬きをすると、目の前にいた姉弟の姿は消えていた。
 エンティティが与える花束は、血の色をしているだろう。シャルロットとヴィクトルが殺した生存者たちの血の色だ。彼女たちの感謝の気持ちのこもった血染めの贈り物を、サリーは喜ぶに違いない。
 エヴァンは、鹿を担ぎ直して歩き出した。
 儀式から戻ってくる姉弟のために、今夜は彼女たちの好きなシチューにしよう。