快楽を知る夜

 ふっと闇の中で何かが動いた気配がして、ネメシスは立ち止まり、闇を凝眸した。
 視軸を左へ右へと泳がせてみるが、目の前には夜に帷に包まれた、寂として静まり返った森があるだけだった。
 ネメシスが一歩を踏み出すと、夜の膜を割って、突然何かがぬうっと現れた。
 それはネメシスの知っている生き物だった。人間の頭蓋骨を背負った、歪な肉塊のような生き物だ。
 ネメシスはそれを敵ではないと認識している。それはネメシスと同じように、夜が明けることのない森で、ネメシスを箱庭に呼び寄せた得体の知れない存在に人間を捧げているからだ。
 それには、目があって、口があって、意思があって、知性がある。それから不思議なことに、それはネメシスに懐いている。無害だからと放っておいたところ、いつの間かあとをついてくるようになった。
 ある時から、生き物は、自身の身体の一部である影の中に引き摺り込んだらしい殆ど原型を留めていない人間や、腐った馬の死体を出して見せてくるようになった。S.T.A.R.S.の死体ではないから興味はなかったが、生き物の理解不能な行動はずっと続いた。
 様子を伺うようにして、生き物は夜な夜なじりじりとネメシスとの距離を埋めてきた。今も、生き物はネメシスの背後にいる。
 立ち止まると、生き物は身体を押し当ててきた。影のような薄い腕がネメシスに巻き付いた。ぐるぐると低い鳴き声を上げて抱きついてきた生き物を振り解くこともできたが、ネメシスはそれをしなかった。
 この生き物は、箱庭を統べる未知なる存在に気配が似ていた。故に、逆らってはならないと本能で感じていた。この生き物は怪物のような見た目だが、ネメシスと違って造られた存在ではないだろう。おそらく、別世界の、自分よりもはるかに上位の存在なのだろうと思う。人間はそれを「神」と呼んでいた。ネメシスの名も神の名からきているが、そんなことは、ネメシスにとってどうでもいいことだった。
 生き物が背中からのしかかってきて、ネメシスは前屈になった。踏ん張ってみるが、よろけて膝を突いた。倒れないように地面に手を突く。土が湿っている。
 起き上がろうとしたが、下半身が影に呑み込まれていて身動きが取れなかった。生き物の身体は黒いもやのようでいて、深淵のような真の闇がある。
 生き物の手がネメシスの拘束衣のベルトを這い、留め具を外した。拘束衣がはだけて、胸元が剥き出しになった。

 

 ネメシスと呼ばれるその生き物は、ドレッジの好物である人間の負の感情の塊のような存在だった。
 彼からは苦痛と憎悪、そして、深い絶望の匂いがする。ネメシスは極上の馳走だった。そばにいる時間が長ければ長いほど、ドレッジは陶酔に似た充足感に満たされた。
 いつしかドレッジは、発情期を迎えた雄が雌を追い回すようにネメシスを求めていた。それほどまでに魅了されていた。粘ついた執着はやがてドレッジの中に眠っていた生殖本能を掻き立てた。ネメシスの腹の中に種を植えてやりたかった。
 番の相手として求愛してみたが、手応えはなかった。それでもドレッジは諦めなかった。影の中にしまいこんだ息絶えた人間や馬を見せては求愛した。ネメシスは興味を示さなかったが、物理的な距離は少しずつ縮まっていき、ドレッジはついにネメシスの巨躯に腕を絡ませることができた。ようやく番として受け容れてくれたのだとドレッジは歓喜した。
 喉を鳴らし、背中にのしかかって押し倒して、がっちりとした腰から下を影の中に迎え入れた。傷付けないように慎重に影の中でネメシスの身体を探った。ネメシスの身体を覆う血液の染みたそれ——人間が身に纏うのと同じ「服」というものだろう——を剥ぎ取るのは大変だったが、金属製の留め具をすべて外し、ベルトを緩めれば脱がせることができることに気付いてからは簡単だった。
 ネメシスの剥き出しになった隆起した胸に手を這わせると、なめし皮のようにざらついた皮膚の下には筋肉が詰まっていた。肩口はまるで無理やり肉をつなぎ合わせたかのごとくもじれている。胸を撫で回すと、ネメシスは唸り声を上げたが、ドレッジは構わず盛り上がった胸を揉み、孕んだ時に乳を出す乳首を探したが見当たらなかった。
 実のところ、ネメシスが雄か雌かドレッジにはわからなかったが、下半身を触ってわかった。ネメシスは雄だ。
 影の中で、いくつもの手でネメシスの下半身を触った。硬い尻があり、その前にはドレッジと同じくペニスがあった。ネメシスが雄であることに衝撃を受けたが、今さら交尾をやめるつもりはなかった。
 ドレッジは一度ネメシスの身体を吐き出した。
 触手と腕でがんじがらめにしたまま、四つん這いになったネメシスの尻たぶを鷲掴みにして左右に広げる。これからドレッジを受け容れる小さな窄まりをもう少し拡げる必要があるかもしれないと思った。普段影の内側にしまい込んでいるドレッジのペニスは太く長いのだ。
 ドレッジは影の中から新たに触手を伸ばした。粘液でぬめった他の触手よりもずっと細い先端をネメシスの尻に宛てがい、雌穴をほぐすことにした。
「…………!」
 ドレッジの腕の中で弛緩していた身体が一瞬強張って、項垂れていたネメシスが頭を持ち上げた。彼は上半身を捻って振り返った。ドレッジは触手を動かしながら番に向けて鳴いた。ネメシスの歯の隙間から熱っぽい息が漏れた。
 雌穴は異物を拒んだが、ドレッジは無理やり触手を押し込んだ。中は肉が詰まっていた。ぴっちりと締まる肉壁の間を突き進むと、うねる体内は触手を締め付けてきた。浅い抜き差しをすると、ネメシスが身じろぎした。彼の低い呻き声は、ドレッジが聞いたことのないものだった。奥まで突き入れた触手をゆっくりと引いて襞を逆撫ですると、ネメシスは喉を反らして声にならない声で吼えた。
 触手を一度抜いて、数を増やした。ぬらぬらと濡れた入口にさらに粘液をまぶして撫で回したり、挿入したりする。触手を少しずつ太くさせていき、ドレッジのペニスが入りそうな大きさになるまで、時間をかけて雌穴を拡張させていった。やがてそこは内側から捲れてぱっくりと口を開け、肉色の粘膜を晒した。
 ネメシスは息も絶え絶えだった。もしかすると、ドレッジと同じく交尾をするのははじめてなのかもしれない。
 ドレッジは影の中から生殖器を突き出した。人間の子供の腕ほどあるペニスは影の中から勢いよく飛び出し、天を向いた。
 ドレッジはネメシスの腹を抱きかかえ、血管を浮かせて勃起している性器の先を雌穴に押し当て、一息に根元まで挿入した。ネメシスが悲鳴を上げて暴れたが、拘束している手を緩めなかった。
 体内は温かくて、ぬるぬるしていて、湿っていた。すべての雄が雌にそうするように、ドレッジは無我夢中で腰を振った。張り詰めた尻たぶに睾丸があたって破裂音が弾けた。腹の奥を突く度に、反射のようにネメシスは濁った声を上げた。

 拘束衣を剥ぎ取られ、夜気に晒された肉体に生き物の腕が何本も絡みついた。
 生き物は何故か触手で肛門を執拗に攻め立ててきた。やがて排泄器官から体内に潜り込むと、何度もねちっこく抜き差しをしたり、触手の数を増やしたり、太さを変えながら尻の穴を拡げていった。敏感な粘膜を擦り上げられると、むず痒かった。挿入された触手がぐねぐねとくねると、強烈な痺れが背骨を伝い上がって、ネメシスの身体は痙攣した。
 ネメシスは、生き物が交尾をしたいのだと察した。雄と雄が交わったところでなにも生まれないが、それでもネメシスは抵抗しなかった。箱庭で人間を仕留め損ねた時に空から伸びてくる神の鉤爪がネメシスを痛め付ける時のようにじっと耐えた。
 粘液まみれの触手にほぐされた肛門がくぱっと拡げられ、ついに生き物は、自身の性器をネメシスの体内に突き入れてきた。
 柔らかな触手とは違う、凶悪なまでに硬い圧倒的な質量に貫かれ、ネメシスは太い声を上げた。背中を丸めて足の間から股座を見ると、肛門は生き物の太く長いペニスを根元まで呑み込んでいた。ネメシスの排泄器官は、女の性器に成り下がってしまっていた。
「……っ、……っっ……!」
 生き物は腰を前後させ、ネメシスのはらわたの中をめちゃくちゃに犯した。行き止まりである狭まった腸の窄まりを抉るように突かれ、ネメシスの意識は火花を散らした。腹の底から押し出されるように漏れた濁った声は、生温かく生臭い本能がぶつかりあう時に鳴る粘着質な音に被さった。
 非生産的な交尾の中で、感じたことのない感覚をネメシスは掴んでいた。
 ネメシスが知っているのは、絶え難いほどの恐怖と、生きたまま頭を切り開かれて脳の一部を切り取られるという想像を絶する苦痛だけだったが、生き物から与えられる刺激は、ネメシスの知らない感覚だった。
 恐怖でも、苦痛でもない。ちりちりと神経を灼き、腹の底で渦巻き、ゆっくりと背骨を駆け上がっていく形を成さないそれは、手に負えないほどの熱を待っていた。培養液の中で感じていた心地のいい眠りにも似ている感覚の名を、ネメシスは知らない。
 ネメシスはふっふと息を乱して、また足の間を見た。ぶるぶると揺れる萎えていたペニスがいつの間にか勃起し、先端からねっとりとした体液が糸を引いて滴り落ちていた。
 生き物が腰を止め、ずるずるとうしろに下がった。雁首に襞を逆撫でされる感覚に、ネメシスは身震いする。生き物は出口の浅いところを削るように腰を動かした。電流でも流されたような強烈な痺れがネメシスを襲った。培養液の底に沈んでいた意識が浮上した時の夢心地を思い出した。そして、腹の底で渦巻く得もいわれぬ感覚が快楽であることにネメシスは気付いた。
 快楽はネメシスに新鮮な甘い悦びを与え、怒涛となって押し寄せた。異形に成り果てた肉体は快楽の波に呑み込まれた。ネメシスは服従するのではなく、生き物をありのままに受け容れることにした。すべての雌が、雄にそうするように。
 生き物はネメシスの尻たぶを撫でると、再び奥まで滑り込んできた。腹の奥に響いた重たい衝撃に総身が強張る。頭の中が真っ白になって、ネメシスは情けない声を上げた。自身のペニスからはどっぷりと濃い白濁が噴き出ていた。絶頂は血潮を沸かせ、理性の砦を打ち崩していく。
 生き物はネメシスの最奥で爆発した。本来ならば雌に植えられるであろう子種が間歇的に溢れているのがわかった。
 種付けを終えると、生き物はネメシスの中から去った。
 栓が抜かれ、閉まりきらなくなった肛門が、ネメシスの呼吸に合わせてひくつく。逆流してきた精液がごぽっと音を立てて溢れ出て、ネメシスの内腿を伝い落ちていった。
 交尾を終え、生き物はネメシスの拘束を解いた。ネメシスの孕むことのない肉体からは、注がれた精液がまだ漏れ出ている。灼熱の余韻はしばらく抜けそうにない。
 脱がされた拘束衣を着ようと、ネメシスは鷹揚と立ち上がる。生き物はそばを離れない。ネメシスをじっと見詰める丸い小さな目には、期待があった。
 湿った風が吹いて、火照るネメシスの身体を撫でていく。ネメシスはなんとなく首を巡らせた。先程と変わらず、目の前には茫洋とした夜の闇だけがあった。