今宵皇都の片隅で

「私が貴族の社交場に、ですか?」 
 光の戦士は瞬きを繰り返して「私なんかが行ってもお邪魔になるだけでしょうから、留守番しています」微苦笑し、目の前にいるフォルタン伯爵を上目に見詰めた。
「すまない、英雄殿。そうはいかんのだ」
 伯爵は手にした杖の柄を握り直し、憂いを帯びた表情で首を横に振った。
「我がフォルタン家の正式な客人として滞在していることを嗅ぎつけた貴族たちが、貴殿をどうしても舞踏会に招きたいのだという。興味があると言っていたが、皇都の外から来た貴殿を警戒しているのだろう」
 光の戦士は項垂れた。伯爵ははっきりとは言わないが、貴族たちは、本当は英雄と呼ばれる女の品定めがしたいのだろう。淑女としての作法はもちろん、品性はいかほどか、言葉遣いや嗜みはどれほどのものなのかなど、そういったことを知りたいのだ。生憎、そんなものとは無縁の生き方をしてきた。今だって無我夢中で戦う日々だ。貴族たちの社交場に出れば、嘲笑の的になるのはわかっている。しかし、自身の恥は、恩人であるフォルタン伯爵の顔に泥を塗ることになる。それはまずい。
「あの、フォルタン伯爵」
 意を決して、光の戦士は顔を上げた。
「このお話をお断りできないのであれば、恥ずかしながら、淑女の振る舞い方について教えていただくことは可能ですか?」
「ああ、もちろんだとも」
 伯爵の表情が和らいだ。穏やかな笑みにつられて、光の戦士も強張っていた頬を崩した。
 舞踏会まであと二日ある。徹底的にやってやろう。

 フォルタン伯爵が用意してくれた深紅のドレスに身を包み、光の戦士は舞踏会の会場にいた。貴族たちが集まる場所は、毒々しいほど鮮やかで、夢のように華やかで、噎せ返るような香水の匂いがした。
 時々コルセットの締め付けに息が詰まりそうになったが、光の戦士はつとめて平然と振る舞った。フォルタン家の執事直々の猛特訓のおかげで、一人の淑女として上流階級の人々の中に馴染んだ。光の戦士のことを知らない貴族が「美しいお嬢さん」と馴れ馴れしく声を掛けてきても、手の甲にキスをしてきても、彼女が微笑みを絶やすことはなかった。
 はじめはアルトアレールやエマネランが傍にいてくれたが、彼らにはフォルタン家の子息としての責務がある。いつまでも甘えるわけにはいかなかった。ここは貴族の社交場なのだ。
 光の戦士は、見知らぬ場に一人取り残されて、鱗を剥がれるような痛みにも似たなんともいえない息苦しさを感じ、飲みかけのワインを一気にあおりたくなった。さきほどからずっと、四方八方から、いくつもの視線が己に注がれている気配を感じていた。それが粗を探す悪意なのか、はたまた、純粋な興味なのか光の戦士にはわからない。
 何度目かの溜息を噛み殺し、残ったワインを飲み干す。貴族の社交場といえば情報収集にはもってこいなのに、タタルのように積極的にはなれそうにない。
「……オルシュファン……」
 背中にのしかかる孤独を笑い飛ばしてくれるであろう彼に無性に会いたくなった。フォルタン家の子息――正式にはフォルタンの姓を名乗ることを許されていないが、フォルタン伯爵の実子だ――はもう一人いるのに、会場にその姿はない。
 息苦しさに耐えかね、舞踏会がはじまる前に、光の戦士はこっそり会場を抜け出した。
 外は雪が降っていた。辺りは静まり返っている。
 澄んだ夜気を肺いっぱい取り込んで、光の戦士は大きく息を吐いた。ほうっと弾んだ白い息はすぐに消えた。
 なんとなく近くの広場に向かった。
 途中でフォルタン家の兵士の姿を見掛けた。広場に差し掛かって、捜していた背中を見付けた。
「オルシュファン」
 声を掛ける。驚いたように振り返った彼はいつもの鎧姿だったが、フォルタン家の家紋である一角獣が刺繍された深い赤いマントを身に着けていた。
「どうしたのだ、会場にいたはずでは――」
「抜け出してきた」
 ドレスの裾を引きずって、光の戦士はオルシュファンの傍に寄った。
「会場でずっとあなたを捜してたの。どうしてここに?」
 冷たい風が吹いて、光の戦士の剥き出しの首元を撫でていった。
「私は公の場には出られない。今夜はフォルタン家の騎士として任務に当たっている」
「見回りをしているってこと?」
「そうだ。それより、その格好では寒いだろう」
 オルシュファンはマントを外すと、光の戦士の肩に被せるように掛けた。身長が低く小柄な彼女は、すっぽりとマントに収まった。
「ありがとう」
 光の戦士はオルシュファンを見上げて微笑んだ。作り笑いではなく、心の底から嬉しくて。
「鍛えているとはいえ、風邪でも引かれたら困るからな」
 マントは不思議と暖かかった。
「ねえ、オルシュファン」
 光の戦士はじっとオルシュファンを見詰めたまま、高鳴る鼓動のままに「私、きれい?」言った。彼なりの――たとえば「鍛え上げられた肉体のラインが際立っている。イイぞ!」だとか――褒め言葉が返ってくるのではないかという期待をして。
「ああ」
 オルシュファンの唇が緩やかな弧を描く。
「きれいだ。お前は美しい。誰よりも」
「…………!」
 予想外の言葉に、光の戦士は顔が熱くなるのを感じた。
 互いになにも言わなかった。視線だけが重なったままだった。オルシュファンは優しく微笑んでいる。眸には、光の戦士だけに見せる親愛の巨影があった。
「どうした、顔が赤いぞ、友よ」
「……っ、寒くて、赤くなっただけ」
「フフ、そうか。さあ、そろそろ戻るといい。送っていこう。主役がいなくなっては華がない」
 光の戦士は差し出されたオルシュファンの手を取った。籠手越しでも、彼の手の大きさをしっかりと感じられた。騎士の腕に抱き着くようにして身を寄せ、足跡の残った来た道を戻る。オルシュファンは歩幅を合わせてくれた。
「あなたと踊りたかった」
 邸の燈が見えてきて、光の戦士はぽつりと呟く。はらはらと振る雪が、伏せられた長い睫毛に絡まった。
「私と? それは光栄だ。だが私は、社交場とは無縁だ。しかし、お前の望みは叶えてやりたい。ふむ……そうだな……後日『雪の家』で踊ろう。私とお前だけの二人だけの舞踏会だ。イイだろう?」
「うん、イイね。楽しみにしてる」
 光の戦士は白い息を長く吐いた。舞い落ちる雪のように胸に喜びが積もっていく。
 皇都の片隅で、誰も知らない二人だけの親愛が深まっていく。
 光の戦士はもう一度オルシュファンを見上げた。彼もまた光の戦士を見ていた。
 オルシュファンの腕に回した手に力を込めて、光の戦士はまた小さく笑った。