初雪の夜

 生存者全員を贄に捧げ、血腥い歓喜に打ち震えながらレリー記念研究所に戻ると、書斎にアディリスがいた。
 彼女はいつものように心理学についての専門書を読んでいた。
「帰ったか、カーター」
 アディリスは本を閉じると棚に戻し、冠の下で微笑んだ。儀式を終えたばかりで興奮冷めやらぬ中、彼女の体温と柔肌が恋しくて、狂った笑顔を浮かべたまま、アディリスの細い腰を抱き寄せた。胸に魅力的な弾力が押し当てられ、背中に手が回り、ぽんぽんと叩かれた。このひとときが安息だった。
 アディリス、と名前を呼ぼうとして、頬の筋肉が強張った。
「……失礼」
 歯の間からくぐもった声が漏れる。口の端に食い込んだ開口器を外した。溜め息を噛み殺して開瞼器も外す。
 儀式を終えたあとや、アディリスと束の間逢瀬に興じる時だけは器具を外すことを許される。つまり、邪神の悪趣味な制裁から解放される。
 邪神は俺とアディリスの間に芽生えた互いへの敬意、親愛、それから、男女の情すら貪り食うからだ。関係が深まり、愛が燃え上がれば燃え上がるほどに、邪神の機嫌はよくなる。
「ああ、アディリス」ようやく愛しい女の名を呼べた。
 口付けをしようと頭を傾けた時「外は雪が降っている。皆と食事がしたいが、外に出たくない」アディリスが囁いた。
「今年も冬がきましたか」
 邪神の気紛れで、この森では雪が降ることがある。皆はその期間を「冬」と呼び、クリスマスパーティを開き、新年を祝い、馳走とひとときの休息を味わう。
「雪は嫌いだ」
 彼女の眉が悩ましげに寄る。「何故、嫌いなんです?」白い頬に指を添え、答えが返ってくる前に、薄い唇を塞ぐ。
「雪は、ん、冷たい、だろう」
「そうですね」
 舌を捩じ込んで、息を継ぐ間すら与えず、全身を駆け巡る手に負えない興奮のままに蹂躙したが、ぐらぐらと煮立つ昂揚感は引いてくれなかった。この熱を冷ますには、性交渉をするに限る。しかし、敬虔な司祭を抱くことはできない。あとでマスターベーションをする必要がある……。
 深く長い口付けのあと、見詰め合っていると、先にアディリスが顔を逸らした。性交渉ができないとはいえ、こうしていると性的興奮に駆られてしまうのだろう。キス以上のことができたら、と期待してしまう。
「これを着るといい」
 ねっとりとした淫靡な雰囲気を断つように、着ていた藍色のフロックコートを脱ぎ、アディリスの肩に被せ、羽織らせる。華奢な身体はすっぽりとおさまった。
「いいのか?」アディリスの肉の薄い手が、胸の前でコートのフロントを寄せた。
「ええ。それに森は雪が積もっているでしょうから」アディリスの膝裏と背中に手を添えて、横抱きにして抱き上げる。「このまま行きましょう。あたたかい火のそばまでお連れしますよ」
「待て、焚火のそばには皆がいるだろう?」アディリスは珍しく慌てている。
「いいじゃないですか。見せ付けてやりましょう」
 アディリスを見詰めたまま喉の奥でくつくつと笑い、レリー記念研究所の廊下を進む。立ち込めた霧がふたりを包み込んでいった。仲間の記憶から邪神によって作り出された箱庭の中では、いつだって霧が付き纏い、移動したい時は、なにをするわけもなく、気が付けば望んだ場所に立っている。儀式の時以外は。


 空気が冷たい。しんしんと雪が降っている。降りはじめたばかりなのか、足元は茶色と白のまだら模様で、踏み締めると柔らかかった。
 闇と霧の中で、焚火だけが赤々と燃え盛り、廃材でできた解体場と調理場を照らし出していた。仲間たちが腰掛ける丸太には、カレブとフランクが並んで座っていた。
「先生と司祭サンじゃねえか、お熱いことだなあ」酒瓶をあおっていたカレブが白い息を吐き、「ラブラブじゃん!」隣でフランクが口笛を吹いた。
 フンと鼻を鳴らしてほくそ笑む。ちらりと一瞥したアディリスの頬がほんのりと赤いのは、寒さのせいではないだろう。愛おしさが込み上げて、冠に口付けを落とす。雪を溶かすほど愛が、火のように燃えている。