ある時はベッドに投げ出され、またある時はテーブルに押さえ付けられ、身体を貪られる——夜な夜なジェイコブに慰み者にされることにはもう慣れたつもりでいるが、事後にトイレに篭って、嗚咽を押し殺して拓かれた身体の奥に注がれた精を掻き出すことにはまだ慣れない。それだけが苦だった。惨めで、情けなくて仕方なかった。
その晩も、彼の寝室にいた。
ベッドの横に衣服を落とし、剥き出しの肌をぶつけ合った。
体内に潜り込んできた熱情に打ち震え、早く終わることを祈って、彼の首から下がるドッグタグのプレートが律動に合わせて前後に揺れるのを見据え、必死に呼吸を繰り返した。
ジェイコブの背中にしがみついたまま、まだなにかを考える余裕があるうちに、昼間から言おう言おうと胸に溜めていた言葉を吐き出すことにした。
「ん、あ、あのッ、ジェイコブ……!」突き上げられる度に口からはみっともない声が漏れたが、途切れ途切れに紡いでいく。「お願い、だから、中に出さないで……お、お願いします……」
ジェイコブは腰を止めると、シーツに突っ張った腕を曲げて、オレの耳元に唇を寄せた。「そうしてほしかったら声は出すな」
淡々とした囁きに何度も小さく頷いて、咄嗟に親指の側面を咥えて、強く噛み締める。
再び抽挿が始まった。鼻から酸素を取り込んで、顎を強張らせる。
ジェイコブの腰がくねって、奥を突く動きから、こねくり回すような動きに変じた。腹の内側を擦り上げられ、電気が走ったような衝撃が背骨を伝い上がる。
「…………ッ!?」
強烈な刺激に目の前が真っ白になった。全身が強張り、上体が反る。
ジェイコブは様子を窺うように俺を見詰め、ゆっくりと腰を揺すった。円を描くような腰使いだった。腹の内側を撫でられたかと思うと、最奥を突かれる。ただそれだけなのに、味わったことのない法悦が腹の底からこみあげて、脊髄を駆け上がり、脳を揺さぶった。
「……くッ」
声が出そうになって、顎に力を込める。瞬きをすると、涙が睫毛に絡んだ。
「我慢強いな、プラット」
ジェイコブは喉の奥でくつくつと笑うと、深々と繋がったまま俺の膝裏を掴み取り、腰を突き出した。衝撃は小さいはずなのに、先端が奥にあたって、快楽が沸騰しそうになった。筋肉は硬直と弛緩を繰り返し、身体が死にかけの虫みたいに痙攣する。
最奥を何度も突かれ、それに合わせて、わずかに残っていた理性も突き崩されていく。
「ふっ……ん、ふぅ……ん」
頭がぼんやりとしてきて、なにも考えられなくなってくる。親指を噛み締めていた顎が緩んで、堪えていた声が漏れる。
「……ん、あ、んんッ……」
「声が出ているぞ」
その一言でジェイコブの腰が止まったかと思うと、昂りが一気に引き、次の瞬間には濡れた肉と肉がぶつかり、どちゅっと湿った音が弾けた。
「ひッ……!」
喉の奥で空気が詰まる。緩やかな抜き差しが途端に激しいものへ変わった。大きな衝突に古びたベッドの足がぎしぎしと軋み、全身から力が抜けた。
腕が鉛のように重く、とうとうシーツに落ちた。そのままシーツを掴み取る。
「あッ、あッ、ああッ……! それ……ダメ、やめて、やめッ――」
たまらず声を張り上げるも、声は声にならなかった。ねっとりとした極地感が全身に絡みつき、未知なる快楽が吹きこぼれた。なにが起きたのかわからなかった。気付いた時には、腹に乗って揺れていたペニスから勢いのない白濁が溢れ出て、腹を汚していた。
「〜〜〜〜〜ッ!!」
射精感とは違った余韻にがくがくと全身を震わせ、大きく喘いだ。声は、止まらなくなっていた。
「残念だったな」
息を荒げながら、吐息混じりにジェイコブは囁いた。
「……もっ、中に、出していいから、ジェイコブ……やめないで、ん、あっ、もっと、もっとして、お願い……お願いしますッ……」
掠れた声で懇願すると、ジェイコブの目が薄闇の中でぎらりと光った。彼の双眸は鋭かった。まるで獲物を狙う猛獣だ。ぞくぞくした。この男に喰われるなら、本望だ。
あの蕩けるような夢心地をもう一度味わいたくて、打ち付けられるジェイコブの逞しい腰を腿で挟み込み、太い首の後ろに手を回した。
薄明かりの中で俺を組み敷いて俺を見下ろす彼の目は、まるで獲物を狙う肉食獣の目だ。飢えた獣の目。
俺はそんな彼の目を真っ直ぐに見据える。ランプの小さな電球が放つおぼろげなオレンジ色の燈を吸った眸は夜の海のように暗い。けれど燈の加減で、昼間見るような、静けさをたたえた海の色に見えたり、ホープカウンティの空の色にも見える。綺麗だな、なんて揺れる視界で思う。俺はこの人の目の色だけは好きだ。もっとしっかり見たい。覗き込みたい。
そういえば、この人の目をこんな近くで見て、唇が触れそうなくらいの距離なのに、キスをされたことは一度もない。犯されているのだからそんなものはいらないってことはわかってる。でも、でも、彼にキスしてもらいたい。
頭の片隅に湧いた欲求を叶えられない代わりに、彼の背中に思い切り爪を立てて、荒っぽい行為に身を委ねる。腹の底で渦巻く熱はやがて喉のあたりまでせりあがってきて、突然爆発して理性ごと脳みそを吹き飛ばす。彼の腰を挟み込んだ内腿を震わせ、爪先をぴんと張りながら極致感に喉を反らす。動きに合わせて腹の上で弾んでいた自身から白濁が溢れ出て、目の前が真っ暗になる。
イったのか、この淫乱と罵られても気持ちいいものは気持ちいいんだから仕方ない。そもそも、こんな身体になってしまったのはこの人のせいだ。
拓かれた腹から昂りが引き抜かれ、俺は吐息でこの人の名前を呼ぶ。すると彼は一瞬目を見開いてから剣呑に眉間に皺を寄せる。そして幅狭な唇を舌先で舐めて引き結び、ベッドを出る。どうせなら、あのちろりと覗く赤い舌に口の中もめちゃくちゃにされてみたい。
ああ、そんな風にされたら恋人みたいになっちゃうか。
その晩も、彼は俺を抱きに来た。
俺の服は脱がす癖に、自分はパンツの前を寛げるだけだ。
「……ッ、ふ、んんん」
俺の頭の横に両手を突いて、彼は腰を揺する。俺は折り曲げた足をおっぴろげて、背骨を丸めて彼の肉厚な肩口に顔を埋めて、太い首にしがみついて、涙の膜で歪んだ視界で天井を見る。
「は、あ、あぁ、ん、んっ」
喘ぎ声というより呻き声だが、この男はよくもまあ萎えないものだ。
「離れろ」
「あっ」
低い声に怯んで、彼の首の後ろで組んでいた指を解いて手を離すと、背中がぬるいシーツと重なった。
彼が身を乗り出し、吐息がかかる距離になる。鼻先は今にもぶつかりそうだ。
「ふ、あ、んん……あの、あっ、キ、キス、してくれませんか」
俺は精一杯の勇気を振り絞って彼にねだる。
彼はひどく億劫だと言わんばかりの表情を浮かべた。
「お願い、しま、す、んっ」
快楽でぐずぐずに蕩けた思考でも、懇願はできる。期待もできる。
「ジェイコブ、おねが、い」
「うるさいぞ」
「…………ッ」
ひときわ大きく腰が打ち付けられ、濁った太い声が漏れる前に、唇が塞がれた。薄く開いた唇の隙間から滑り込んできた厚い舌に口腔を犯される。酸素の供給が間に合わなくて窒息しそうになっているのか、それとも待ち望んだ口付けに愉悦するあまり頭が回らなくなっているのか、意識がぼんやりとしてきて、目の奥が熱い。
「ん、ふ、んん……!」
彼の頭が離れてぷはっと大きく息を継ぐ。途切れた唾液の糸が下唇に垂れる。
「……満足か?」
「もっと、もっと、してください」
「貪欲だな」
彼は息で笑って頭を傾けた。唇が引き合う。吐息を交え、舌を絡ませて、歯列をなぞる。ぞくぞくした。
「はあっ、はっ……ん、ふぅ」
キスをしている間、彼は目を細めるだけで、閉じなかった。俺も目を閉じなかった。睫毛がぶつかる距離で瞬く彼の眸はランプの燈を反射させて、朝焼けに染まる海の色をしていた。こんな色にもなるんだ、と、鈍った頭でそんなことを思った。
濡れた唇の間でリップ音が跳ねた。
背中でベッドが壊れるんじゃないかってくらいぎしぎしと耳障りな音を立てる。
体内の深くで彼が弾けて、俺もまたみっともない声を上げて達した。
次の夜から、彼は俺にキスをしてくれるようになった。もちろん目は閉じない。俺も目を閉じずに彼の眸を見詰める。
ある晩、彼は珍しく事後すぐに部屋を出て行かなかった。
「なんでお前は目を閉じない」
「えっ……?」
虚を突かれて一瞬ぽかんとして彼の背中を凝視したが、キスをしている時のことを言っているのだとすぐにわかった。
「それは……あなたの目の色が好きだからです」
「……なに?」
彼は首を巡らせた。普段無感情な双眸に驚きがよぎったのを見逃さなかった。
「海みたいで……綺麗だから。オレ昔海の近くに住んでて……それで……その……なんていうか、懐かしいな……って」
うみ、と、彼はまるで知らない単語を覚えようとでもするように復唱して、前を向いた。
「そんな喩えをされたのは初めてだ」彼はゆっくりと腰を上げた。「綺麗だと言われたことも。お前は案外……ロマンチストだな」
彼らしくない言葉に、口を開いたまま目を瞬せる。
彼の広い肩が上がって、大きく下がった。長い溜息だった。
「ただあんな距離で見据えられたら萎えるから、次からは目を閉じろ」
彼はそれだけ言って部屋を出て行った。
「……いやです」
一人取り残されて、ベッドの真ん中で膝を抱えてぽつりと呟く。
俺だけが”あんな距離”で小さな海を見詰められるんだ。絶対に、目を閉じてやるものか。