テスカトリポカの神性は複雑だ。
破壊的で気紛れな彼は、誘惑を司る神でもある。
実際、誘惑にまつわる話は多い。服を纏わずに唐辛子売りに扮して王の娘を誘惑して伴侶となったり、女性に姿を変えて相手を魅了させ、同棲をしたこともあるという……すべて汎人類史に残る神話だが、彼を見ていると、本当なのだろうなと立香は思う。
それほどまでに魅力的だった。テスカトリポカという男——否、神は。
——わたしも、魅了されてしまったのかな。
彼に対する形而上の親愛が立香の胸を満たしていたが、果たしてこれが恋心なのか、立香自身わからないでいた。
テスカトリポカのことが好きだ。こんなにも誰かを好きになったことはない。けれど、この気持ちが彼が司る神性にあてられたものであったのなら、あまりにも残酷だ。胸の奥で鼓動が不安を否定するが、立香は歯を食い縛ることしかできなかった。
テスカトリポカに会いたくなって部屋を出た。彼がどこにいるかはわからないが、もし会えたのなら、今すぐにでも焦がれるほどの好意を打ち明けてもいいと思った。
立香はあてもなく夜間灯の灯った通路を歩いた。誰ともすれ違わなかった。このまま歩いても、都合よくテスカトリポカに会えるわけがない。途方に暮れて、喉が渇いて、食堂に向かうことにした。
いくつ目かの角を曲がったところで、通路に響く靴音が増えた。足を止めて振り返ろうとした時「よう、マスター」聞きたかった声がした。ゆっくりと身体の向きを変える。濃い影が通路に伸びていた。
「テスカトリポカ……」
仄暗闇の中で、美しい金髪が烟っているように見えた。足が長い彼は、数歩で立香と距離を詰めてきた。
「食堂に行くのか?」
「うん。喉が渇いちゃって」
「オレも食堂に行くところだ。酔い覚ましに冷えた水が飲みたくてね」
ふたりは揃って歩き出した。立香は彼の端正な横顔を見詰めて「ねえ、テスカトリポカ」呼びかけた。
「もし、あなたのことが好きだって言ったら、どうしますか?」
「それは、恋慕ってヤツか?」
テスカトリポカは立ち止まらなかった。ジーンズのポケットに片手を突っ込んだまま、サングラスのレンズ越しに立香に視線を向けた。
「うん。そう。ライクじゃない方の〝好き〟って意味です」
「神に告白とは、ずいぶん大胆だな、オマエさんは」
角を曲がる。仄燈に照らし出された通路が真っ直ぐに続いている。先は、よく見えない。
「今夜あなたに会ったら好きだって伝えようって決めてたんです」
「オマエはオレにどうしてほしいんだ?」
「えっ」
立ち止まったのは立香の方だった。
三歩先でテスカトリポカも立ち止まった。静けさだけがふたりの間を通り過ぎていく。立香は言葉を選ぼうとした。どうしてほしいかなんて考えたことはなかった。彼を強く想う気持ちが純粋な恋心によるものなのかどうかに悩んでいて、恋が実るのか、そうでないのかなんて考えたこともなかった。逃げ出したい気持ちになりながら俯いて、唇を舐め、必死に言葉を見付ける。
「受け容れてもらえるなら、わたしと付き合ってほしいです。でも、わたしがあなたに抱いているこの気持ちは、あなたの神性によるものなのかなって、ずっと悩んでいるんです。恋心じゃなくて、あなたに魅了されているだけなのかなって……」
おそるおそるテスカトリポカに視軸を移す。彼は瞬きすらしていない。
「オレが干渉しているのは戦士の司だけだ」
「……じゃあ、神性は関係ない?」
「オマエさんを誘惑しても、堕ちたりしないだろう」
「そっか……」立香は腹の前で指を組んだ。「よかった。私のこの気持ちは、本物だったんだ」
「オマエがオレと男女の仲になりたいと望んでいたとはな。まったく、オマエには驚かされてばかりだ。恋仲になったところで生憎オマエと対等になるつもりはないが、オレをひたむきに想った健気さは気に入った。一晩中甘やかしてやるよ、お嬢さん」
「それは……誘惑?」
テスカトリポカは瞬きをして、意外そうな顔をした。それから口端を片方持ち上げた。
「ああ、そうだ。オマエを誘惑している。オマエがほしくなっちまった」
立香は、彼が雨の神トラロックの妻だった花の神ショチケツァルを略奪して自身の妻にしたり、王妃と姦通したこともあるという話を思い出した。
「食堂じゃあなく、オレの部屋に来ないか」
「さっきの話ですけど」
立香が身じろぎすると、体重の移動を受けたソファのシートが深く沈み、スプリングが軋んだ。
「本当に、わたしと付き合ってくれるんですか?」
「言っただろう。オマエの健気さが気に入ったと」
テスカトリポカは背凭れに載せた腕で立香の身体を抱き寄せた。小柄な身体は強張っていた。微苦笑して「そう緊張するなよ」指先で丸い肩を叩いた。
大人でも子供でもない年頃の娘は「だって」と歯切れ悪く言って頬を赤らめた。「こんなに近くであなたの顔を見たことないもん」
「近くで見た感想はどうだ」
「かっこいい、です」
「神の器にふさわしい完璧な肉体だろう?」
キスのひとつでもしてやろうかと思っていたが、マスターは初心らしい。これは時間を掛ける必要がある……テスカトリポカは彼女の方へ身を乗り出すと、赤い顔に近付いた。被さった影の中で立香の瞼が下り、上向きの睫毛が震え、唇が重なった。初心なマスターが逃げないように、ゆっくりとした動きで舌を追い、口腔の熱を奪った。
息を継いだ立香の眸は潤んでいた。薄い手がテスカトリポカのシャツを握る。視線がぶつかって、官能が弾けた。テスカトリポカは喉の奥で笑い、立香の細い顎に指を添えた。彼は涼し気なアイスブルーの眸でじっと立香を見詰めたが、視線を逸らされた。
「オレを見ろ」
顎を持ち上げる。立香は小さく息を呑んだあと、った。頬はリンゴのように赤くなっていた。
「これからえっち、するんですよね? わたし、経験なくて……」
立香の顔は、ますます赤くなっていた。テスカトリポカはそんな彼女の身体を抱き留め、平然と横抱きにしてソファから腰を上げた。
「あ、あの、テスカトリポカ?」
狼狽えている少女はベッドに投げ出された。
「オレは今からオマエを抱く。しかし、オマエが望まないのなら、今夜は部屋まで送ってやるが——どうする?」
立香は身体を起こし、しっかりと神を見上げた。一刹那の間に好奇心と期待が入り混ざった眸が瞬き——「わたしを、抱いてください」彼女ははっきりと言った。
剥き出しになった立香の肉体は、傷がなく、華奢で、透ける血管を辿れるほどに白かった。
テスカトリポカは、成熟しきっていない未熟な女の輪郭に被さり、額に口付けた。
「心配するな。優しく抱いてやるよ」
テスカトリポカは今までそうしてきたように――ほしいから奪い、ほしいから抱いた——立香を支配し、処女膜を破ろうとは思わなかった。
名前を呼び、頭を撫で、温い肌を重ね、長い間キスをし、首筋に歯を立てた。立香はテスカトリポカの愛撫ひとつひとつに敏感に反応していった。小振りな胸の膨らみの頂でつんと尖った薄桃色の乳首を摘まみ、舌でねぶり、甘咬みした。立香は熱っぽい吐息を漏らし、戦慄き、唇を引き結んで声を抑えている。
「感じていい。堪えるな」
テスカトリポカは垂れ下がった金色の髪の間に立香を閉じ込めて囁いた。覗き込んだ眸は官能でとろけていた。
細い足の間に身体を割り入らせ、テスカトリポカは身体を屈めて立香の心臓の位置にキスをし、蛇のように下肢へ掌を這わせた。華奢といえども、幅狭の腰回りには、子を孕み育てるために柔らかな脂肪がうっすらとついている。その下には、下生えのないなだらかな肉の丘があった。膝裏を掴んで足を大きく開かせ、すでに潤んでいるそこへ唇を落とす。
「そこ、やだ、だめえ」
か細い抗議の声がテスカトリポカの耳朶を打ったが、無視した。ぬちぬちと淫らな音を立てて舌を抜き差しし、充血したクリトリスを吸い、肉襞を舐め上げた。
「ひうっ、あっ」
立香の身体がシーツの上で仰け反るが、神は足を閉じることを許さなかった。
肉の門はぬらぬらといやらしく照って、粘ついた真っ白な愛液を溢れさせている。ひくつく肉襞の間で、処女膜が見えた。どうやら本当に、立香は男を知らないらしい……テスカトリポカは身体を起こし、処女膜を押し上げるようにして中指を捩じ込んだ。
「あああ……!」
立香が手首を反らして枕の端を掴んだ。
肉壁を割って奥へ突き進む指にいくつもの襞が絡みつく。胎内はテスカトリポカの指を根元まで呑み込んだ。指先になにか硬いものがあたる。そこを擽ると、立香はあっけなく潮を噴いた。
「オレがいまどこに触れているかわかるか?」
「わか、んないっ……!」
「子宮口だ。女はここで種を受け容れ、子を宿す。オレはここに、今から種を植える」
深い場所へ突き入れた指を上壁をなぞりながら引き、途中で止める。収斂する粘膜の間に留めた指で、愛液で滑る勢いのままに抜き差しをした。時々指を腹側に向けて鉤型に曲げると、嬌声が跳ね上がった。
「そこ、あ、あぁ、きもちいよぉ……!」
空いている片手を肉の丘に載せ、ほめくクリトリスを親指の腹で詰ると、立香はがくがくと太腿を揺らして絶頂した。胎内が顫動し、指が強く締め付けられる。
「指だけでトばないでくれよ」
中指だけで、立香は三度果てた。シーツには潮の溜まりができた。
股座から立ち昇る発情した甘ったるい雌のにおいは、男の本能を刺激した。テスカトリポカの股間でそそり勃つ男根を見て、立香は呂律の回らない舌で「お腹の奥、きゅって、するの」言った。
「オレがほしいか?」
立香の顎を抑え込み、口腔に親指を差し込んで、テスカトリポカは問う。浅く差し込まれた親指の腹で舌を押され、立香は眉を寄せた。
「ん、ぅ」
立香は生理的な涙で潤んだ目でテスカトリポカに訴えるが、彼は顎を離さなかった。
「……っ、ん」性的興奮で粘度が高くなった唾液と舌が指に絡む。黒い爪の先を吸って、立香は「ほしい、れす」言った。
「よく言えたな。いい子だ」
引き抜かれた爪の先と名残惜しそうに突き出た舌先を唾液の糸が繋ぐ。
テスカトリポカの雄々しい肉体が立香の太腿のあわいに深く割り入った。テスカトリポカの手の中で血管を浮かせて天井を向く男根の先が、しとどに濡れた割れ目をなぞる。先端がクリトリスを蹂躙し、処女膜を覗かせる雌孔にあてがわれる……神が立香の処女膜を破るのは一瞬だった。
「あっ、あ、あ、ああ……!」
内臓を押し上げられる得体の知れない感覚と味わったことのない圧迫感に、立香の総身は強張った。
「力を抜け。息をしろ」
彼女は息を吸っては吐いて、テスカトリポカの言う通りにした。
テスカトリポカもまた息を吐き、動きを止めたまま四方から締め上げてくる膣肉の感覚を味わった。抽挿をはじめると、立香の乳房が軟体動物のように弛み、薄く開いた唇からは快楽に善がる声が紡がれた。湿った肉と肉がぶつかって、生々しい営みの音がシーツの上を跳ねた。
「ひぅっ、あ、あ、あっ、……っ! テス、カァ……!」
助けを乞うように差し延ばされた手を取り、指を互い違いに交えて握り、シーツに押し付けた。テスカトリポカはそのまま腰に力を込めて立香の最奥を轢き潰した。
「あっ、ぅ、~~~~~~っ!」
立香は喉を反らした。テスカトリポカの尻を挟み込んでいた足が震え、丸まっていた爪先が真っ直ぐ伸び、組み敷かれた全身が痙攣するが、テスカトリポカは容赦なく、緩やかに降りてきている子宮口を押し上げた。
「吸い付いてきやがる。処女のくせに、ずいぶん貪欲だな」
亀頭を吸うように収斂する子宮口の感覚を味わうためにのしかかり、胎の奥まで肉杭を突き立てた。肉壁がはじめての男の形を覚えようとするかのように波打つ。
「あっ、イっちゃうよぉ……! イくっ、イくううぅ……!」
上から押し潰すようなピストンに、男を知ったばかりの娘は不随意な極致感に屈した。
「……ぐ……」
テスカトリポカは思わず腰を止めた。肉の詰まった胎内に性器を喰いちぎられてしまいそうだった。
「そう締め付けるなよ。オレまでイきそうだ」
腰をようよう深く沈め、短いストロークで抜き差しをする。
「んっ、これ、好き」
ポルチオをリズミカルに叩かれて、立香は肺腑にこもった体温を吐き出した。絶頂の時に味わう、灼熱が脳天まで突き上げる鋭い快楽ではなく、頭の中がふわふわするような、心地いい夢心地にも似た快感に甘イキする。
快楽を与えられる中で、立香の心は激しくテスカトリポカに惹かれていった。身も心もすべて捧げてもいい……そんな衝動すら込み上げる。
「好き、です」
テスカトリポカの背中に回した手を力ませ、立香は呟いた。彼はなにも言わなかったが、それでよかった。肉体同士の繋がりの中で、たしかに存在する、彼からの親しみの一片を感じられるだけでよかった。
事後の気怠い空気の中で、立香は上掛けにくるまって、初体験の余韻に浸っていた。
気持ちがよかった。はじめてなのに何度もイってしまった……
隣でヘッドボードに寄り掛かって煙草を燻らせるテスカトリポカを見詰めていると、先ほどまでの行為と激情を思い出してしまって、顔が火照った。
テスカトリポカはナイトテーブルの灰皿で煙草の火を揉み消すと 「このまま朝までぐっすり寝ちまえ」立香の頭を撫でた。
「それともまだ甘え足りないか?」
「ううん、満足です」
「またいつでも甘やかしてやるよ」
テスカトリポカはのろのろと立香の隣に身体を横たえた。
少し考えて、立香は彼の方へ身を寄せた。抱き寄せられ、密着する。穏やかに上下する厚い胸に頬を押しあてて目を閉じると、安心感が身体中を満たした。テスカトリポカの規則的な呼吸が眠りを誘う。今夜は、夢も見ずに眠れそうだ。
間もなくして、立香は眠りに落ちた。
「誘惑されたのはオレの方だったのかもな」
ナイトテーブルのランプの燈だけが灯る室内を満たす静寂を、テスカトリポカの小さな声が破った。
彼は寝息を立てる立香の寝顔に視線を溜めた。おやすみくらい言ってやればよかったかもしれない。明日からは戦いが待っている……せめて今だけは束の間の安息に身を委ねればいい……
ランプの燈を消して、立香の身体をしっかりと抱き締めて、神は眠りについた。