極彩色の病

 書を本棚に戻した時、立香に名前を呼ばれた。
 声を辿って顔を巡らせると、じっとこちらを見上げる長い睫毛に囲われた眸と視線がぶつかった。
「プトレマイオスって、手も大きいですよね」
 好奇心を含んだ声音に、アレクサンドリア大図書館内に降りつもる静寂が途絶えた。
「わたしの手と比べてみませんか?」
 持ち上がった平手を前にふっと笑みが漏れた。
「大きさ比べか、よかろう」
 かさついた手がたおやかな手と引き合う。立香の手は二回り以上小さく薄い。すっぽりと覆えるほどだ。
「おっきい!」
 ひんなりとした指が折り曲がって軽く握られた。
「実はずっと大きさ比べをしたかったんです。わたしの手とどれくらい大きさが違うんだろうって」
 指の股に引っ掛かった血色のいい爪は光沢を帯びている。
「人理を救済するために過酷な旅をしているおまえの手はこんなにも小さいのだな」
 手のひらを合わせたまま、立香がしたように指を折り曲げると、大きさも厚さも、皺の数も深さも違う手がひとつになった。
「吾はこの手が好きだ。おまえの手は美しい」
 胸に沸いた言葉が吐息と共に漏れる。
 生前は、長い人生の中で様々なものに触れてきた。時に手を汚した。治世を成し栄華を極め安寧を手に入れた。そんな己が、ただひとりの娘の手のひらの熱がこんなにも愛おしいと思えるとは……この手に傷がついてほしくない。この手には煌びやかな未来を掴み取ってほしい……
「わたしもあなたの手が好きです。大きくて、あったかくて、いつも優しく触れてくれるから」
 ひとつになった手の向こうで立香が健気に微笑んだ。もしかしたらまだ甘えたい年頃なのかもしれない。空いている片手で頭を撫でてやると、「頭を撫でられるのは嬉しいけど、子供扱いされてるみたいでいやです」立香は可愛らしく唇を尖らせた。
「それはすまないな。とはいえ、おまえはまだ——」
 子供、と言い終わる前に頭にあった手を引っ張られ、そのまま頬に導かれた。触れた肌は張りがあって温かい。
「触って、ください」
 ひどく小さな声だったが、互い違いに組み合わさった指にしっかり力がこもるのを感じた。
「子供扱いしないで……」
 立香の頬にはほんのりと朱が差して、さっきまであったいたいけない少女の表情が消えていた。親愛の芳香を漂わせる女を前にして耳がかっと熱くなる。視線を逸らそうにも、情熱的に潤んだ眸に囚われてしまった。
 そっと指を解いて両手で頬を包み込むと、立香は満たされたように目を細めた。
 このまま彼女をローブの内側に隠してしまいたくなった。独占欲という極彩色の病に冒されそうになりながら、親指の腹で頬骨をなぞった。