劣情と本能

 振り上げられた剣先が反らした喉元を掠めた。
 視線だけは目前の兄から外さず、身体を捻って突きを繰り出すと、兄は剣身でそれを受け止めた。一合、二合と打ち合って、三合目で刃が重なり、離れ、四合目でぶつかり合って擦れ合った刃の間で火花が散った。お互い息が乱れている。距離を置いて、兄が先に剣を下ろした。
「見事だ、オウケン」
「ありがとうございます」
「そろそろ休憩にしようか」
「はい!」
 剣を下ろし、手の甲で額を拭う。鎖帷子の下でブリオーは汗でぐっしょり濡れている。
「暑いな」
 兄が鎖帷子を脱いだ。大きな汗染みの浮いたブリオーが剥き出しになる。その下では、筋骨隆々の、生き生きとした肌が息づいている。
 兄は肌着の中に手を突っ込み、手帛で身体を拭いた。捲れた裾から、割れて筋の浮いた腹が見えた。
 その一瞬で、腰回りが重たくなる。昨晩の営みが脳裏をよぎり、どこからともなく現れた劣情が鍛錬で血の巡りがよくなった身体をじわじわと支配していく。
「兄者、今日はこの辺りにしませんか?」
「疲れたか?」
「いえ、そうでは、ないのですが……」
 途切れ途切れに返し、語尾を窄め、見られないように股座を隠すように手で覆う。そこは硬さを得て、中途半端に勃ち上がっている。
「オウケン? ……どうした?」
 ぐっと距離を詰めてきた兄を前に慌てた。兄はすぐに私の変化に気付いた。
「勃ったのか」
「……っ、……! ……すみません」
「生理現象をとやかく言うつもりはない」
「どうにかしてから、部屋に戻ります」
「どうにかできるのか?」
「……わ――できます」
 ほんとうはわからなかった。自分でしたことがないのだ。
「そうか、わかった」
 兄は顎の先から滴る汗を拭うと、鍛錬用の剣を、元あった壁に掛けた。
 ひとり鍛錬部屋に取り残されて、だんだんと呼吸と心拍数が落ち着いていったが、股間ではみっともないくらい、男の象徴が浅ましく主張していた。
 部屋の奥――鎧や剣が並べられている――物陰で壁に寄り掛かっておそるおそるブレーと下着を下ろすと、下生えと一物が露わになった。むわっと蒸れた汗の臭いが立ち込める。長いブリオーの裾を咥え、勃起したものを利き手で握り締め、ゆるゆると手で扱く。尖端から滲み出た体液を肉色の幹に塗りたくると、潤滑がよくなった。ぬるりぬるりと手が滑る。
 昨晩の兄の艶っぽい声や涙の浮いた濡れた眸、そして、組み敷いた逞しい肉体や、ほぐした粘膜から漏れる粘着質な音を思い出しながら、性器を扱いていく。
「兄者、兄者っ……」鼓動が速くなった。情欲に呑まれた愛おしい兄の姿を思い浮かべながら、沸点に達した。

 湯浴みに行き、寝所に戻ってベッドに寝そべっていると、控えめなノックが室内に響いた。
 片手を突いて身体を起こし、立ち上がって「はい」と返す。
 ドアが開いて、「オウケン」兄が顔を覗かせた。
「兄者……!」
「さっきはすまなかった。ひとりにしてしまって」
「いえ、私が悪かったのです」
「大事ないか」
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「ならいい」
 兄者も湯浴みのあとなのだろう、石鹸のいい香りがした。
「オレがどうにかしてやればよかったな」
「いえ、あの場であなたにそのようなこと、させられません」
「今なら、してやれるぞ」
「……兄者……」胸の下で心臓が跳ねた。「私は……」
 湯浴みのあとの芯まであたたまった身体は、血の巡りがいい。血流が下半身に向いて、若い性がみるみるうちに膨らんでいく。
「……キスしても……いいですか……」
「ああ、くるといい」
 向かい合ってお互いの腰を抱き、兄が背中を丸めた。引き合った唇の先が触れ合う。重なった唇の間でリップ音が弾む。背伸びをし、兄の首のうしろに腕を回して引き寄せ、頭を傾けて、薄い唇を食む。
「兄者、すみません、今度は我慢できそうにないです。ひとりじゃ、できません。したいです……兄者……」
 囁くと、兄は私の腰を強く抱いた。ベッドに押し倒した兄の身体は生き生きとした熱を放っている。揃って衣服を脱ぎ捨て、ベッドに上がり、兄の身体に覆い被さる。首元に顔を埋めて肩口に甘咬みしたり、白皙の肌に鬱血の痕を残す。この身体も心も、すべて私のものだ。一片たりとも誰かに渡したりなどしない。
 引き締まった足の間に身体を割り込ませ、己の指を舐めて、まだ受け容れるほどほぐれていない尻の窪みに指を這わせる。指の腹で柔らかい孔の縁をなぞり、じっくりと時間をかけてほぐしていった。
「ん、ぐ、ぅ」 
 突き入れた指を二本へ増やし、浅い場所で鉤型に折り曲げて腹の内側を撫で摩ると、兄の巨躯が震えた。粘っこい音を鳴らし、孔は貪欲に攣縮した。そろそろ頃合いだろう。
 股座でぎちぎちに張り詰めた自身を手に取り、「挿れますね」吐息で言う。
 兄は手首を反らし、枕の端を掴んだ。「いいぞ……」
 ぬかるんだ孔に昂りの先端を押し当て、一息に突き入れる。
「……はぁっ、ぁ」
 兄の熱い吐息が情欲を煽った。深くまで挿入して、円を描くようにゆっくりと腰を揺すり、両腕を兄の身体の横に突っ張って、抽迭をはじめる。
 血の通った肉と肉がぶつかり、熱を含んだ互いの息遣いに被さる。動きに合わせて兄の幅広の唇からはか細い喘ぎ声が漏れた。
 しっとりと汗ばんだ肌を重ね、愛の営みを続ける。
 首のうしろに兄の手が回った。手はするりと肩甲骨の辺りまで滑って、窪みに指が引っ掛かった。こういう時、兄は余裕がない。それをわかっているから、快楽の淵に追い立てたくなる。
「兄者はこれが好きですよね」
 勢いをつけていた腰を最奥で止め、短いストロークを繰り返し、奥を突く動きに切り替える。
「それは、ぁ、ぐ、オウケン、ぁ」
 拓かれた臓腑の隙間のさらに奥を挽き潰すと、兄の太い嬌声は一際大きくなった。硬く、しかし滑らかな粘膜の窄まりの感触は、たまらない。
 兄の足首を掴み取り、今度は上から押し潰すように、長いストロークで責め立てる。睾丸と尻たぶがぶつかって、重々しく生々しい音が弾けた。
「……もう、出そうです、出します……っ」
 ガニ股で猶猶腰を深く落とす。結合部が密着して、兄の体内の深くで弾ける。身震いした。間歇的に精が兄の中へ注がれていく。一滴も零さないように中に射精し、栓をしたまま、腰を小さく叩き付ける。
「孕んでしまえばいいのに……」
 ぽつりと呟いて、兄の下肢をシーツに戻し、萎えたそれを引き抜く。出した子種は孔の縁で泡立って、溢流し、シーツを汚した。
「男は孕まない」
「……わかっています」
 兄の身体に抱き着いて胸に顔を埋めると、頭を撫でられた。呼吸が落ち着くまでお互いなにも言わなかったが、ふたりの間には、充足感と陶酔が漂っていた。
 青臭い精のにおいに汗のにおいが混じる。それから、石鹸のにおい。性の残り香を事後の倦怠感と一緒に肺いっぱいに吸い込むと、眠気がやってきた。
 鍛え上げられ割れた兄の腹に手を置いて、眠りの底に落ちるまで、ありえない「もしも」が存在するよう、願ってしまった。