ハリー×ジェイムス

「ジェイムス」
 食器を洗っている時だった。背後から気配がして名前を呼ばれた後、うなじに吐息を感じた。意識を手元から逸らすと、腰に腕が回って、優しく抱き締められていた。
「ハリー?」
「今夜……しないか」
 熱い囁きが耳元で紡がれて顔が熱くなるが、動じないふりをして泡立ったスポンジで皿を擦り続ける。なんの誘いかはわかっている。わかっているからこそ、思い出して顔が火照るのだ。
「後で行く」
「待ってる」
 ハリーの声には危うげな熱と、期待がこもっていた。

 夕食の後片付けが終わる頃には、シェリルはハリーによって寝かし付けられ、家の中は静まり返っていた。ダイニングの壁掛け時計の秒針が時を刻む音が大きく感じられるくらいだ。
 ハリーの部屋を訪れると、サイドテーブルに置いたランプだけが明るかった。
 部屋に入り、ドアを閉めると、ぼんやりとしたオレンジ色の燈が急にひどく頼りなく感じられたが、これからする行為のことを思えば、部屋は薄暗い方がいい。
「今夜は、できれば最後までしたい」
 ベッドの淵に腰掛けたハリーが、真面目な表情で言った。
「つまり、それは……」言葉に詰まった。
ハリーは意味ありげにゆっくり頷いた。「そのための準備もした」
「……買ってきたのか?」
 目を瞬かせると、ハリーは再び頷き、交わっていた視線を外した。ハリーの視線の先を追うと、枕元に、細長い透明なボトルと、手のひらサイズの箱が置いてあった。ローションとスキンだ。
 今までは行き場のない性欲をぶつけあうようにして肌を重ね、互いの手で慰めてきた。セックスでいえばきっと前戯だ。本格的に挿入したことはない。同性のセックスのやり方はわからないが、いつか彼とひとつになりたいとは思っていた。それが、今夜なだけであって。
 わかっているはずなのに、心臓が暴れ馬のように跳ねている。
 ハリーの隣に座り、彼のシャツの襟元を引っ張って、距離を詰める。
 頭を傾けると唇が触れて、隙間から薄い舌が滑り込んできた。舌先をつつき合い、吐息を交換し、舌を絡ませる。慣れたはずのキスも、今夜は刺激的だった。
 揃って生まれたままの姿になるのに時間は掛からなかったが、服を脱ぐ時間ですら惜しかった。横たわるといつものようにハリーが被さってきた。
 彼の広い背中に指を這わせて抱き寄せ、肩口に咬みつく。今夜は、いつも以上に高揚しているのだ。
「私が下になろうか?」
 こちらを覗き込み、そう訊ねてきたハリーは心配そうな顔をしていた。
 彼の端正な顔立ちを見据えて小さく首を振る。
「どうせ私は何もできない。あなたを傷つけるだけだ。それに、私はハリーを受け容れたい」
 唇を横一文字に引き結んだハリーの双眸の奥深くで、情欲の火が灯ったのを見逃さなかった。

 折り曲げて開いた足の間にハリーの身体が割り入った。まだ触れられたことのない未知なるそこへ、ローションをすくい取った彼のひんなりとした指が伸びる。ローションはひんやりとしていたが、ハリーの手は温かかった。
 顔を逸らして目を閉じ、ゆっくりと呼吸を繰り返す。「力を抜いてくれ」と言われてなんとか身体から力を抜こうとしたが、そうすると異物の存在を感じてしまい、よけいに強張った。 爪先が張る。
 緊張していると、身体を屈めたハリーの唇が胸に落ちた。ハッとした時には乳首を吸われ、舌でなぶられ、無意識に喉が反った。筋肉が攣縮する。
「あ、ハリー……!」
 隆起した胸筋に顔を埋め、ハリーは優しく愛撫を繰り返す。性感帯を刺激されて、身体が弛緩した。気持ちがいい。乳首を挟み込んだ唇の間で舌が生き物のようにくねっている。ハリーが頭を上げると、乳首は唾液でぬらぬらと濡れ、つんと尖っていた。
「…………!」
 体内を割っていた指が一気に奥へと進んだ。味わったことのない感覚に、声にならない声が漏れた。孔は確実にほぐれ、ハリーの指を受け容れている。
 指は慎重に体内で折れ曲がり、敏感な粘膜を擦り、時間をかけて奥へ奥へと割り入っていく。ぬちゅ。ぬちゃ。粘っこい水音は次第に大きくなっていった。身体が芯から熱くなって、気が付けば汗だくだった。
「今何本挿ったと思う?」
「……わからない」
 自分の足の間へ視線をやる勇気はなかった。
「三本」
「あ、」
 ハリーが答えると同時に手を動かした。意思と関係なく太ももがびくびくと痙攣する。
「ん……」
 彷徨わせていた視線をハリーに向けると、今まで孔をほぐしていた手が見えた。人差し指から薬指までが、根本から指の先までぐっしょりと濡れていた。今まであの手がゆっくりと前後に動いていたのだと思うと、腹の底が熱くなった。
 ハリーがスキンを開封し、装着するまでの間、仰向けで足を開いたまま、じっとランプを見詰めていた。これからいよいよ彼を繋がるのだ。喉が鳴った。
 濃い影が被さってきて、名前を呼ばれた。ハリーの双眸は鋭かった。まるで獲物を狙う猛禽類だ。背中がぞくぞくした。この男に喰われるなら、本望だ。
「平気か?」
 視軸をハリーに向けて顎を引く。「きてくれ」吐息で言って、微かに笑んだ後、身を乗り出した彼に膝裏を掴まれた。足がさらに開かれ、硬く熱いものが尻の割れ目をなぞる。ぱっくりと拓いた孔に先端が押しあてられて、息をすることを忘れた。少しの抵抗感のあと、それはずぶずぶと肉の割れ目に潜っていった。
「あ、あ、あぁ……!」
 真っ直ぐに伸ばした手でシーツを掴み取り、眉間に皺を寄せる。出っ張りが孔の淵に引っかかったが、ハリーは大きく息を吐くと、腰を突き出し、一気に突き入れてきた。疼痛が腹を穿った。痛みはその一瞬だけだった。
「――――」
 指とは違う、圧倒的な熱量だった。頭をもたげて結合部に視線をやる。太い幹が体内に呑み込まれている。ハリーの雄は瞬く間に根本まで埋まった。
「ハ……リ、あ、あッ」
 緩やかな律動がはじまった。動きに合わせて開いた口から情けない声が漏れ出た。歯を食い縛ろうとしても、顎に力が入らない。
「……ッ、あ、あぁ、ん、んッ」
 目に生理的な涙が湧いた。瞬きを繰り返すと、溢れた涙が目尻からこめかみへ伝い落ち、枕に吸われた。
 腹の中に別の生き物がいるようだった。生き物は臓腑の隙間を食い散らかして、脊髄にねっとりと絡みついて伝い上がり、鋭い快楽で脳を揺さぶり、理性を突き崩す。剥き出しになった本能をハリーと喰らい合い、最後はきっと、何も残らない。
「う、あ、あ! あああ!」
 シーツを握る手から力が抜けた、全身が熱い。まるで血が沸騰したかのようだ。血の通った肉体と肉体の交わりに、身体の境界線がわからなくなってしまいそうだった。
 ハリーは短い呼吸を繰り返しながら、円を描くように腰を動かす。腹の内側を強く叩かれる度に意識を手放してしまいそうだった。引いては押し寄せる快楽の波に呑み込まれそうになるが、意識を失わまいと集中する。涙で潤んだ視界でハリーを見詰めていると、唇を塞がれた。
 彼の首の後ろになんとか腕を回して抱き寄せ、身体を密着させて、むちゃくちゃに口腔を犯した。いや、犯されているのは自分の方なのかもしれないが、もうどうでもよかった。離れると、間で唾液の糸が引いた。マットレスがぎしぎしと軋む音とふたりの息遣い、そして、濡れた肉と肉がぶつかる音が混ざり合って、部屋に響いた。
 ふたりの間では、自身の萎えた本能が揺れていた。勃起する気配もないまま腹に当たっては離れを繰り返している。緩やかで規則的なストロークが続く中、不意に未知なる快楽が背骨を突き抜けた。目の前が真っ白になって、尖端から勢いのない白濁がとろとろと溢れ出た時には、声も出せなかった。ハリーを制止することもできず、喉を反らして、全身を痙攣させながら息をするだけで精一杯だった。
「~~~~~ッ!」
 何が起きたのか理解できなかった。射精感とは違う、もっと別の法悦だ。
「後ろで、イったのか」
 ハリーの静かな声に我に返る。
「イってない」と反論したが、声になっていたかわからない。
「気持ちいいなら、よかった」
「あッ……!」
 膝裏を押し上げられ、尻が浮いた。上から押し潰すようなピストンがはじまり、ハリーの腰の動きが速くなった。みだらな摩擦が繰り返されるうちに孔の淵は内側からめくれ、ぷっくりと膨れて、ペニスが抜き差しされるのを悦ぶようにいやらしく濡れていた。
「ハ、ハリー、待ってくれ、おかしくなるッ……」
 懇願する声は途切れ途切れだったが、ハリーは腰を止めてくれた。奥深くまで埋まっていた塊がずるずると引いて、孔から抜ける感覚に眩暈がした。
 スキンに包まれたそれとハリーの物欲しげな顔を交互に見据えて、唾を飲み込む。呼吸も鼓動も落ち着いて、もう一度ねだる。それくらい、猛る本能が欲しかった。あの夢心地に浸りたかった。

 四つん這いになると、両膝がシーツに深く沈んだ。ハリーの大きな手に尻たぶを掴まれ左右から引っ張られると、ほぐされた孔が丸見えになって、恥ずかしかった。
 二度目の挿入は、痛みはなかった。ハリーを奥まで迎え入れ、与えられる疼きに目を閉じる。身体が前後に揺さぶられ、耐えられなくなって枕に突っ伏した。ハリーの手が腰を挟み、動きが荒くなる。後ろから深々と突かれ、脳が直接揺さぶられるようだった。
 のしかかったハリーの重さを背中で受け止める。肩口を咬まれ、脱力した。
 これでは種づけされる雌ではないか――そんな考えが頭をよぎったが、構わない。今は、とろけるような気分なのだから。
ハリーの乱れた息遣いが自分の喘ぎ声と溶け合った。
 肩に歯が食い込んで、一層強く突き上げられた。体内でペニスがどくどくと脈打って、ハリーが絶頂を迎えたことを察する。
 スキンはつけているものの、ハリーは吐き出した精をより深くへそそぐように腰を打ち付けた。生身のつながりだったら、どうなっていたのだろう? 痺れる頭で考えようとしたが、うまく思い描けなかった。
 壁に張り付いていた影は繋がったままで、それはまるで一頭の獣のようだった。
 サイドテーブルの上の、中身がちょっとだけ減ったローションのボトルと蓋の空いたスキンの箱を横目に情熱的な余韻にぼんやりしていると、激高が去った部屋に、静けさが鈍重な足取りで戻ってきた。
「ジェイムス」
 生々しい静寂を破ったハリーの声は穏やかで、まだ熱を孕んでいた。
 今夜は眠れないかもしれない。