注文の多い魔力供給

 二匹の猟犬を連れて山で猟をしていたふたり組の若い紳士が、獲物を仕留められなかった挙句に猟犬にも死なれ、途方に暮れて下山する途中、道に迷った末に、一軒の西洋料理店を見付ける話を子供の頃に読んだことがある。
 入口を潜るとドアがあって、上には「当軒は注文の多い料理店ですが、どうかご承知ください」そう書かれていて、ふたりは「客が多いから注文が混み合っているのだろう」と納得して奥へ進むが、進むごとにドアがあり、そこには「髪をといて、靴の泥を落してください」だとか「銃と弾丸を置いてください」といったような指示が続く。
 そしてとうとう無防備になったふたりは、この店が西洋料理を提供する店ではなく、客を料理して食べる店であることに気付く。
 逃げ出そうとするものの、ドアは開かない。
 恐怖で泣き出すふたりの前に、死んだと思っていた二匹の猟犬が現れて、奥のドアへ飛び込んだ。すると、暗闇から断末魔が聞こえてきて、西洋料理店は幻のように消え去り、ふたりの男は間一髪のところで助かる。食われずに助かった男たちは……ああ、わたしは何故、そんな話を思い出したのだろう。食われなかった男たちの話なんて、今から食われるわたしには関係のない話だ。 
 テスカトリポカの注文通り、髪をといて、携帯端末を置き、服は全部脱いで、コーパルの香煙を纏い、ベッドに横たわった。
 インナーと下着も脱ぐように言われたけれど、さすがに恥ずかしくて、今回もそれだけは頑なに拒んだ。
 戦闘後の昂揚感を噛み殺した戦士の姿をしたテスカトリポカは、ベッドの傍らに立って、わたしの身体を見定めるように、頭からつま先までじっくり眺めた。
「そんなに、見ないでください」
 顔を逸らして、唇を引き結ぶ。
 テスカトリポカは鼻を鳴らして鷹揚とベッドに上がると、わたしの身体に覆い被さった。濃い影が天井から差す燈を阻む。インナーの肩紐がずらされ、首筋から肩が剥き出しになる。
 戦化粧の施された顔が近付いてきて肩口に埋まり、鋭い痛みが肌の下を走った。
「んっ……!」
 歯が薄い肉に深く食い込んでいく。
「……痛っ!」
 痛みは一瞬だったが、血が出ているのだろう、鼓動に合わせて咬みつかれた場所が疼いた。テスカトリポカの厚い舌が流れ出る鮮血を舐め上げ、唇が吸い付く。くすっぐたいような、むずがゆいような感覚にぞくぞくした。
 彼はこうして時々わたしに咬みつき、血を飲む。魔力供給の一環だとわかってはいるが、まだ慣れない。いつか本当に骨の髄まで食べられてしまいそうで怖くなる時がある。「極上の血潮だ」
 テスカトリポカはゆっくりと頭を離した。
「もう、いいですか……?」
「ああ」 彼は素っ気なく言ってベッドから降りた。
 血を飲むだけなのに、髪をとけとか、携帯端末を置けだとか、服を脱げだとか、どうしてあんなに注文が多いのだろう?
 その後、黒のテスカトリポカに理由を訊ねた。
「ああ、あれか」テスカトリポカは飄々と続けた。「オレは食にはうるさくてね。極上の料理は最高の状態で食いたいんだよ。余計なものがあっちゃ困る」
 彼はそう言って喉の奥で笑って、「おまえの肉は柔らかい。血も熱くて美味い。たまらん。逸品ってヤツだ」腹ペコの山猫みたいに舌舐めずりをした。