弟と書庫で見付けたのは、父の代に料理長を務めていた男の手記だった。
なぜ個人の手記が書庫にあったのかはわからないが、几帳面そうな字で綴られた文章はすべて食に関するもので、誰になにを提供して喜んでもらえただとか、食材の調理法だとか、その日の献立だとか、そんなことが細かに隅々まで書かれていた。興味深かったのは、聞いたことのない珍しい食材が父や母に提供されていたことである。
「行商人から、西の国で数十種類のスパイスで味付けた煮込み料理があると聞き、レシピをもらった。早速作ってみたが、すごく辛い。だが騎士たちには好評で、あっという間になくなった」
「今日はありがたいことに新鮮な魚が届いた。塩漬けにされたものしか見たことがないから、捌くのに苦労した。この国では魚は貴重だ。海が近い国では毎日魚を食べるそうだ。羨ましい」
「グリフォンの腿肉が余ったので塩漬けにして保存した」
「リヴァイアサンのステーキ
リヴァイアサンの肉各部位 200グラム/塩、コショウ 各適量/タイム(乾燥) 適量/ローリエ 適量」
「ワイバーンの肝のコンフィ
新鮮なワイバーンの肝 900グラム /塩 肝に対して2%/タイム(乾燥) 適量 ローリエ 適量/黒コショウ 適量/にんにく 適量/豚の油 肝が浸るくらい」
「今日は冷えるのでサラマンダーの火炎袋のソテーを作った。熱いので下処理が大変だったが、王妃様が気に入ってくださった! 地上にあるガチョウの肝臓に味が似ているという」
「今夜はヒュドラのパイとシチュー。ヒュドラは肉が硬いから、じっくり加熱。サトゥン王の好物である心臓はローストした」
「サトゥン王が王妃様のためにキマイラを狩ってきた。心臓はシンプルにロースト。味付けは塩のみ。焼き加減はミディアムレア。王妃様はぜんぶ召し上がった。サトゥン王が喜ばれていた。元気なお子が産まれますように」
幼いころそうしたように、時間を忘れ、弟と並んで手記を読んだ。
自分たちが知らない両親のこと――特に母上のこと――が書かれていると、懐かしい気持ちになった。
母が自分たちを身籠っている時、あの父が、母のために精がつく食材をわざわざ調達していたことには驚いた。兄の時はキマイラの心臓、私の時はグリフォンの心臓、弟の時はヒュドラの心臓……私たちの身体の一部は、魔物の血肉でできている……。
「兄さん、キマイラの心臓を食べたことは……?」
「ありませんよ。サラマンダーの火炎袋も、ヒュドラのシチューも、リヴァイアサンのステーキや、ワイバーンの肝だって食べたことありません」
「この料理長がいないのが残念だ。もしまだいたら、私たちも珍しい料理を食べていたかもしれないね」
「彼はいつまでこの城にいたんでしょうねぇ」
「少なからず、私が産まれた時はいたみたいですね」
彼の行方が気になって、手記の最後のページを見てみることにした。
染みだらけの手記の最後のページの日付は二十年以上前だった。
「今日は厨房に立つ最後の日。私も老いた。次の世代に任せてここを去るが、世にはまだ知らない珍味や美食があるだろう。それを求めて旅に出るのも悪くない。
最後になるが、もしもこれを読んでいる者がいるなら、とっておきのレシピを贈ろう。私が遠征時のある晩、騎士たちと食べた料理だ。あの時の肉の味は忘れられない。結局のところ、なにを食べても空腹が一番のソースであり、かけがえのない人たちと食べるのが一番美味いのだ。
猪肉を火で炙り、焚火を囲って皆で食べる 以上」
弟と顔を見合わせる。先に笑ったのはオウケンだった。つられて笑い、手記を閉じる。これは貴重な資料として扱うべきだろう。
あとで判明した話だが、兄は幼いころに、ヒュドラのシチューと、リヴァイアサンのステーキを食べたことがあるという。
味はどうだったのか訊ねたところ、兄は顎を摩って虚空を眺めたあと「ああ、美味かったぞ」と答えた。
未知なる美食というのは好奇心をそそるが、私はかけがえのない兄弟たちと、平凡な食卓を囲いたい。