昏き地底のレゾンデートル

「デスハー様、お父上が食堂にてお待ちです」

 中庭で弟たちと鍛錬をしていると、父の側近である騎士がやってきてそう告げてきた。

「オレを?」

 鍛錬用の剣を鞘におさめ、頬を伝う汗を手の甲で拭う。

「一体何用だ?」

「お急ぎください」

 騎士はそれだけ言った。兜の視孔から見える眸が射抜くように己を見下ろしている。この騎士は寡黙だが、腕が立つのをなんとなく思い出した。そして、父の従順な操り人形のような男であることも。

「お前たちは続きを」

 きょとんとしているデスパーに剣を預け、足早に食堂に向かうことにした。厭な予感しかしないが、父に呼ばれたのなら仕方がない。

 城内に戻り、薄暗く長い廊下を進む。早く弟たちの元に戻りたかった。

 食堂の扉を開けると、静寂と冷たい空気に迎えられた。長いテーブルの一番奥の席に父はいた。距離を置いた反対側の席には、ひとり分の食器が一式用意されていた。

「お呼びですか、父上」

「そこに座れ」

 父の嗄れた声が薄闇に響く。

 父に言われた通り、食器が用意された席に着き、テーブルの端と端で向かい合った。父の前には豪勢な食事が並んでいるが、己の目の前には、空の白磁の皿と、銀のナイフとフォークが燭台の燈に赤々と照らし出されているだけだった。

一緒に食事をするわけではないのは、よくわかっているので、どうでもよかった。

「オウケンに稽古をつけているそうだな」

 父は皿の上の肉を切りはじめた。なんの肉かは考えたくない。

「それが、なにか」

「生ぬるい兄弟ごっこをするのは構わないが、これだけは忘れるな」

 肉を切り分けていた父の手がぴたりと止まり、下を向いていた昏い眸が持ち上がる。目が合った。父が己を凝眸する時というのは大抵決まっている。蔑み、罵る時だけだ。

「私の可愛いオウケンに怪我でもさせてみろ。生まれたことを後悔させてやるぞ」

 ナイフの刃が皿の縁に当たって、がちゃんと耳障りな音を立てた。

 鋭い沈黙が燭台の燈に暴かれる。

父はもう己を見ていない。

「父上はオウケンには甘いですね。デスパーが大怪我をした時は、見舞いにも来なかったではないですか」

「身の程を弁えろ。オウケンはお前たちとは違う」父は肉を一切れ口に運びながら続けた。「特にお前のような木偶の棒とはな」

 膝の上で拳を強く握り締める。爪が掌に深く食い込んだ。ふつふつと湧き上がった真っ赤な怒りが胸の中で暴れ回る。それを悟られないように奥歯を食いしばり、父を睨め付ける。

「話は以上だ。わかったのなら行け」

 父がまた肉を切りはじめる前に、椅子を引いて立ち上がる。生じた風で蝋燭の火が瞬いて、テーブルに伸びた影が揺れた。

 どす黒い屈辱を胸に抱えたまま食堂をあとにする。

 掌には血が滲んでいた。

「あ! 兄者が戻ってきた!」

 中庭に戻ると、オウケンが駆け寄ってきた。顔は紅潮し、額には玉の汗が浮いている。そのうしろでは、剣呑と眉を寄せたデスパーが物言いたげな顔をして立っていた。

「兄さん、父上は、なんと?」

「大したことじゃない」オウケンの頭を撫でながらつとめて平然と答える。「それより、稽古の続きをしよう」

「兄者、僕、強くなりたいです」

「なら、よりいっそう稽古に励まなくてはいけないぞ」

「頑張れば、強くなれるでしょうか?」

「ああ、強くなれるさ」

 オウケンは白い歯を見せて笑った。健気な笑顔だった。先日抜けたばかりの前歯が一本欠けている。

デスパーに預けていた剣を受け取り、鯉口を切る。

 ——生まれたことを後悔させてやるぞ。

 父の言葉を思い出したが、それを振り払うように剣を薙いだ。

 生まれたことを後悔したことは一度たりともない。なにがあろうともそれはこれからも変わらない。

「オレにはお前たちがいる」

 いずれ逞しくなるであろう弟たちの背中を見据えてぽつりと呟くと、胸が熱くなった。