その日も剣の稽古をしようと中庭に降りた。
肩に担いでいた鍛錬用の剣を構えると、すぐそばの茂みから鳥の鳴き声がした。
鳥は普通木に止まるものだ。不思議に思いながらも無視して素振りをはじめるが、鳥の鳴き声は途絶えることなく耳朶を打ち、稽古に集中できなかった。
剣を置き、鳴き声を辿って茂みを掻き分ける。茂みの奥で、青い小鳥が地面に身体を横たえ、広げた翼をめちゃくちゃにバタつかせてもがいていた。よく見ると左側の翼の先が折れ曲がっている。木から落ちでもしたのか、怪我をして飛べなくなってしまったのだろう。
「可哀想に」ゆっくりと慎重に近付くと、小鳥は怯えたようにか細い声で鳴いた。「大丈夫だよ」
しゃがみ込んで小鳥の身体をそっと両手で掬い上げる。掌におさまった小鳥の身体はあたたかかった。
鳥の介抱ははじめてだが、頼れるデスハー兄さんなら救ってくれるだろう。
茂みから飛び出し、鳥を大事に抱きながら兄の元へ行こうと走り出す。
「オウケン」
耳に絡みつくような猫撫で声に名前を呼ばれて歩が緩んだ。振り返ると、父が中庭の端に立っていた。
「父上……」
父が近付いてくる。見られる前に身体のうしろに小鳥を隠した。
「オウケン、今、父になにを隠した?」
「なんでもありません」
「オウケン」
父の鋭い声に怯み、おずおずと後ろ手に回していた手を正面に戻す。父は掌の中の小鳥を見ると、丸い目をさらに丸くさせた。
「翼が折れているようなのです。このままでは可哀想なので、デスハー兄さんに診てもらおうと思って」
小鳥は手の温度が心地いいのか、目を細めておとなしくしている。
「翼が治ればきっとまた飛べます」
「見せてみろ」
父の手が伸びてきた。言われた通りに父に小鳥を渡す。もしかしたら父は怪我を治してくれるかもしれない。
父は掌に乗せた小鳥をまじまじと見詰めた。小鳥はぴいぴいと甲高い声で鳴き、両翼を広げて暴れはじめた。父が煩わしそうに顔を顰める。
「父上、やっぱり返してください。兄さんに診てもら――」
突然、目の前で節くれだった指が折り曲げられた。父の肉厚な手の中で、ぺきょっと硬いものが砕ける音がした。
「えっ……」
なにが起きたのか理解するのに時間が掛かった。父の握られた拳から粘度の高い血が糸を引いて滴り落ちている。
父が手を開くと、指の間からどろどろとした赤黒い塊が落ちた。足元で湿った音が弾ける。視軸を下げると、ぐちゃぐちゃに潰れた肉の塊から、へし折れた小鳥の片足が突き出ていた。
「これで、デスハーに会いに行かなくて済むな」父は笑っていた。「お前が憂うこともない」
「なぜこんな惨いことをするのですか……?」
「私がしたことが惨いと思うのか? これは慈悲なのだ、オウケン。落ちた鳥は二度とは飛べん。ならば苦しみから解放してやった方がいいだろう」
――ああそうだ。父が慈悲や憐憫を持ち合わせているわけがない。
もしそんな感情があるのなら、兄ふたりを蔑ろにしたりなどしない。
背中を冷たいものが滑り落ちて、目の前がぐらぐらと揺れはじめる。口の中が渇いて、薄く開いた口からは言葉が出ない。
父はくつくつと喉を震わせて笑い、踵を返すとローブの裾を引きずって城内に戻っていった。
ひとり取り残されて、ただ立ち尽くした。俯くと、足元に転がった肉塊に蟻が寄ってきていた。風が吹いて、血腥い臭気が鼻先を掠める。吐き気がした。
「……慈悲なものか……」
小鳥のぬくもりの残った手を強く握る。
血に染まった羽毛がふわりと舞い上がって、遠くに飛んでいった。