澄んだ夜長に火を灯す

「お前の手は日々の努力が沁みているな」

 ベッドに寝そべったまま、オウケンの手を取る。体躯の雄偉な弟の掌は、指の付け根の皮が厚くなって、指の腹や側面には剣胼胝がいくつもできていた。誰よりも美しく、勇ましい手だと思う。

「兄者に触れてもいいですか?」

「ああ」

 弟のぬくい掌が頬に触れた。指先が慈しむように輪郭をなぞる。繊細な手付きだった。「……兄者」

 見詰め合っていると、頭をもたげたオウケンの影が被さってきた。

 目を閉じると、柔らかい唇が押し当てられた。触れ合った口唇の隙間から舌が潜り込んできて、上顎を舐め上げられる。

 そうなることが当たり前であるかのように、弟の熱烈な口付けを受けながら寝衣を脱ぐ。オウケンの興奮を抑え込んだ息遣いが、色に染まった寝所に似つかわしい。

 腹の底で渦巻く情欲は、弟を求めていた。

 肌を重ね、愛を紡ぎ、求め合った。

 弟とこうして甘美な潜熱に満ちた夜を過ごすのは何度目だろう。

「は、オウ、ケン」

 オウケンの動きに合わせてマットレスが弾む。熱い血潮であたたまった肉体がぶつかり合う。

 愛の営みは夜すがら続き、昧爽のころに、揃って泥のように眠った。

 或る昼下がり、中庭を臨む通路を歩きながら、ふと、切り抜かれた覗き穴から中庭を見ると、オウケンが部下たちと鍛錬をしているのが見えた。

 剣戟はここまで聞こえてくる。足を止めてじっと見下ろすと、オウケンの雄々しい表情がよく見えた。

 オウケンの鋭く速い剣は、あっという間に部下を打ち負かした。

 オウケンはその後も三人の部下と打ち合いをしたが、四合と打ち合わぬうちに膝を突かせた。隙のない、圧倒的な剣捌きだった。

 弟は、まだまだ強くなるだろう。

 いつか己を超えてほしいと思う。

 四人目がオウケンの前で剣を構えるのを見て、マントを翻し、玉座の間に戻ることにした。

「兄者、先ほど、騎士団の鍛錬を見て下さっていましたね」

 夕食の席で、オウケンは思い出したように言った。

「たまたま通り掛かってな」皿の上のパイを切り分けながら、斜め前に座るオウケンの方を見やる。「お前の剣術、見事だった」

「私の指導の賜物です」

 オウケンが口を開くよりも先に、ゴブレットをテーブルに戻したデスパーが得意げに言った。

「オウケン、デスパーに剣術を教わってるのか?」

「はい。デスパー兄の分析力はすごいです。私に足りないものをたくさん教えてくれます」

「オウケンにはまだ眠っている才能がたくさんあります。それを引き出してあげたいのです」

「私はいつか、兄者を超えたい」

 頼もしい弟は強い意志のこもった眸をこちらに向けた。

「その日を心待ちにしている」

 パイを頬張る。塩気のある挽肉は味が染みて、噛み応えがあってうまい。

「そうだ、兄者」

「ん?」

「明日、鍛錬を見に来ませんか? 王が見に来てくれたら、部下たちの士気も上がります」

「いいぞ」

「ありがとうございます」

「オレが行って萎縮しないといいがな」

「それどころか、皆喜びます」

 オウケンは白い歯を見せて笑った。そして、食べかけのかりかりに焼けたベーコンをナイフで切りはじめた。オウケンはよく焼けたベーコンが好きだ。

 テーブルの上で燭台に灯った火が瞬いて、皿に張り付いた三人の影を揺らした。

 翌日、少し時間ができたので執務の合間に中庭を訪れた。

 騎士団長であるオウケンはこちらに気付くと「王がお見えだ!」声を張り上げた。オウケンの一声で、各々鍛錬をしていた団員たちが集まり、隊列を組んだ。

「気を付けっ!」

 一糸乱れぬ剣光帽(けんこうぼう)(えい)の様は、見事なものだった。

「見に来てくださったのですね」

 オウケンは手にした鍛錬用の剣を鞘におさめ、歩み寄ってきた。

「オレもお前と手合わせでもしてみるか」

「いけませんよ、王。それこそ私の部下たちが萎縮してしまいます」

「冗談だ」

「だと思いました」

「はっ、言うじゃないか」

 笑い合って、オウケンの背中を叩く。

「任せたぞ、団長。頼りにしている」

「最強の騎士団を作り上げてみせますよ」オウケンは懐っこく笑った。

「これから騎馬隊の馬上訓練を行うのですが、ご覧になりますか?」

「ああ。見せてもらおうか」

「では、こちらへ」

 オウケンのあとに続く。

 そのあと、夕方まで中庭で過ごした。

 その晩は冷えた。

 オウケンは暖炉に薪をくべてくれた。

 燃え盛る火が赤々と室内を照らし出し、心地好い静寂を運んできた。

 ふたりで火にあたりながら談笑をするうちに、眠くなってきて、指の背で目を擦った。

「おやすみになりますか?」

「いや、まだいい。もう少しこうしていよう」

 身じろぎして椅子に座り直す。忙しない一日の終わりの穏やかな夜というのは、どんな宝よりも価値がある。

「火の勢いが弱まりましたね」

 隣でオウケンが立ち上がり、やや勢いを失くした火に薪を足した。火はすぐに勢いを取り戻した。

「すまんな」

「いえ……」

 オウケンは振り返ると、物言いたげな表情のまま目の前まで寄ってきて足を止めた。

「オウケン?」

 弟を見上げる。火から離れた弟のシルエットは翳っている。

「兄者」

 オウケンは背中を丸めると、肘掛けに置いていた私の手を取った。そして手の甲に口付けを落とした。

「愛しています」

 囁きは火よりも熱かった。

「どうしようもなく、私はあなたのことが好きです。あなたに焦がれている。私は生涯、あなただけを愛することでしょう」

 弟のストレートな愛の言葉は胸を熱くさせた。

 オウケンの頬に触れ、そっと包み込むと、ふたりの間で萌えた揺るぎない親愛が火に照らされた。

 ぱちりと、火の中で薪が弾けた。

 それは祝福の鐘の音のように、甘美な余韻を残した。