夜はゆく

 (シ ラ)当て(サンペ)の特訓に夢中になっているうちに、中庭はいつの間にか光が欠けて、縹渺とした夜の闇が広がりはじめていた。

 ぜいぜいと息を切らして、頬を伝い落ちる汗を手の甲で拭う。数メートル先に立てた的はもう見えない。

 地上では日が落ちていることだろう。冥府の夜は、地上と違って色濃い。

 続きは明日にしようと、兜を脇に抱えて踵を返す。

「今日はうまくいかなかったな」

 独り言ちて苦笑いする。顎の先から汗が滴り落ちた。

 まだまだ練習不足だ。コツを掴むまで時間が掛かる。明日はデスパー兄に見てもらってもいいかもしれない――そんなことを考えながら城内に戻り、ひと汗流そうとそのまま浴場へ向かった。

「オウケン」

 廊下の途中、背後から呼ばれ、足を止めて振り返る。王がいた。

「兄者」

 思わず頬が崩れる。長兄が玉座について日は浅いが、指揮官だったころよりも威厳が増した。王冠と王笏がそうさせているわけではないのは、よくわかっている。

「明朝軍議を開くことにした。南部の暴動についてだ。デスパーやお前の意見が聞きたい」

「わかりました。治安を乱す輩がいるのは僕も知っています」

「お前と隊長に対処してもらうことになるかもしれん」

「王の命令であれば、早馬で向かいましょう」

 兄と並んで廊下を進んだ。もうすぐ玉座の間だ。

「ああ、オウケン」

 兄は曲がり角で立ち止まった。

「遠当て、見事だったぞ」

「あ――」

 見てくれていたのか。

「ありがとう、兄者」

「また今度手合わせしよう」

 ひらりと手を振って、兄は玉座の間へ戻っていった。兄の背中が見えなくなるまで見送って、また歩き出す。

 兄は、いつだって己のことを見てくれている。

 幼いころからそうだった――父の屈折した愛情とは違っていた。私の可愛いオウケン。それが父の口癖だった。兄ふたりの存在を蔑ろにするくせに、己には愛を口にし、猫撫で声で話し掛けてくるのが常だった。父の異常なまでの掣肘(せいちゅう)と粘ついた視線が厭だった。他にも色々とあったが……思い出したくない。思い出す必要もないだろう。ただ、今思えば、あれは親が子に向ける愛情ではなく、醜く浅ましい執着だったのだ――兄は父から護ってくれた。いつもそばにいてくれた。優しく頭を撫でてくれた。抱き締めてくれた。他にも胸を熱くさせる思い出はたくさんある。一度たりとも、兄の愛情を忘れたことはない。

「兄者、僕は……」

 剣胼胝だらけの掌を見詰め、強く握り締める。

「あなたを護りたい」

今度は己が兄を護る番だ。支える番だ。

「護られるほど弱くないぞ」なんて言われそうだが、絶対に、失いたくないのだ。