聴覚センサーは、背後から微かに聞こえる硬い音をキャッチした。音の出どころは一ブロックほど離れているが、単調なリズムで徐々に近付いてきている。金属がアスファルトを打ち鳴らす独特の音の正体は、この場所へ来るよう位置情報を送ってきた相手の足音で間違いないだろう。
「大変! 遅刻しちゃったみたい!」
聴覚センサーが壊れるかと思うほどバカでかい声だった。
「レヴナント! ごめんね! 三分八秒遅れちゃった!」
組んでいた腕を下ろし、首を巡らせると、声と同じく、胸部ディスプレイから飛び出しそうなくらい大きな感嘆符と一緒にパスファインダーが大股で走り寄ってきた。
「声量を抑えろ。回路がイカれたのか?」
「これには理由があるんだ! ちょっとまって! 今下げるね! ああ! ああ……ンン……」
惑星の端にいても聞こえそうな声は、少しずつ小さくなっていった。
「……どうかな、普段通りに出力しても、僕の声が聞こえる?」
「聞こえないとでも思ったのか? お前のやかましい声は遠くにいても聞こえるんだぞ」
嫌味をひとつぶつけてみると、感嘆符が消えて、いつもの笑顔を浮かべたフェイスマークに戻った。
「僕のボイスモジュールが壊れたわけじゃないみたいだね。安心したよ。ありがとう」
カメラアイを明滅させたパスファインダーの両肩にあるコイルがわずかに下がる。わかりやすい安堵の仕草だ。いつもなら「いじわるしないで!」とディスプレイいっぱいに泣き顔を映し出すのだが。
「実はね、さっき僕より一世代前の機体を見掛けたんだ。大きな窓をひとりで掃除していて大変そうだったから僕も手伝ったんだけど、何度話し掛けてもなにも返してくれなかった。まるで僕のことが見えてないみたいにずっと窓を拭いてた。だから僕のボイスモジュールが不調なのかと思って心配になっちゃったんだ」
「それでわざわざ私を呼んだのか?」
「うん。君に診断してもらおうと思ったんだけど、もう大丈夫」
「私が来なかったらどうするつもりだったんだ?」
「それは考えてなかったな。来てくれると信じてたから」
唸って、再び腕を組む。なんだか調子が狂う。
「ねぇレヴナント、彼はどうしてなにも答えてくれなかったんだと思う?」
「そいつをプログラミングした奴に聞け」
短く排気して視軸をずらした。
彼は恐らく、ロボットが人間に使役させるために都合よくプログラミングされた金属の塊にすぎないということをわかっていないのだ。
パスファインダーが出会った機体は、窓を拭くためだけのロボットだ。他の機体や人間とコミュニケーションを取ったり、正確な判断や推論を導くことも必要なく、なにが起きても「手を止めずに窓を拭き続ける」という目的だけをインプットされているのだろう。
窓を拭くことだけが存在意義であり、たったひとつの生きる理由だ。
パスファインダーはそれを知らない。知らないことを愚かだとは思わない。彼を嗤えば、自身を嘲るのと同じだ。幾度となく凄惨な最期を遂げても、死んだことを忘れるように造られた惨めな金属の塊であることを認めることにもなる。
「うまく言えないけど、僕の知ってる機体とは違ったよ。不思議な友達だ。まるで君みたい。君も他の機体とは違うから――あ、君が人間だったことは知ってるけど」
「私はロボットではない。私には意識がある。私の中には自我がある。私は思考する。私は記憶する。私は認識する。私は決断する。こうしてお前とくだらない時間を過ごすことができるのも、私が私であるからだ」
「うーん……難しくてよくわからないけど、僕は君と色んなことを話すのが大好きだ。とても楽しい。僕は君のことをもっと知りたい。君は僕の友達だから」
パスファインダーはモノアイをらんらんと輝かせた。
「そうだ、これから僕と宝探しに行かない? お気に入りの場所があるんだ。レヴナントもきっと気に入ると思うよ」
「お前はほんとうに能天気だな。私も暇ではないが……まぁ、少しなら付き合ってやってもいい」
「やった! よし、じゃあ行こう!」
笑いが込み上げる。嘲笑ではなく、楽観的な。
無垢な好奇心と眩しいほどの希望に満ち溢れた彼の隣で、すべてを喪失した私は、今この瞬間も生きている。