「あそこにきれいな鳥がいる」
パスファインダーの声に歩みを止めて振り返ると、彼は先程通り過ぎた木を見上げていた。
「見て、ほら、あそこ」
踵を返して、好奇心旺盛な彼が指し示す方向へ視軸を上げると、はるか頭上にある樹洞の中に野鳥の巣があって、真ん中に緋色の羽を持つ美しい小鳥が坐っているのが見えた。
鳥は鳴くことも羽を広げることもせず、置物のように動かない。
「卵をあたためているんだ。無事に孵るといいね。雛鳥を見てみたいな、小さくて可愛いよ」
「この辺りは捕食者が多いだろう。爪も牙も持たない非力な生き物の卵が無事に孵るとは思えん」
視界の端で、弾かれたようにパスファインダーがこちらを向く。
「死んじゃうってこと?」
「ああ」排気した一刹那、親鳥と目が合った。子の誕生を待ち侘びる生気に満ちた青い目だ。
「孵化したとしても生存競争で勝ち残れる可能性は低いだろう」
重苦しい沈黙が足元に転がり落ちた。
「僕、ある星でビルの解体作業を手伝ったことがあってね」
親鳥からパスファインダーの方へ意識を戻すと、入れ替わるようにして彼は巣を見上げた。
「そこに鳥の巣があったんだ。卵もあった。見たことないくらいきれいな青い卵だった。僕はそれを責任者に報告したんだ。でもビルは卵と一緒に壊された。産まれてくるはずだった雛鳥はみんな死んじゃった」
頭上で茂る葉がざわついた。外界センサーは吹き抜けた風のぬるさや耳障りな葉音もキャッチするが、一番得たいのはパスファインダーの言葉の続きだった。
「僕はその時なにも感じなかった。可哀想だとか悲しいだとか……とにかく、そういう風には思わなかった。けど今の僕は違う。そうなる前に護ろうとするし、死んでしまったらすごく悲しい」
「何故そんな話を私にする?」
パスファインダーは滑らかな動きでこちらを向いた。胸部ディスプレイから零れる光は青い。彼は哀しみに打ちひしがれている。
「僕は、友達や君と過ごす中で色んなことを学習した。感情というものはまだ正確にはよくわからないけど、大切な人を失いたくないという気持ちも知った。できれば君とずっと一緒にいたいと思ってるけど、それができないことはわかってる。なにごとにも終わりはくるからね。君がそれを望んでることも知ってる。ただ……これは僕のワガママだけど……君の探し物が見付かるまでは、僕と一緒に生きてくれないかな?」
無機な声には十分過ぎるほど親愛がこもっていた。
「私の探し物、か」
探し物は、今ではどこにあるのかさえもわからない。見付け出して破壊すると約束した女に裏切られた。唯一の希望が潰えた。両親を殺された怨みをこんな形で晴らされるとは思わなかった。たった一度だけ人を信じてしまった愚かさを悔い、手の施しようのない怒りに駆られた。
記憶領域にこびりついた死の冷たさや恐怖、耐え難い痛みは、これからも己を苛むだろう。「あの女」が言った通り、生き地獄が続く。「目には目を、歯には歯を」とは、よくいったものだ。
私は生きている。
「あの女」の大切なものを奪って奪って奪い尽くして、絶望に歪む美しい顔を見てから八つ裂きにする日を楽しみに生きている。覚悟を決めたのだ。
それでもやはり、どこかで穏やかな死に焦がれている。
もしも――私はこの期に及んで都合のいい夢を見ている――魂の終わりを迎える時がきたとして、その時にそばにパスファインダーがいるというのは、悪くないかもしれない……。
「私は瑞々しい命などとうに失くした。ここにいるのは亡霊だ。そんな私のそばにいたがるのはお前くらいだ。お人好しにもほどがある」
「僕が望んでることだ。君のそばにいたい」
もう二度と誰かを信じることはしないと決めたはずなのに、目の前のMRVNを信用している。信頼している。彼との間には、いかなる数式や法則を持ってしても証明できない定義が確立している。この甘く堅固な未知なる存在の命題を、私たちは知っている。
「僕には君が必要だよ、愛してるから」
ああ――都合のいい夢でも構わない。醒めない夢を見ていたい。
「いいだろう。私のそばにいろ。私の終わりを見届けろ。何十年何百年掛かろうが、言い出したことは守れよ」
「僕はずっと君のそばにいる。誓うよ」
胸部ディスプレイの中央に座すフェイスマークは、嬉しそうに笑っている。
「フン、お前の喜びは私には重荷だ」
つられて笑いが出た。嘲笑でも、楽観的なものではなく、安堵の。
頭上で鳥が鳴いた。
ほんの少しだけ興味が湧いて、しばらくの間、パスファインダーと並んで命が孵る場所を見詰めていた。