グランサイファーの機関室で黙々とメンテナンスをしていると、入口の階段を降りてくる靴音がした。
目の前の蒸気用流量計のメーターに集中したまま耳を傾ける。重量感のある靴音だ。鷹揚と徐々に近付いてきた気配が止まったかと思うと、今度は聞き慣れた声に名前を呼ばれた。
「ここにいたのか、捜したぜ」
広いとは言えない機関室に深みのある声が反響した。
微かに針先を揺らすメーターから視線を外さないまま「どうかしたか?」と返す。
「花火見に行かねぇか?」
意外な誘いを受けて、レンチを握り締めたまま声の主の方へ視軸をずらす。穏やかな表情をしたオイゲンが、並列したボンベに寄り掛かっていた。
「花火?」
「おう。オレ達も夏の風物詩を味わおうぜ」
夏の風物詩――アウギュステ列島で年に一度行われる花火大会のことだ。その日は大きな縁日も開かれていて、団長たちはそちらに行くことになっている。
「他の奴はどうした?」
「みぃんな祭りに行っちまったよ」
どうやら、グランサイファーに残されたのは自分とこの男だけらしい。
「いいけどよ……時間かかるぜ。まだ調整中だ」
「そうかい」オイゲンは考え込むようにゆっくりと瞬きをして、蓄えた顎髭を撫でた。
「確か花火は北で上がるんだ。グランサイファーからでも見えるかもしれねぇ。……よし、オレも手伝ってやるよ」
そっちの方が早く終わるだろうと結んで、オイゲンはそばにあった工具箱へ顔を向けた。
機関室を出て甲板に上がった頃には、日はすっかり傾いていた。頭上を旋回するカモメの姿はなく、星があちらこちらで明滅していた。
遠くから、微かに祭囃子が聞こえてくる。
船首楼甲板の端で一服していると、オイゲンがゴブレットをふたつと、エールのボトルを持って戻ってきた。
「お疲れさん、と」
「ありがとよ」
喉が渇いていた。ゴブレットにエールが注がれる。分厚い泡が魅力的だ。
乾杯をして、同じタイミングでゴブレットの中身をあおった。喉を伝い落ちていくエールは冷えていて、美味かった。ぷはっと大きく息を吐く。目の前で、エールを飲むオイゲンの突出した喉仏が上下していた。相変わらず気持ちのいい飲みっぷりだ。
「あー、一仕事終えたあとの酒はうめぇなぁ」
「一本じゃたりねぇな、こりゃ」
そう言って笑って、縁に置いたボトルを手繰り寄せ、空になったオイゲンのゴブレットにエールを注いだ。
ぬるい夜風が二人の間を吹き抜けた時、甲高い口笛のような音がして、直後に爆発音がした。
花火が打ち上がったのだ。
オイゲンと揃って顔を横に向けると、濃い藍色の空に赤い大輪が咲いていた。破裂音が夜空を震わせた。赤や緑、白や青といった色とりどりの花が次から次へと弾けた。感嘆の溜息が出る光景だった。
「見事なモンだろ」
白い歯を見せてオイゲンが笑った。
短い相槌を返して、意識を北の空に戻す。打ち上げ花火を見るのは子供の時以来だ。あの時はそう――。
「たーまやー!」
オイゲンがかけ声を上げ、からからと笑った。
つられて笑う。
こうしている間も胸がひっそりと高鳴っているのは、美味い酒を飲んだからだろうか。美しい花火を見たからだろうか。
最後の打ち上げ花火が夜空に散った時、隣に立つオイゲンの横顔に視線を移すと、目が合った。
オイゲンは顔を綻ばせた。「いいモン見たなぁ」
「アウギュステにずっといたなら、毎年見てただろ? 実は見慣れてるんじゃねぇのか、花火」煙草を銜えて、ライターをパンツのポケットから取り出して火を付ける。火口が瞬いた。
「まぁ、そうだな。けど、誰かと一緒に見るのは久し振りだ。それこそガキの頃のオメェと見たくらいだ。祭りに一緒に行ったろ。覚えてるか?」
「そんな昔のこと、覚えててくれたのか」
頬が崩れた。瞼の裏に、子供の頃の思い出が浮かぶ。夏祭りの夜、立ち並ぶ出店をオイゲンと見て回っては、あれがやりたい、これを買ってくれとねだったのをよく覚えている。そして、疲れ切って眠くなってオイゲンにおぶられた帰り道、浜辺を臨む小道で色鮮やかな打ち上げ花火を見上げたのだ。
「また来年もオメェさんと花火が見てぇもんだ」
「そうだな。来年も見に来ようぜ」
オイゲンに背中を叩かれ、揃って声を上げて笑った。
煙草の先から立ち上る白煙が、風に流されて夏の夜に溶けた。