ウェスカーとキラーたち

 アルバート・ウェスカーにとって、箱庭を統べる邪神の存在は忌々しいものであった。
 ウェスカーは、己は万物の頂点に君臨する神であると信じて疑わなかったが、邪神はそんな彼のプライドをズタズタに切り裂いた。新人類創造ウイルス、〈ウロボロス〉の力を持ってしても邪神には敵わなかったのだ。ウェスカーは、邪神が人智を超越した存在——神であると認めざるをえなかった。
 邪神は、夜の明けない霧の森でウェスカーを使役している。ウェスカーは、捕食者として、狩り人として、殺人鬼として、この霧の森で生きている。下等生物共を追い詰め、嬲り、吊るし、邪神に捧げている。

「ああ、ここにいたのね。アルバート」
 ウェスカーは下ろしていた瞼をゆっくりと上げた。振り返ると、サングラスのレンズ越しに、己よりもずっと背の低い殺人鬼、サリー・スミッソンが見えた。
 ウェスカーがいるエリアは、邪神によって精緻に作られた〈クロータス・プレン・アサイラム〉であるから、かつてこの地で人を殺し続けた彼女がこの場所にいるのはごくごく自然なことだった。
 サリーは、頭を覆う薄汚れた麻の枕カバーの下で、また「アルバート」と掠れた声でウェスカーを呼んだ。
「今夜、みんなでご飯を食べるの。あなたも一緒にどうかしら? エヴァンが大きな鹿を捕まえてくれたのよ」
「言ったはずだ。私はお前たちと馴れ合うつもりはない」
 サリーは地面から少し浮かんだまま「あらあら」困ったように片手を頬の辺りに添えた。
「そんなこと言わないで。みんなあなたとご飯が食べたいのよ。タルボットだって、あなたに会いたがっていたわ。たまにはお話ししてあげて」
 タルボット――タルボット・グライムズ――はウェスカーが殺人鬼の中でも気に入っている存在だった。彼は霧の森に咲く特殊な花の蜜について研究している医師だった。
 彼の研究は彼自身を蝕み、B.O.W.顔負けの容姿に成れ果ててしまったようが、彼が精製した蜜から作られる血清を体内に注入すれば、身体能力は大幅に上昇し、肉体は脆弱な人間のものとは比べ物にならないほど強化される……。まるで愛すべきウイルスたちのようで、ウェスカーは彼の作り出す血清も、彼のことも気に入っていた。
「彼が来るのか」
「ええ」
「……参加してもいい」
「よかった。きっとみんな喜ぶわ。さあ、行きましょう。みんなもう酒場に集まってるはずよ」
 サリーが言い終わるのとほぼ同時に、足元から濃い霧がふわりと立ち上り、辺りが真っ白になった。間も無くして、霧は薄れていき、徐々に視界がクリアになっていった。
 気が付けば、ウェスカーは夕暮れの荒野にいた。目の前には木造の、古めかしい、酒臭い建物があった。〈死んだ犬の酒場〉だった。
 建物の前で、エヴァン・マクミランが、巨大な鹿を肉切り包丁で解体していた。
「ウェスカー、来たのか」
 ウェスカーが返事をする前に、
「サングラスのおっさんじゃん!」
 酒場の入り口からフランク・モリソンが顔を覗かせた。彼はすぐに顔を引っ込めると「サングラスのおっさんが来た!」と喧しい声を上げた。
 酒場に足を踏み入れると、酒場には数人の殺人鬼がいた。その中にはタルボットもいて、彼はカウンター席でひとり背中を丸めていた。
 ウェスカーは周りからの視線を浴びながら、タルボットのそばに寄り、隣に腰掛けた。彼の手元にはウイスキーのボトルと、氷の入ったグラスがふたつあった。
「来てくれると思っていた」
 甲虫の大顎のよう左右に裂けた口をもごもごと動かして、彼は安堵したように溜息をこぼした。
 それから、手元にあったグラスをひとつウェスカーの方へ置き、ウイスキーを注いだ。
 タルボットから研究の進捗を聞きながら、ウイスキーをちびちびとあおる。百年以上前の酒にしては上等なものだった。

「ウェスカー、お前、呼ばれてるぞ」

 不意に背後から太い声がした。
 首を巡らせると、血まみれのエヴァン――片手に牡鹿の頭をぶら下げている――がいた。
 彼から視線を外し、自身の足元を見ると、濃霧がウェスカーの靴を覆っていた。霧は少しずつウェスカーの身体を這い上がるようにして立ち込めていく。
 儀式に呼ばれたのだ。
「いってらっしゃい、アルバート」
 サリーの穏やかな声が、誰かが弾いているピアノの音に被さる。
「君が戻ってくるのを待っている」
 隣でタルボットが囁いた。
「おっさん、頑張ってな!」「全逃げとかマジ勘弁、応援してまーす!」フランクが手を振り、ピンク色の髪を指先で巻きながら、彼の友人、スージーが無邪気に笑った。テーブルを囲って他の殺人鬼とポーカーに興じていたカレブが「さっさと終わらせて戻って来て、土産話を聞かせてくれ」と声を張り上げた。
――ああまったく、妙な連中だ。どいつもこいつも、残酷で、無慈悲で、人の命をなんとも思っていない。彼らは捕食者であり、狩り人であり、殺人鬼だ。選ばれし者たちなのだ。
「私を誰だと思っている」サングラスの奥で、ウェスカーは目を細める。「すぐに戻る」
 霧がウェスカーを包み込んだ。
 ウェスカーが次に目を開けた時、彼は別の場所にいた。
 早く終わらせて彼らの元に戻ろう。今日ばかりは、共に過ごしてもいい――。
「……俺もすっかり仲間入りか」
 ウェスカーは自嘲した。
 遠くでカラスが鳴いた。儀式がはじまる。