Abracadabra

※関係性ができあがっているナイトとリッチがいます
※リッチに「おまじない」を見せてあげたいハグと、テレビで観たマジシャンが唱えていた呪文を教えてあげたいヒルビリーの話。
 衛兵たちも出てきます。捏造もりもり。


「お前たち、なんで俺の元に来たんだ?」

 ウイスキーのグラスを掌の中で傾けて、カレブ・クインはヒルビリーとリサ・シャーウッドの顔を交互に見た。

「だって、カレブはみんなと仲がいいから」

「エヴァンにお願いしたら、カレブを頼れって言われた」

 カレブは苦笑いして「あの野郎」椅子に座ったまま補助器具のついた左足の爪先でかつかつと酒場の床を叩いた。彼らはたった今こう言った。〝遺跡にいる魔法使いに会いたいから連れてって〟と。

「魔法使いにおまじないを見せてあげたいの」

 リサの声は喉の奥から絞り出すように嗄れていたが、そこには年頃の娘に似つかわしい初々しい密やかな興奮があった。

「実は俺も魔法の呪文を知ってるんだ。ホントは内緒だけど、〈リッチ〉に教えてあげたい」

 肉が捩れて引き攣れた口の端を持ち上げてヒルビリーが言う。呼応するようにリサが小さく何度も頷き、期待のこもった眼差しをカレブに向けた。

「お願い。私たちを遺跡に連れてって、カレブ」

「そう言われてもなあ……」カレブは帽子の上から頭を掻いた。「俺も会ったことがねえしな……あいつは他人と関わら――」

 グラスの中の飲みかけのウイスキーに視軸を移し、カレブは口を半開きにしたままひしゃげた下顎を左右に動かした。脳裏にある男の姿が浮かんだのだ。

「そういやあ、ただひとり、〈リッチ〉と付き合いがある奴がいたな」

 リサとヒルビリーが顔を見合わせる。『誰?』

「コバッチだ。あいつは〈リッチ〉と親しい」

 カレブは腰掛けていた椅子から鷹揚と立ち上がり、ピアノ演奏の止まない死体だらけの酒場の外に出た。

「まずは『瓦礫と化した広場』に行くとしよう」

 カレブが『牛脂ミックス』をエンティティに捧げると、辺りは濃い霧に包まれた。『死んだ犬の酒場』に吹いていた乾いた西の風が止んで、焦げ臭さが鼻先を掠めた。霧が晴れると、三人は『瓦礫と化した広場』に立っていた。夕焼けの景色から、夜になっていた。

 歩き出したカレブのあとに無邪気なふたりが続く。カレブは燃える藁葺き屋根の二階建ての建物に向かっていた。

 リサは儀式以外で『瓦礫と化した広場』を訪れるのははじめてだった。彼女は黒焦げの建物の横に吊り看板があることに気付いた。看板には、横向きの樽にナイフが刺さった絵が描かれていた。

「ここ、酒場だったんだって」

 看板を見上げているリサに気付いたヒルビリーはそっと耳打ちしてきた。リサは相槌を返して「変な絵ね」くすくす笑った。

「よう、アレハンドロ」

 カレブは酒場の中にいた男に陽気な声で呼び掛けた。アレハンドロと呼ばれた男は素早く振り返った。手には串に刺さった肉の塊があった。

「カレブか。なんだ、今日はガキのお守りか?」

「まあ、ちょっとな」カレブは肩を竦めた。「コバッチはいるか?」

「頭領ならここにはいない」

 アレハンドロの背後にある階段から太い声がした。三人の意識が声のした方に向く。降りてきたのはずんぐりとした巨漢だった。一歩一歩階段を降りるごとに、彼の足元ではぎしぎしと耳障りな音がした。

「あ、サンダーだ」

 ヒルビリーは片手を上げてひらひらと振った。

「おう、農場の坊主。この前のベーコン、美味かったぞ」

「喜んでもらえてよかったよ。また作ったら持ってくるね」

「そりゃありがたい」

 「お前たち知り合いだったのか?」

 サンダーに背中をバシバシと叩かれて咽せているヒルビリーを見て、カレブは両眉を持ち上げて目を丸くさせた。

「うん。ベーコンをお裾分けしたのがきっかけで、たまにここにあるものをもらうんだ」

 咽せながら、ヒルビリーは照れくさそうに笑った。

「で、頭領になにか用事があったのか?」

「ああ、こいつらが〈リッチ〉に会いたがっててな。コバッチはあいつと親しいだろ? なんとか紹介してもらえないかと思ったんだが……」

「それは難しいだろうな」

 背後からした声に、リサは驚いて飛び上がりそうになった。カレブとヒルビリーが弾かれたように首を巡らせる。三人の背後には、いつの間にか痩せぎすの男が立っていた。

「デュルコス、気配もなくうしろに立たないでくれ」

「それが俺の仕事だ」カレブにデュルコスと呼ばれた男は冷ややかに言った。「悪く思わないでくれ」

「どうして、難しいの?」

 リサはデュルコスを見上げた。彼は眼差しも冷たい。

「あの方はお前たちのような子供の相手などしないさ」

「行くだけ行ってみたらどうだ? あの方はこの森のことを知りたがっているから、なにか興味を引くような話なら聞いてくれるかもしれないぞ」

「そうだな頭領が取り継いでくれるかもしれないしなあ」

――あの方。

 三人の男たちが魔法使いの名を口にしないのは何故だろうとリサは考えたが、答えが浮かぶよりも前に、強い衝動のようなワクワク感が胸に溢れた。頼みの綱であるカレブの横顔をじっと見詰め、彼が口を開くのを待った。

「よし、行ってみるか。急に悪かったな。ありがとうよ」

「大したことはしてない」アレハンドロは縁の欠けた皿に肉を盛った。「くれぐれも気を付けろよ」

「誰か来たようだ」

 ヴェクナはそう言って魔法陣の浮いた紫色の天井を上目に見やった。彼に倣ってタルホーシュも顔を上げる。地上に誰かいるのだろう。

「俺が見てこよう」

 床に突き立てた大振りの剣の柄に手を置き、タルホーシュは腰掛けていた椅子から立ち上がった。

部屋を出て、地上に続く階段の途中で、カレブたちと出くわした。

「クイン……ここへなにしに来たんだ?」

 カレブのうしろには、時々『瓦礫と化した広場』にやってくるヒルビリーと、見たことのない、背の低い、古木のような肌を持つ小柄な女がいた。カレブは彼女の名前と年齢と、この『忘れ去られた遺跡』にきた理由を手短に話した。

「ついてこい」

 タルホーシュはヴェクナの元へ彼らを案内した。遺跡内を徘徊している彼の使い魔である死霊が訪問者たちを警戒している。

「〈リッチ〉、お前ははじめて会う奴らだろう。クインと、ヒルビリーと、シャーウッドだ。みな俺と同じ次元の人間だ」

 タルホーシュは彼の本名を口にせず言った。稀代の魔術師は三人を観察するように眺めて「私になんの用だ」傍らのテーブルにあった天秤の皿を撫でた。

「あなたに私のおまじないを見せてあげたくてきたの」

 カレブが口を開くより先に、リサが前に出た。

「まじないか。見せてみろ、娘」

「うん。待ってね……」リサはドキドキしながら、しゃがみこんで、尖った爪の先で床を削るようにして紋章を描いた。部屋の隅にもひとつずつ描いた。

「見てて」

 リサは部屋の入口まで走って、本棚の傍にいるヒルビリーに目で合図した。彼は不自由な左足を引き摺るようにして歩き、離れた場所に刻まれた四つの紋章を次々と踏んだ。おまじないが発動して、四人のリサが地面から飛び出すように現れた。入口にいた本物のリサは、立ち止まったヒルビリーの隣にいる自分に意識をやった。次の瞬間には、リサはヒルビリーの隣に立っていた。先程まで彼女が立っていた場所には誰もいない。おまじないで現れたリサも消えていた。

「私はおまじないを描いた場所に飛べるのよ」

 痩せ細った腕をぷらぷらさせながら、リサはヒルビリーと一緒にカレブの元に戻った。

「ほう……転移か。お前はそれをまじないと呼んでいるのか。面白い」

「私がいた村では、みんなおまじないや、言い伝えや、古い習わしを大切にしていたわ。私のおばあちゃんもそうだった。私を監禁して食べようとしていた者も……そいつらは、私が食べたけど」

 胸の内側で忘れがたい苦痛と復讐心がのたうち回る。リサは、耐え難い飢えに襲われて俯いた。

「たしかお前には『ハグ』という別の名があるな。聖なる女が、闇に堕ちたか」

 肋骨の間にある書物の表紙を撫でて、〈リッチ〉は掠れた声で笑った。

「俺も魔法の呪文を知ってるよ」

 黙り込んだリサと入れ替わるようにして、ヒルビリーが鼻息を荒くさせた。

「テレビでマジシャンが箱の中に入った女の人に言ったんだ。『アブラカダブラ(消えてなくなれ)(消えてなくなれ)』って。そしたら、女の人は消えちゃったんだ」

「その呪文はお前たちの次元の古い三つの言葉が語源だ。意味は「父」と「子」と「精霊」。しかしそれが……まさかまがいものの見世物で使われるとは……」〈リッチ〉は唸りながら首を振った。「恐れを知らぬ者どもめ」

「〈リッチ〉は魔法使いなんだよね? 俺が唱えてもなんともないけど、〈リッチ〉がこの呪文を唱えたらどうなるの?」

 ヒルビリーは首を傾げた。彼の隣で、リサが顔を上げた。好奇心の入り混じった沈黙が〈リッチ〉と三人の間を風のように吹き抜ける。対峙した彼らの間に立つタルホーシュは、一切身動きしない。

「お前たちの好奇心に賞賛を送ろう」

〈リッチ〉は左手を上げた。すっと伸びた人差し指が三人に向く。

アブラカダブラ(消えてなくなれ)

 低い滑らかな声が沈黙を破った一刹那、彼の指の先から赤い(いかずち)が迸った。雷は鋭い刃となって空気を裂いた。咄嗟にカレブはふたりを庇おうと踏み出したが、雷は老いた彼よりもずっと速かった。赤い一閃が目前に迫り――タルホーシュが滑り込むように割り入った。彼のクレイモア(クレイモア)は雷を真っ二つに断ち切った。斬られて軌道が逸れた雷は左右に分かれ、積み重なった書物の山と石壁に直撃した。石壁が砕ける音にリサの引き攣った小さな悲鳴が掻き消された。高々と積まれていた書物が雪崩のように床に崩れる。雷によって、一番分厚い書物が黒焦げになっていた。

「さすがは、私の騎士だ」

〈リッチ〉は楽し気だと言わんばかりに細い喉を震わせて笑った。

「勘弁してくれ! 冗談キツいぜ!」

 カレブがよろめきながら帽子を深く被り直す。

「同士討ちはここではご法度だろう。なにを考えてやがる!」

 帽子のつばの下で炯々と光る眼には怒りが浮かんでいたが、〈リッチ〉は冷ややかな眼差しで彼を一瞥した。

「言葉には意味がある。ひとつでは意味を成さない言葉も、組み合わせれば刃にもなる。もちろん、身を守るものにもなる。たとえ魔力を持たぬ者であろうとも、口にするのなら覚悟をするんだな」

 魔術を極めた男は、そう言って目を細めた。

「……ごめんなさい……」

 ヒルビリーがか細い声で謝罪した。リサも項垂れた。

「あなたを怒らせるつもりはなかったの」

「私は(いか)ってなどいない。言っただろう。お前たちの好奇心を賞賛すると。お前たちの次元の魔術は私にとってはお遊びのようなものだが、まれに興味深いものもある。なにかあればまたここに来い。聞いてやろう」

「……また来てもいいの?」

 ヒルビリーとリサは、タルホーシュのうしろからおそるおそる顔を覗かせた。 

「私は同じことを二度は言わん」

 素っ気ない返事だったが、ふたりにはそれで十分だった。顔を見合わせてたしかめ合うようにしっかりと頷いた。お互い考えていることは同じだった。〝絶対にまた来よう〟

「『デススリンガー』。その怒りは儀式で愚か者どもに向けろ」

「……そうするとしよう」

 急激にカレブの中で怒りが萎んでいった。

「さて、今日のところはずらかろう。邪魔したな、魔術師さんよ」

 カレブのあとに、浮足立ったヒルビリーとリサが続く。三人の話し声が遠ざかってようやく、タルホーシュは動いた。

「ヴェクナ」

 彼はずっと黙り込んでいたが、その間、兜の下で険しい表情をしていた。

「お前、本気であいつらを狙っていただろう?」タルホーシュは〈リッチ〉に詰め寄った。「俺がいなかったらあいつらは――」

「お前がいた」

「…………!」

 「…………!」

 胸元に先ほど雷を仕向けた人差し指の先が押し当てられ、タルホーシュは言葉を切った。喉の奥で空気が詰まった。鋭い視線に真っ直ぐに射抜かれ、ごくりと喉が鳴る。汗の粒がこめかみから顎まで伝い落ちるのを感じながら、歯を食い縛る。いつの間にか、部屋を出た三人の声は聞こえなくなっていた。

「私がどれほどお前を信頼しているか……わかったか?」

「……ああ」

 タルホーシュは乾いた上唇を舌先でなぞって大きく息を吐いた。胸の下で、心臓が喜びで高鳴っていた。

「あいつらを見送ったら、すぐ戻る」

 胸元にある〈リッチ〉の手を取り、指先に兜の面頬を恭しく押し付けてから、タルホーシュはボロボロのマントを翻した。反響する足音は、彼が急いでいることを浮遊する使い魔たちに告げていた。
 〈リッチ〉は部屋の隅へ視線をやった。
 リサが描いた紋章を観察しようと思ったが、それはもう、消えていた。