フィールドから戻ったばかりのヴェルナーは、頭痛に襲われていた。
隣でピーチクパーチクとやかましい男のせいだ。
彼は一時的ではあるが、増援部隊として派遣されてきた技術者だった。ヴェルナーの補佐をするために着任したが、おそろしく相性が合わない。同じ技術者としての価値観の相違——否、思想の違いとでもいえばいいのか——が原因だった。
彼はモンスター愛護派だった。「命あるものは生かすべき、殺すことは悪」というのが彼の信条だった。今も、彼はヴェルナーが試作した装置の「危険性」についてを熱弁し、開発をやめるように説いている。
「お前は大型モンスターの危険性をわかってない」
ヴェルナーは久しぶりに苛立っていた。〝こいつは本当に技術者なのか?〟
疑りながら反論すると、彼は綺麗事を並べてきた。
ヴェルナーは呆れて黙ったが、彼は得意げに続けた。「ハンターもきっとわかってくれるはずですよ」
「ハンターが、なんだって?」
聞き慣れた声がして、ヴェルナーは弾かれたように首を巡らせた。そこには、オトモアイルーを連れたハンターが立っていた。彼とは先程『緋の森』の奥地で別れたばかりだった。ヴェルナーの試作品を使って歴戦のリオレイアと戦っていたが、どうやら、今回も無事に任務を終えたらしい。
技術者は早速、ハンターにも一方的に自論を力説した。ハンターは、連射されたライトボウガンのような勢いで語る彼を見詰め、頷きもせずに話を聞いた。
「あんた、傲慢だな」
技術者が息を継いだ一刹那のタイミングで、ハンターは言った。
「大型モンスターに話が通じて仲良しこよしができるなら、俺の代わりにあんたが話せばいい。あんたが襲われても、俺は助けない」
技術者はうろたえはじめた。
「人を狩ることの簡単さを覚えた大型モンスターに遭遇したことはあるか? 村を襲撃されて住む場所も家族もなくし、生きることを諦めた人たちを見たことは?」
ハンターの眼光がいやに鋭くなる。彼は——激昂している。熟練の狩人だからこそ説得力があった。荒々しい火のような圧を感じ取り、ヴェルナーは息をするのも忘れた。
「俺たちは奴らよりも小さく、鋭い爪も頑丈な牙もない。それでも奴らに立ち向かうために、俺たち人間は考えてきた。武器や防具を造り出し、命を掛けて戦っている。あんたが邪険にしているヴェルナーの技術のおかげで救われた命だってある。それに、俺たちはむやみやたらにモンスターを狩っているわけじゃない。生かす殺すを善悪で線引きできると思うな」
口調は淡々としていたが、ハンターの表情は険しかった。命と向き合ってきた彼は、心の底からこの男を軽蔑している。
「俺たちは命を軽く扱ってはいない。可哀想なんていう勝手なエゴをモンスターに押し付けたりもしない。あんたみたいな傲慢で自信過剰な奴を過去にも見たことがあるが、どんな死に方をしたか教えてやろうか?」
ここで技術者は話を遮り、顔を真っ赤にさせて去っていった。
「変な奴だったな」
ハンターは男の背中を見送ることなく言った。彼はいつものハンターに戻っていた。
「まったくだ。あんたがきてくれて助かった」
ヴェルナーは顔を顰めて首を振った。徹夜明けの時と同じ疲労感に襲われていた。
「技術ってのは、使い方次第だ。それすらわからないとは、技術者の恥だ」
ヴェルナーはのろのろと腕を組んだ。ハンターも腕を組んだ。付き合いが長いからか、最近、こうやって動きがシンクロする時がある。
「ハンターらしい論破だった。経験豊富だからこそ言えたことだな」
「まあな。俺もそれなりに戦ってきてる。なあ、相棒」
ハンターはオトモアイルーに向けて微笑んだ。オトモアイルーは嬉しそうに喉をゴロゴロ鳴らした。「僕たちはたくさん、戦ってるもんね」
ヴェルナーは唇を引き結んだ。
彼は、狩猟を通じてどんな世界を見てきたのだろう。そもそも、彼はどこで卓抜した戦闘技術を会得したのだろう。先ほどのリオレイアとの戦いでも感心したが、彼の動きには無駄がない。確実に急所を狙っていた。一朝一夕でできる技ではない。彼は数多の死戦を潜り抜けてきたハンターだ。それなのに、彼のことを自分はなにも知らない。それどころか、このベースキャンプにいる者たちも、誰一人として彼のことを知らない……。
好奇心が鎌首をもたげた。危険なことかもしれないが、ヴェルナーは言い出せずにはいられなかった。
「あんたは——何者なんだ? どこで、なにをしていた?」
ハンターは穏やかな笑みを浮かべたままだ。雑踏が聞こえなくなる。ヴェルナーとハンターの間には、見えない壁がある。
「俺はただの狩人だよ。どこにでもいる」
ハンターはそう言って背負った武器の柄をぽんぽんと叩いた。いつもの、飄々とした、掴みどころのない風のような態度だった。
その晩、ヴェルナーは寝付けないでいた。
眠ることを諦めて簡易ベッドを出て、ベースキャンプの外れにある池に向かった。
夜になると最低限の燈だけが灯るベースキャンプは、夜であっても誰かが起きているが、今夜だけは、誰ともすれ違わなかった。
池のほとりに座り込んだ。岩場なので座り心地はよくないが、高台にあるのでこぢんまりとした池全体がよく見える。水面が岩壁の間から差し込む月明かりと夜の色を反射させている。赤い腹の肥えた魚がヴェルナーに気付いて、慌てたように身を翻した。
濡れた静寂だけがあった。ふーっと長く息を吐き、瞼を下ろして、立てた片膝に腕を置く。眠気が来るのが先か、夜が明けるのが先か……。
「先客とは、珍しい」
背後からした声に、ヴェルナーは目を開けた。肩越しに振り返ると、ハンターがいた。彼はインナー姿だった。普段防具で隠れている身体は、筋肉質で、古傷が目立つ。
ヴェルナーはふっと笑った。
「あんたも眠れないのか?」
「今夜はどうにも眠れない」
ヴェルナーの隣に腰を下ろすと、ハンターは溜息をついた。「たまにあるんだ。昔のことを思い出しすぎて眠れなくなることが」
ハンターの横顔に視軸を移し、ヴェルナーは黙り込んだ。この男の過去——踏み込んでいいものか、はたまた、詮索は無用か、思いあぐねてしまう。
「それは、過去のことを」ヴェルナーは慎重に言葉を選ぶことにした。「後悔しているからか」
ハンターと目が合った。彼は微笑みを浮かべている。どこか人を安心させる穏やかな笑み。いつもの彼だ。
「いいや、後悔はしていないよ。任務では、常に最良の選択をしてきたつもりだ。……でも、時々思う。本当に最良の選択だったのか、ってな」
微笑みに翳りが生じたのを、ヴェルナーは見逃さなかった。
「あんたが選んできた道が正しかったか、そうでないのかなんて、誰にもわからんよ。だが、龍灯を止めない選択をしたあんたが選んだ道なら……俺はあんたを支持する。誰かがやらなくてはならないことをあんたがやったんだ。それだけのことだ」
ハンターは不意を突かれたように小さく息を漏らした。
「……さすがは、現実主義者だな」
膝に突いた頬杖に頬を載せ、頭を傾けて、ハンターはまた笑った。安堵したような表情だった。
「過去に囚われすぎると、人は自身を見失う。俺はそんな人間を何人も見てきた。ハンター、あんたは、そんな風にはなるな」
ちゃぽんと音がした。ハンターが顔を上げる。水面に波紋が広がって、映っていた月が弛んでいた。
「肝に銘じておくよ。過去を振り返ったところで戻れるわけでもないしな」
「そうだ。若いんだから、未来を見ろ、未来を」
「年寄りみたいなことを言う」
「年上の言うことは素直に聞いておけ」
「はは、そうだな。おかげでスッキリした。ありがとう」
傍で松明の火が揺れて、並んだふたりの影が揺れた。
「未来を見据えるのも、悪くないな」
ハンターはぽつりと呟いて、池を眺めた。月が叢雲に覆われたのか、辺りが暗くなった。お互いになにも言わなかった。再び白い月明かりが水面を照らした時、先に口を開いたのはハンターだった。
「なあ、ヴェルナー」
「ん?」
「俺の過去にあんたはいないが、未来には、あんたはいる。この先も、俺のそばにいてくれないか」
「なんだよ、改まって。あんたの隊は星の隊と動くことが多いんだから、大体はいつも一緒だろ」
「あー、いや、そうじゃなくて」
身じろぎして、ハンターは「俺は」と続けた。
「ヴェルナー、あんたのことが好きなんだよ」
月光が暴いたのは、燃え上がるような親愛だった。ハンターのいう好意がどんな意味をもつのかは、さすがにヴェルナーもすぐにわかった。
「……はっ……あんた、」
じわりじわりと、耳の辺りが熱くなる。熱は顔全体に広がり、ヴェルナーは咄嗟に口元を押さえた。なぜこんなにも動揺しているのか、自分でもわからなかった。胸の内側で、心臓が怒り狂ったモンスターのように暴れている。
「……っ」
青年のまっすぐな告白に「冗談だよな」と水を差すほど愚鈍ではない。
「なんで、俺なんだ」
「俺と価値観が合って、過去に固執していないから」
「俺で、いいのか……」
「ああ。あんたがいい」
「本当に俺でいいのか? 俺はあんたの名前すらまだ呼んだことがない。そもそもあんたのことをそこまで知らないし、知ろうとすらしないんだぞ。あんたと違って『最良の選択』なんてものはできない。いつあんたを呆れさせるかわからない。それでも——俺でいいのか?」
おそるおそる訊ねる。ハンターの目が柔和に細まる。夜風が吹いて、ふたりの間をすり抜けていった。
「ああ。それでいい。ヴェルナーに、そばにいてほしいんだ」
「……あんたがそういうなら……隣に、いてやる」
顔がまだ熱い。辺りは薄暗いが、ハンターに顔を見られないように、ヴェルナーは顔を逸らした。心臓の音がまだうるさい。
地面に置いていた手に、温かな手が被さった。ヴェルナーは反射的に視線を落とした。指を握られた。どうしていいかわからなくて軽く握り返すと、親指の腹に撫でられた。振り解こうとは思わなかった。
「ありがとう」
ハンターが呟いた。ヴェルナーは咳払いをして視線を泳がせた。生きとし生けるものすべてを平等に照らす月の光が眩しくて、目を細める。
すぐそばで未来の足音がした。それはハンターの熱情のように生き生きとしていた。
誰も知らない、静かな夜のことだった。