その名を呼ぶということ

 逆風に負けずに飛ぶ鳥のような男だと思う。かと思えば、掴みどころのない風のようにも思える。飛び跳ねる蛙のように活発で、大海原を悠々と泳ぐ魚のように自由だ。
 彼の名前はなんだったか——。
 ヴェルナーは腕を組んだまま思考する。いつも適当な部隊名で呼ぶたびに苦笑いする男の顔が頭の中に浮かぶが、名前が出てこない。
 禁足地での調査に大いに貢献した男。自然界の秩序の崩壊を防いだ男。新しい装置の試用実験に付き合ってくれるあの男——なんとかの隊のハンター。
 ヴェルナーはやがて「まあいいか」と諦めて頭の中のハンターの顔を振り払ったが、一度気になりだすともやもやしてしまう。
 唇を突き出して考えていると、アトスがやってきた。今日はまだなにも口にしていないことを思い出した。

「魚の隊のハンターの名前、わかるか」
「もしや、鳥の隊のハンターのことか?」
「ああ、そう、それだ」中身の減らないスープ皿を見つめたまま、「あいつの名前がわからない」と零すヴェルナーの眉間にはシワが寄っていた。
 アトスは目を丸くさせた。ヴェルナーがあのハンターの名前を知りたがっていることに驚いたのだ。
 アトスが彼の名を告げると、ヴェルナーの表情が和らいだ。彼はハンターの名前を復唱してからスープをちびちびと啜った。
——ヴェルナーには俺の名前を覚えてもらえないからな。
 ハンターはいつもそう言って苦笑いしているが、この状況を知ったら喜ぶに違いない。ヴェルナーが、君の名前を覚えようとしているぞ。
「彼の名を呼んでやるといい」
 アトスはスプーンを握り直した。ヴェルナーは気怠そうに「いいや」言った。「今さら、気恥ずかしいだろ」
「そうだろうか」
「付き合いが長くなってくると……そういうもんだ」
 アトスは瞬きだけしてヴェルナーを見つめる。彼の耳が赤く見えるのは気のせいだろうか。
 相手の名を知りたいと思うのは、相手に興味があるからだ。その相手の名を呼ぶという行為は、相手を信頼している証だ。ヴェルナーは、ハンターに興味がある。彼を信頼している。
 ハンターには黙っておこう。いつか彼の名前をヴェルナーが呼べる時がくるだろうから——。
 なんだか妙に微笑ましくて、アトスは喉をゴロゴロと鳴らした。