ゼノス×光の戦士

 神龍の最期の咆哮は、加勢のためにアラミゴ宮殿へ向けて飛空していた主力艦にまで届いた。圧倒的な武力を誇る皇太子が蛮族の英雄に敗れるわけがないと誰もが思ったが、進路は宮殿の庭園に変わっていた。
 広い庭園の中程にある赤い花畑に立っていたのは、皇太子だった。皆が安堵した。
 皇太子が抱いているのは、あの厄介な英雄だった。死んだのか、はたまた気を失っているのかわからない。
 戦艦に乗り込んだ皇太子を見て、指揮官が狼狽えた。傷付いた皇太子を見るのははじめてだった。乾ききっていない血が口の端から顎まで太い筋を描いている。苛烈な戦闘だったのは想像に難くない。
 深手を負っているにも関わらず、皇太子は英雄を横抱きにしたままだ。
「ゼノス様。その者は、如何いたしますか」
 指揮官が震える声で訊ねる。皇太子は――ゼノスは腕の中の女の顔を眺めたあと、「触れるな。俺のものだ」ただ静かにそう言った。
 こうして帝国軍は、アラミゴ宮殿と引き換えに、ひとりの英雄を得た。

 目を開けると、見知らぬ天井が飛び込んできた。
 うつろなまま視線を左へ右へやるうちに、曖昧な意識はゆっくりと覚醒した。頭が痛む。食い縛った歯の間から呻き声が出た。
 手を突いてゆっくりと起き上がると、やはり、見知らぬ部屋にいた。宿の一室にしては広い。揃えられた家具はどれも豪奢で、窓は大きく、カーテンは厚い。
 強くぶつけたように頭が痛い。こめかみを抑え、顔をしかめて記憶を辿る。
 ゼノスと、アラミゴ宮殿の庭園で戦った。神龍を倒した。それから足に力が入らなくなって崩れた。顔を上げると、ゼノスもまた膝を突いて、苦しそうに肩で息をしていた。
 相打ちになるところだった。負けられない。なんとしても立ち上がらなくてはいけないと思い……それから……どうした……?
 居ても立っても居られなくなり、ベッドを出た。途端に身体が悲鳴を上げた。ゼノスとの戦闘で負った傷は塞がりきっていないようだ。背中は痛むし、足は重い。それでもなんとか歩いた。
 部屋の入口である両開きの大きなドアまであと数歩というところで、いきなりドアが開いた。反射的に数歩退く。
 目の前に立っていたのはゼノスだった。鎧ではなく、白いガウンを着ている。その瞬間に察した。ここは帝国で、自分は囚われたのだと。
「ようやく目が覚めたか」
 ゼノスは目尻を柔和に細めた。敵陣で武器もない今、この男と戦うという選択肢はない。
「私を利用するつもり? どこまでも残酷なのね」
「利用か」ゼノスは首をゆっくりと横に振った。「つまらんな。言っただろう。お前を傍に置くと。お前はもう俺のものだ」大きな手が伸びてきて、指の背で頬を撫でられる。「手放すつもりはない」
「触らないで」
 ゼノスの冷たい指をはらいのけ、顔を逸らした。視線の先で、暖炉の火が弱々しく揺れている。

 部屋にはトイレもバスルームもあった。三度の食事だって出される。ただ、外側からドアに鍵が掛けられているらしく、自分では部屋から出ることはできなかった。ゼノスは自由に過ごせといったが、見えない首輪をつけられているような息苦しさを感じた。いってしまえば、軟禁状態だ。逃げようにも逃げられない。
 ゼノスも戦闘で深手を負ったのか、戦場には出ていないようだった。時々この部屋に来ては私への執着を言葉にして去っていく。
 帝国の捕虜になって一週間が過ぎた時、部屋に使用人がやってきて、見知らぬ名前を出してきた。その人物が私を呼んでいるという。
 目隠しをされ、使用人に手を引かれて、歩き続けた。
 目隠しが外されると、黒い柱が並んだ、薄暗いだだっ広い空間に立たされていた。
 少し離れたところに、神経質そうな痩せぎすの男がぽつんと腕を組んで立っていた。服装からして文官であることはわかる。使用人に促され、男の前まで歩いた。辺りを見回してみたが、柱以外これといって目立つものはない。どこかの通路のようだ。
しかし――人の気配がした。どうやら、柱の影に隠れてこちらの様子を窺っているらしい。
「お前が捕虜になった蛮族の英雄か」
 男は金属が擦れるような声をしていた。
「捕虜のくせに、部屋を与えられているそうじゃないか。いい御身分だな」
「それはどうも。牢獄にぶちこまれた方がマシだけどね」
「口の利き方に気を付けろ、卑しい雌猫め」男は咳払いをして続けた。「貴様、殿下の寵愛を受けているらしいな。どうやって殿下に取り入った? その身を差し出したのか?」
 肢体に視線が絡みつく。横っ面を殴りたくなって一歩踏み出すと、間に使用人が割り込んだ。
「なんであれ、貴様にちょうどいい仕事がある」
「仕事?」
「そうだ。その身体を差し出して殿下を骨抜きにして――」
 甲高い声に被さって、重量感のある足音が聞こえた。足音は微かだが、確実に近付いてきている。気のせいではない。アウラ族の角は敏感な感覚器官なのだ。
 喧しい男の向こうから現れた人物に目を瞠る。男も私の表情に気付いたのか、言葉を切って首を巡らせた。
 そこにいたのはゼノスだった。
「で――殿下!」
 キンキン声が広間に響いた。
「俺の友を、雌猫呼ばわりか」
 ゼノスが一歩踏み出すたびに、見慣れた漆黒の甲冑が擦れる音が角を震わせた。
「ああ、こ、こ、これは――」
 背中を向けた男の表情は見えないが、どんな顔をしているのかはわかる。
 ゼノスが提げていた刀を抜いた。さすがに、使用人は間に入らない。
 男は一刹那の間に袈裟懸けに斬り捨てられた。白い大理石の床に血だまりが広がっていく。
「俺の友を侮辱するとどうなるかわかったか?」
 殺伐とした緊張感の中、ゼノスが柱を一瞥する。つられて顔を向ける。柱の物陰。薄闇の中で、得体の知れない悪意が息を潜めている。それは私に対するものというよりも、ゼノスに向けられているようだった。権力を狙う者というのは、どんな汚い手でも使う。それはウルダハで散々見てきた。
 隠れている者たちも、今斬られた男も、私を利用しようとしていた……。
 拳を握り締めて柱を睨め付けていると、刀を収めたゼノスが溜息をついた。
 視軸を彼の方に戻す。ゼノスは穏やかな表情をしていた。
「食事をしよう」
「えっ?」
 突然の誘いに、怒りは一瞬で消え去った。

 食堂は冷たい空気と静寂に満ちていた。
 白いクロスが敷かれた長いテーブルの奥にゼノスが座り、その斜め手前の席に座るよう促された。
 目の前には、白磁の皿と銀のカトラリーが並べられている。給仕が次から次へやってきて、目の前に温かな料理を並べていった。レンズ豆とハムのスープ、ライ麦パン、香味野菜とキノコが詰まったキッシュ、白インゲンとコーンのソテー、ステーキ、オリーブとアンチョビのサラダ、ブラックチェリーのパイ……。
 量は多いが、いつも部屋で出されている食事に似ていることに気付いた。
「お前に出していた料理は、俺と同じものだ」
 赤黒いソースのかかったステーキを切りながらゼノスが言った。
「お前は俺と同じものを幾日も食べ続けた。どういう結果になったかわかるか?」
 肉の断面は薄桃色をしている。
 首を傾げると、ゼノスは喉の奥で笑った。
「食事というのは、肉体を内側から変えていくものだ。口にした食材はすべて血肉になる。つまり、今のお前は、俺と同じ肉体になったということだ」
 切り分けた一切れの肉が口元に運ばれていく。
 同じ肉体――胸の中で繰り返す。血潮も、肌も、髪も、ゼノスと同じ……俯くと、私の皿には、彼と同じステーキがあった。
「それくらいじゃ、同じとはいえない」
 ナイフとフォークを取る。刃を入れると、柔らかい肉はあっさり切れた。
「言ったでしょう。私とあなたは違うと」
 赤黒いソースは、葡萄と酢がベースになっているのか、コクと酸味があった。ほのかににんにくの風味もする。美味しい。
「……これ美味しい……!」
 もう一切れ頬張ると、ゼノスがまた笑った。
「お前も、そういう顔をするのだな」
 慌てて肉を飲み込んだ。
「どんな顔?」
 彼は「はじめて見る顔だった」そう言って、肉を切り分けた。
 

 ノック音が響いて、まどろんでいた意識が覚醒した。
 ベッドから起き上がって返事をする。少し間を置いてドアが開いた。
「失礼しますよ」
 背中の丸まった老人が本を数冊抱えて入ってきた。薄くなった髪も蓄えた髭も真っ白だ。
「本はお好きですかな?」
 老人はテーブルに本を置くと莞爾と笑んだ。
「好き、ですけど……あなたは……?」
「失礼。私は学匠をしていましてな。昔はゼノス殿下にも教えていたのですよ」
 学匠は目尻のシワを深くさせて続ける。
「殿下が慕っている女性に一度会ってみたかったのです。あんなに嬉しそうな殿下を見たのははじめてですよ」
「ゼノスが……嬉しそう、ですか?」
「ええ。あなたが来てから殿下は穏やかで、とても嬉しそうですよ。私は五十五年王室にいますが、正直なところ、これほど喜ばしいことはありません。この国にはあなたのことをよく思っていない者が多いです。殿下に気に入られているあなたのことを利用しようとする者もいるでしょう。しかし……私はあなたを支持したい。ゼノス殿下に喜びを与えてくれたあなたには感謝していますから」
 それから学匠は、幼い頃のゼノスとの思い出をぽつりぽつりと語り出した。子供の話を聞いているからなのかもしれないが、私の知らないゼノスの話を聞くうちに、彼もまた人の子なのだと思えた。不思議と彼に対する警戒心が溶けていった。
「くれぐれも殿下には内緒にしてくださいね」
「今この場にいたらどんな顔をしていたんでしょうね」
「いなくてよかったですよ。私が詰られるかもしれませんからな。殿下が今戦場に出ておられてよかった」
「……えっ」
「おや、ご存知ありませんでしたか。今朝、アラミゴ宮殿を奪還したとの報せが入りましたよ」
 冷たい手で心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。眩暈がして、目の前の学匠の皺だらけの顔がぐらぐらと揺れた。 

 前線から帰還したゼノスは、夜の帷が降りてから光の戦士のいる部屋に向かった。
 部屋に入ってすぐに、光の戦士は眉を寄せて「戦況を教えて」言った。
「お前が知る必要はないだろう」
「教えて」
 彼女は唇を引き結んでゼノスを見詰める。
「反乱軍は壊滅した」ゼノスはありのままを伝えることにした。「これで充分か?」
「そんな」光の戦士は崩れるようにしてベッドに腰掛け、背骨を丸めて、両手で額を抑えた。「私のせいだ」
「……なぜそう思う?」
「だって……」
 光の戦士が弾かれたように顔を上げるが、言葉は続かなかった。眸だけが揺れていた。追い詰められた者の顔だった。ゼノスはその顔を戦場で何度も見てきた。
「だって……私が敗けたせいで壊滅したわけでしょう? 私が戦わなくちゃいけなかったのに……護れなかった……」
「……護る? お前ひとりがいないだけで崩れる脆い組織をか?」
 首を傾げて、ゼノスは光の戦士を見据えた。
「そもそも、なぜお前ひとりがすべてを背負う? なぜお前ひとりがすべてを救わなくてはならない?」
 彼女は質問の意味がわからないとでもいうように瞬きを繰り返している。
「誰かの安寧のために戦い続ける傷付いたお前を誰が救う?」
 ゼノスはゆっくりと光の戦士の前まで歩を進めた。上と下で視線が重なった。強い意志のこもった眸には、暁に似た眩い希望が生き生きと輝いている。しかし、その奥に暗い感情が暗雲のように立ち込めているのをゼノスは見逃さなかった。
「お前は英雄という名の枷をつけている。まるで呪いのようだ」
「……やめて」光の戦士は俯いた。膝の上で拳が震えていた。「これ以上なにも言わないで。でないと、私が私でなくなってしまう」
 ゼノスの目の前にいるのは、傷付きながらも立ち止まれない英雄ではなかった。熟練の冒険者でもなかった。ただひとりの女だった。
「英雄でなくとも、お前はお前だ」
 光の戦士の肉の薄い肩がびくりと跳ねる。彼女はおそるおそるとでもいうように顔を上げた。
「俺がお前の傍にいよう」
 長い睫毛に囲われた眸には、ゼノスだけが映っている。眸の奥にある暗い感情が、暁光を覆っていた。
「お前は俺の終生の友だからな」
 ゼノスは彼女の頬に指の背を添えて輪郭をなぞった。手は払いのけられなかった。
「……傍にいてくれるのなら、行かないで」
 頬を押し付けるように頭を傾けて、光の戦士は目を伏せた。
 その夜、ゼノスは光の戦士の隣で眠った。まぐわうこともせず、己よりもずっと小さく温かな身体を抱き締めた。夢も見ずに朝を迎え、侍女たちが部屋を訪うまで、ただ傍にいた。

 身を寄せ合って眠る——そんな夜が半月続いた。
 就寝前にゼノスがヘッドボードに寄りかかって本を読んでいる間、彼女は甘えたがりの猫のように寄りかかってくる。頬を撫で、手を握り、いつしか文字を追うことをやめて、シーツに傾れ込む。甘い香りを放つ柔らかな髪に指を差し込んで、華奢な身体を抱いて眠る。
 彼女と過ごす穏やかな一日の終わりは、ゼノスの胸を、名前のない形のないなにかで満たした。
 今も、彼女は腕の中でまどろんでいる。
「ゼノス」
 不意に光の戦士は眠たげな静寂を破った。
 彼女はゼノスの腕からするりと抜けてしなやかに起き上がると、窓から差す月明かりを背にシーツに座り込んだ。
「なんだ?」
 ゼノスは逆光に翳るシルエットを見つめたまま問う。彼女の表情は見えない。シルエットが小さく動いた。衣擦れの音が暗闇に零れる。
 光の戦士は、纏っていた寝衣の帯を解いていた。
「抱いて」
 丸みを帯びた両肩から寝衣が音もなく落ちる。
 ゼノスはゆっくりと横になった光の戦士と入れ替わるようにして身体を起こした。シワだらけのシーツの上で、ふたつの肉体が重なる。彼の腕の下には、月のように白く透き通った裸体がある。
 眠りを誘う静寂に官能が混ざる。ゼノスの垂れ下がった髪が、彼女のかんばせを覆うように降りていく。金色の檻の内側で、ゼノスははじめて彼女の名前を口にした。首のうしろにひんなりとした指が回り、唇が引き合う。途端に、官能が眠気を遠ざけた。
 呼吸を忘れて口付けた。酸素が全身に回らなくなる前に離れて息を継いだ。熱っぽい吐息が間でふたりの間で何度も弾む。ゼノスは寝衣の帯を荒っぽく外した。込み上げるのは、手に負えない劣情だった。光の戦士も淫らな衝動に駆られているらしく、足を開きながら掠れた声で「早く、きて」言った。
 激しく求め合い、すぐに繋がった。彼女の女の部分は、すでに潤んでいた。
 ゼノスの動きに合わせてベッドが軋み、光の戦士の丸い乳房が揺れ、甘ったるい嬌声が弾む。濡れた肉と肉がぶつかって重々しい湿った音が鳴った。
 のしかかるゼノスの尻に光の戦士の足が引っ掛かる。雄々しく力強く前後する腰に、彼女は息も絶え絶えだった。交わった肉体の境目が消え失せて、快楽が怒涛となって押し寄せた。
「あっ……や、ぁ、あっ、っ……んっ!」
 光の戦士は声を抑えようと必死に掌で口元を覆うが、ゼノスはそれを許さなかった。彼は薄い手を引き剥がすと、枕の横に押さえ付けた。
「やだっ、……や……声、出ちゃうからっ……外っ——見張り——」
 ゼノスの私室の外には夜すがら見張りの近衛兵が立っている。それを彼女は気にしているらしい。なにもなかったとはいえ、半月も同衾しているのに、今更気にする必要はないだろうに……。
「そんなことを気にする余裕があるのか」
 腹の奥を一突きすると、胎内はゼノスをさらにキツく締め上げた。
「聞かせておけばいい」
 抜き差しの度に、泡立った濃い愛液が肉の剣にまとわりつく。過去に男がいようがいまいが、胎の内側も変えてやりたかった。誰も知らない奥の奥を拓いてやりたかった。
「……俺の、ものだ」かすかに息を乱し、ゼノスは呟く。「誰にも渡さん」
 緩やかに降りてきていた子宮口を抉る。その瞬間、光の戦士は声にならない声を上げた。
「ひぅっ、あ、あっ、イくっ、イっちゃう……! っ、ん、〜〜〜〜〜っっ!」
 ゼノスの身体の横から突き出した両足がまっすぐに伸びた。ぴんと伸びたつま先が、彼女が快楽を受容したことを証明していた。
 痙攣する絶頂を迎えた胎内に留まり、ゼノスはさらに彼女を責め立てた。時に体勢を変え、胎内を拓いた。悦びにひくつく子宮口に密着したまま吐精したあとも、しばらく彼女の内側に留まったままだった。

 事後、生まれたままの姿で向かい合った。
 ゼノスの胸に頭を預けてぐったりしている光の戦士は眠たそうだった。
「…………」
 括れた腰に回していた手で、なんとなく彼女の顔の横にある太い角に触れると、彼女は「んっ」小さく声を漏らし、目を開けた。
 ゼノスは角を指の腹で撫で摩り、なぞった。アウラ族の角は感覚器官であると同時に、愛情表現にも用いると聞いたことがある。手を払いのけられないということは、彼女は完全にゼノスを受け容れたということになる……。
「あなたもそんな顔をするのね」
 光の戦士はふっと笑った。
「どんな顔をしていた?」
 彼女の頬に手を置いて問う。
「はじめて見る顔だった」
 いたずらっぽい微笑を浮かべ、光の戦士は身じろぎした。身体が密着して、柔らかな乳房が押し当てられる。
 激情に追いやられた穏やかな闇が戻ってくる。
 互いになにも言わなかったが、言葉はそれ以上必要なかった。いつものように、身を寄せ合い、闇に沈む。今はそれだけで充分だった。