親愛をひと匙

 その夜、『キャンプ・ドラゴンヘッド』の司令室を訪うと、オルシュファンの姿はなかった。
 彼の部下であるコランティオが「オルシュファン様なら食事に行かれた」と教えてくれた。大した用事ではなかったので出直すことを告げると、コランティオは首を振って「その必要はない。ぜひとも食堂に行ってみてくれ」言った。
 食堂は司令室から近いという。彼に礼を言って外を出て、踏み慣らされて平たくなった雪道を辿るようにして食堂に向かった。
 夜の帳が降りた空から、止んでいた雪がちらつきはじめていた。白い息を吐き、辿り着いた食堂のドアを開けると、食欲をそそるにおいと楽し気な男たちの声に迎え入れられた。大勢で食事ができる長いテーブルを囲っているのは、『キャンプ・ドラゴンヘッド』に駐在する兵士たちだ。その中心に、司令官であるオルシュファンがいた。
 彼はこちらに気付くと「こっちだ、友よ」片手を上げた。
「英雄殿だ」
 周りの兵士たちの関心の眼差しや賞賛の声を浴びた。ちょっとだけ恥ずかしさもあったが、つとめて平然としながらオルシュファンの元までゆったりとした足取りで進んだ。彼の隣にいた兵士が、食べかけの料理と共に席を空けようと一人分詰めてくれた。
「ありがとう」
 席を譲ってくれた兵士に微笑んだ。兵士は赤面しつつも満足そうに頷いた。曖昧な微笑みを浮かべたまま、空いた席に座ることなくオルシュファンを見詰める。
「食事時にごめんなさい。出直そうと思ったんだけど、コランティオにあなたの元に行ってもいいと言われたので来たの。どうしても……その……話がしたくて……」
「友との語らいなら、いつでも歓迎だ」オルシュファンの目尻が柔和に細まった。「座ってくれ。一緒に食べよう。食事はみなで食べた方がイイ。そちらの方が美味い」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
 彼の隣に座る。並んだ大皿の料理を前にすると、昼からなにも食べていないことを思い出した。
「彼女にもシチューを頼む」
 オルシュファンはうしろを通り掛かった給仕を呼び止めた。給仕はすぐにシチューとナイツブレッドを運んできてくれた。飲み物はなにがいいか訊かれ、客人だからと、オルシュファンに勧められて蜂蜜入りのホットワインを飲むことにした。
 具がごろごろと入ったシチューはとろみがあって、濃いミルクに野菜の甘味と肉の旨味が染み出ていて、深みのある味わいだった。肉は柔らかく、口の中でほろほろと崩れた。
「美味しい……!」
「フフ……イイ顔をする」
 オルシュファンは小さく笑ってタンカードを手繰り寄せて中身をあおった。彼のタンカードに入っているのはなんだろうか。
「これはなんの肉? すごく柔らかい」
「ロフタンの肉だ」
「クルザス地方の固有種の? ロフタンといったら霜降り肉しか食べたことがないけど、これは脂身が少なくて食べやすい。こっちの方が好きかも」
「煮込み料理では肩や腿といった部位が使われるのだ。硬い肉もじっくりと煮込めば柔らかくなり、旨味が増す」給仕が持ってきた新しい皿を手にし、オルシュファンは続ける。「ロフタンの肉が気に入ったようだな。串焼きもあるぞ。ああ、挽肉とクルザスカロットのキッシュも食べてくれ。遠慮はしてくれるな」
 彼は目の前の大皿の群れの中から、分厚い肉の連なった串焼きと断面が美しいオレンジ色をしたキッシュを一切れ取った。皿はそのまま私の前に置かれた。どちらも食べたことがない。少し冷めていたが問題はない。一口二口と頬張って、しっかりと噛み締めて飲み込む。美味しい。空っぽの胃が満たされていく。
 離れたテーブルから兵士たちの哄笑が上がる。彼らは仲間とテーブルを囲い、寒さも戦争のことも忘れて笑っている。それでいい。今は、それでいいのだ。
 だって、私も、今だけは――。
「あとで温かい飲み物を淹れよう。今宵はゆっくり語らおうではないか、友よ」
 賑々しい食堂の中でもオルシュファンの穏やかな声はよく聞こえた。
「今夜の食事がお前の血肉となるのを嬉しく思うぞ」
 同じものを食べ、同じものを飲み、同じ夜を過ごす。そうやって私たちは束の間の平穏を味わう。オルシュファンとのかけがえのない時間は、泣きそうになるくらい、甘くて、温かかった。