デスハー様の護衛として地上にある某国へ赴いたのは、半月ほど前だ。
冥府に帰還したのは二日前だった。遠征から戻った日の夜は、柔らかく暖かいベッドで泥のように眠った。
清々しい目覚めを迎えた翌日、久し振りに大蔵大臣であるデスパー様の執務室へ足を運んだ。私は冥府騎士団の隊長であるとともに、デスパー様の執務補佐なのだ。本来補佐は文官が務めるものなのだろうが、デスパー様は私をそばに置く。
執務室のドアをノックすると、すぐに返事が返ってきた。
「失礼します」
ドアを開けて中に入り、後ろ手でドアを閉める。
「おかえりなさい、隊長」
執務机で羊皮紙に羽ペンを走らせていたデスパー様が手を止めて微笑んだ。
「地上はどうでしたか?」
「南は冬でも暑いものですね。驚きました」
執務机のそばに寄る。羊皮紙の束が山になっていた。
「あれ、あなた、日に焼けました?」
デスパー様は私を見て目を丸くさせた。
「…………? そう、でしょうか」
「手の甲が赤くなっていますよ」
咄嗟に手の甲を見ると、たしかに、色の白い肌が赤みを帯びている。ここ数日ひりひりとした感覚があったが、これが日焼けによるものだとは。
「なるほど、これが日焼けですか」
「南国は日差しが強いですからね。ちゃんと肌のケアはしましたか? 露出している部分が手だけであっても、肌には大きなダメージです」
「い、いえ、なにもしておりません」
「それはいけませんね」
デスパー様の眉間に険しいシワが寄った。
デスパー様は羽ペンをスタンドに戻すと、机の引き出しを開け、蓋のついた白磁の小振りな陶器を取り出した。中には、粘度の高いクリームが入っていた。
「手を出してください」
言われた通り、掌を上にして突き出す。デスパー様はクリームを指で掬うと、両手を軽く擦り合わせて掌で広げ、私の手を包み込むようにして取った。
「炎症を抑えてくれるハンドクリームです」
私よりも二回りほど小さなデスパー様の手は温かい。肉の厚い掌と長い指は、私の剣胼胝と肉刺だらけの武骨な手とは違って、爪の先まで手入れが行き届いている。
胸の奥で、鼓動が速くなる。繋がった手から目が離せない。指先まで丁寧にハンドクリームが塗り込まれていく。デスパー様の薔薇色の爪が美しい。
「はい、これでいいでしょう」
「ありがとうございます」
自分の手をまじまじと見つめる。カサついていたのに、しっとりとしていた。ほんのりと甘い香りがする。桃の香りだろうか。
「それにしても、あなたの手、大きいですね」
視線を下げると、デスパー様が微笑んでいた。
「不細工で無骨な手です。お見苦しいものをお見せしました」
「いいえ。私は好きですよ、あなたの手」
落ち着きを取り戻していた心臓が跳ねた。顔が熱い。一刹那、上と下で見詰め合った。デスパー様のふっくらとした唇が緩やかな弧を描く。それ以上見詰めることができなくて、兜の下で視線を泳がせる。どっと汗が噴き出てくる。
口元に指を添えて、デスパー様は笑った。
「半月で私の顔を忘れてしまったような反応ですね」
「いえ、そのようなことは決して……」
慌てると、デスパー様は「わかってます」頷いて「さて、それじゃあ、南国のお土産話を聞かせてください」羽ペンを執った。
「はい。お話ししたいことが、たくさんあります」
湿った手を握り締める。熱を持っていた手の甲からピリピリとした痛みが引いていた。
さて、なにから話そうか。