「謁見を賜り、感謝いたします」
南の地よりはるばるやってきた使節は、玉座の間で王を前にして粛然と平伏し、こうべを垂れた。
「顔を上げよ。この冥府に何用があってきた」
王の一言で、使節は絨毯に手を突いたままゆっくりと上半身を起こした。
「我が国と同盟を結んでいただきたく、南より参りました」
使節はそう言うと、一瞬辺りに視線を滑らせた。値踏みするような感じだった。玉座のそばには冥府騎士団団長であるオウケンと、大蔵大臣である私が控えている。
「話を聞こう」
王は手にした王笏を下ろした。先端が床にあたって、かつりと固い音が跳ねた。
「……つまり、同盟を組んで我が国の兵を派遣しろ、と? 見返りはなんだ」
「はっ、冥府の民が困らぬほどの水と食料、それから数多の金を提供できます。これはほんの一部です」
使節のうしろでずっと平伏していた首輪をした体躯逞しい男たち――哀れな南の国の奴隷たち――が重たそうな金属製の箱を抱えて立った。中には眩い金塊が詰め込まれている。それから使節を挟むようにして、見目麗しい着飾った女が四人並んだ。
「……それだけか?」兄者は退屈そうに腿の上に頬杖を突いた。
「い、いえ、これはほんの一部にございます。同盟を結んでいただいた暁には、我が国の財宝を……」
「要らん」
使節の言葉を遮り、王は言った。
「……はっ……は、はぁ……?」
「貢物は要らん」
使節のしわだらけの顔がみるみるうちに青褪めていく。
「悪いが我が国から兵は出せない。それと、女をモノとして扱うな」
王の冷厳な態度に、女たちが息を呑むがわかった。使節が身体中の力を抜くのも。
「だが、南の〝最果て〟よりわさわざ冥府まで来たのだ。一晩ゆっくりしていくといい。汝らを款待するとしよう。そのうしろに控えている男たちもな。我が国で奴隷として扱うことは私が許さん。話は以上だ。下がれ」
王笏の先端が床を突いた。玉座の間に響いた金属音は、使節の悲鳴のようだった。
「兄上、よかったのですか。同盟を破棄して。水は貴重ではありませんか?」
使節が玉座の間から去ったあと、オウケンが首を傾げた。兄者は王笏でこめかみを掻いて、鼻で笑った。代わりに私が説明する。
「あの国は周辺の諸国に見境なしに戦争を吹っかけています。彼らの豊かさは蹂躙と略奪によるものですよ」
オウケンが剣呑と太い眉を寄せ、眉間に深いしわを作った。
「そんな国に我が国の兵を出してたまるか。なにより奴隷制度が気に入らん」それに、と兄者は続けた。「水や食料には困っとらん」
兄者が憤慨しているのは口調からわかった。
人間や魔族、分け隔てなく民として受け容れている冥府には、個として扱われず、首枷をつけて主人に傅く者など誰ひとりとしていない。王はそれを許していない。ましてや他国の捕虜を労働力にするなどもっての外だ。兄の治世が続いている冥府では、そんなことは一度たりとも起きていない。
他国を頼るほどの脆弱さでは、冥府の長きに渡る安寧はなかっただろう。冥府は大国としての盤石な基盤が整っている。否、兄者が玉座についた時から、着々と堅実に整えてきた。
「さて、あれの間抜けな面でもみてくるか。奸知術数の輩というのはさぞ弁が立つのだろう」
「兄者、あまり意地の悪いことは言わないようにしてください。一応、使節なのですから」
「退屈凌ぎにちょうどいいじゃないか。オウケンもくるか?」
「私は遠慮しておきます。文官というのはどうも苦手です」
オウケンが顔を顰めた。弟のこんな嫌そうな顔ははじめて見た。
遠くから、ギャーッと断末魔のような声が聞こえてきた。
兄弟揃って玉座の間の入口へ視線を向ける。一拍置いて、騎士がひとり慌てたように入ってきた。
「デスハー様、大変です!」
「何事だ? なんだ今の蛙が潰されたような声は。使節の悲鳴か?」
「はい。それが、部屋にお連れしようとしたのですが、使いの魔族に驚いたようで、廊下の真ん中で気を失われてしまいました」
一刹那、その場にいた皆が黙った。
「……ハッ、ハハ……ハハハハハハ!」兄者が笑い出す。「なんだそれは! オレの国に来ておいてその始末とは滑稽だな!」
「なるほど。同盟は結ばなくて正解ですね」オウケンがぽつりと呟く。「無礼にもほどがあります。次に姿を見たら私が叩っ斬ってやりたいくらいです」
王から嗤われ、騎士団長に目の敵にされた哀れな使節は翌日になるまで目を覚さなかったが、世界の果てにある南の国がその後大敗を喫し滅亡したのはまた別の話であり、奴隷が解放されたという吉報が冥府に届くのも、まだ先の話である。